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  八戸市

私の父祖の地と言えるのが八戸市である。祖父母の先祖の墓があるだけでなく、祖父、岩男が旧制八戸中(現・八戸高)、祖母と母が旧制八戸高女(現・八戸東高)をそれぞれ出ているというだけでも縁の深さが明らかだろう。

写真「祖父・山崎岩男(右)」祖父の先祖の墓は長者山の大慈寺にある。聞いているところでは、この大慈寺の住職になる前提で八中に通学(その後に宗派の最高学府の現・駒沢大へ行くため)していたとのこと。その予定が、五年生の時に校長排斥ストライキの主謀者として放校処分をくらい、連動して、縁が切られたらしい。私を含め、家族の本籍地、青森市に関係するのは、その後、中央大学を卒業、青森商業学校(現・青森商業高校)の教師に採用され、赴任してからだ。余談ながら、祖父、岩男は中大在学時、現在も人気の高 い正月の大学対抗箱根駅伝の選手で、初の中大優勝時のメンバーであった。終生の自慢であり、またその関係で青商陸上部監督を務め、その教え子が祖父岩男の選挙を支える中心になっていた。


こうした関係から、親類は八戸とその周辺に多い。祖父母の関係だけでなく、母楫子は岩手県種市町出身で、母方の従兄弟が八戸市に4軒いる。南部地区後援会長の六郷小児科、六郷功先生もそうした一人だ(母方の従姉妹の夫)。

私の八戸の街の記憶と言えば、スルメの臭いだ。夏休みで母の実家へ向かう途中、 八戸駅(当時は尻内駅)から八戸線で陸奥湊駅に向かい、新井田川鉄橋の前後が、特に印象に残っている。いわばスルメのカーテンという感じであった。あのカーテンが何時ごろ見られなくなったのか、はっきりしないが、現在では八戸市民でも若い方々は知らないのではないだろうか。そう言えば、白銀大火の跡を見たのも、八戸線の車中からだった。

写真「蕪島うみねこ繁殖地」
蕪島(かぶしま)/八戸市

八戸は、お城周辺の城下町と商店街、湊から鮫にかけての漁師町、そして、県内ダントツの工業地帯、そして周辺の牧場を含む農業地帯と、変化に富んだ特色のある街だと思う。昨年12月には待望の新幹線開業。不況の荒波にさらされる昨今、開業効果で是非、本県の汽関車役として、県全体を引っ張り上げて欲しいと願っている。そう言えば、全県的に、郊外型大規模店進出で商店街が沈む中、三日町など、八戸中心街が、今では一番活気があると感じている。
山崎力

津軽衆と南部衆は、相当違う。

話し方が、おっとりしている南部衆。  せっかちと言うより、怒っているみたいな津軽衆。

北海道出身のわたしは、どっか違う世界から覗いているので津軽も南部もどっちも面白いし好き。青森には津軽に、南部に、西海岸に、下北もあって、近頃何と北五も抜かせない事に最近気づく。青森県というたった一つの県に、これだけ際立って違う性格の人が併せて暮らしている不思議さ、お互いに文句を言う可笑しさ。青森県としての成り立ち方がどこかで、間違っているようにしか、よそ者には思えない程だ。

今回の八戸市。
写真「八戸・大慈寺にて」山崎の話にもあるように、父母、祖父母共に南部出身で、八戸には親戚 も多い。お墓も、三内霊園に山崎家の墓があるけれど、八戸・大慈寺にも先祖代々のお墓がある。

結婚して毎年欠かさず繰り返して来た事は、14日の八戸のお墓参りと岩手・種市町の母楫子の実家訪問。23才で結婚して、いったい何度繰り返したのか…。 という訳で、選挙に入る前から他の町より、私にとって八戸は馴染み深かったと言える。ところがいざ選挙戦で八戸入りすると今までに感じた事がない気持ちがする。

初戦の93年の衆議院選。八戸に大島・田名部両御大。青森に津島御大といらっしゃる中、日本新党というブームに乗っかって出馬したとはいえ、自宅の駐車場にベニヤを貼り付けての簡易事務所、食事は母屋の台所の隅という戦いぶり。全国的に新党ブームが吹き荒れた中、ブームの風に乗れなかったのは、山崎本人のカラーを生かしきれなかったのが一番の欠点ではあったけれど、選挙に立つ以前の問題も多々あった。それにも係わらず、八戸では随分立派な票を頂いた。

八戸市民に先々代からの山崎地元意識があったからと思い感謝した。  その後の二回の参議院選や、他の先生の選挙の応援で、八戸に入るたびに感じる思いは、 おっとり、ふんわり、温かい。北海道出身だから感じるのかもしれないけれど。
山崎晃子
写真「梵珠山のキクザキイチゲ」
5月6日 津軽・梵珠山(ぼんじゅさん)にて