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 黒石市

黒石の私の最初の記憶はソバに関して。小学3年か4年の時だった。
黒石のお米、特に寿司用では青森一と聞かされていたが、ソバも東京に負けない県内一美味しいからということで、祖母に連れられ街中のソバ屋に入った。店の名前や店内の様子など一切思い出せないで、憶えているのは盛りソバの汁に関して。
ソバ好きにはおなじみのことだが、ソバ食の本場・東京では江戸時代よりドップリと汁に浸けて食べるのは野暮、ほんの一寸だけ浸けるのが粋とされてきた。いまわの際に「何か言い残すことはないか」と問われて、「ソバをドップリ浸けて食いたかった」との江戸小話があるほどだ。

私は子供のときからドップリ派。ところがその店ではまさに江戸風で、ソバ猪口には半分しか汁が入っておらず、そのうえ東京でも普通の店ではついてくる追加用のソバ徳利もない。
案の定、終わりのほうでは汁が無くなり、そうかといって浸け汁の追加もはばかられて、「ソバも汁も美味しいのに」と情けなかったことを鮮明に思い出す。
子供心にも食べ物の記憶は意外に残っているものだと、この項を書きながら改めて認識を新たにした次第だ。

閑話休題。黒石の最大の魅力はなんといっても、こみせ通りを中心としたその街並みにあると思う。青森県の宝といってもいい。タイムスリップしたようにかつての日本のよい街並みを留めている。
県内のライバル弘前と比べても、個々の建物は別にして家並みとして見れば、趣という点からも黒石に分があると断言できる(弘前の方々御免なさい)。全国的に観ても十分誇れるものだ。
特に私が個人的に好きなのは、何度もお招きいただいた『黒石よされ』の際に気づいた、夕暮れの中だんだんとシルエットになっていく多数の消防用などの物見櫓の風情だ。
勿論、冬の積雪時、本来の雪避け歩行路の役割がはっきりわかるこみせの風情は、県内では原形を留める所が他に無くなってきただけに貴重だ。積雪時の日本の町家の街並みの代表格といえる。

ただ政治や行政の面で見ると、黒石は苦しい時期が続いている。
市の台所は火の車で、老朽化した学校の校舎の建て替えさえままならず、「子供たちがかわいそう」と涙を浮かべながらテレビのインタビューに応えていた鳴海市長の姿を見た記憶が新しい。
鳴海先生とは親しくお付き合いさせていただいているが、改めて市長の実直さに感じ入った。
黒石がよき日本の街並みのよさを保ちつつ、鳴海市長の指導と市民の協力で活気を取り戻してもらいたいと心から願っている。

山崎力

2005年の秋、キャノンEOS5Dで黒石市内を撮影する雑誌Aの企画に、地元で協力した知人に誘われて参加した。日本中から実費であっても応募があるらしい。『黒石こそは、私がご案内役を買って出なければ誰がする』の勢いで、前日のお誘いだったのに、乗った。

当時最先端の1280万画素の最新機種を一人に一台渡され、一泊2日黒石市内を撮影して回った。
写真「鳴海家お茶室床の間」10月上旬でまだ紅葉には早かったけれど、こみせ通り、中野紅葉山温湯温泉郷、特別に頼み込んで入れて頂いた市長さんの築260年になるご自宅では、参加者全員が母屋のお茶室でお茶を一服頂いた。(ラッキーな事に、伺った午後は翌月の市民茶会で市長夫人が亭主役をなさるお稽古中だったので、大勢のお弟子さんやらお手伝いの方々がいらしていた為)
ご存知の方も多いけれど、市長夫人はそれはそれは長身でお綺麗。黒石の花。二十歳で市長さんに見初められて結婚してから、40年近くも政治家の妻を務めている彼女は津軽の政界や慣わしを知らない私の何時までも追いつけないお手本であり、本当に申し訳ないけれど、便利な百科事典である。
二人で青森を歩いていると、皆さん彼女だけに気づき、後で『えぇ!一緒だったの?』と聞かれるが、年中お世話になってる代わりに、地味な私は、露払い役をしているからに過ぎない。

ある時、黒石の話を札幌の母にしていたら、急に『昭和30年代に黒石米のあまりの美味しさに、札幌自民党女性部で黒石米のおむすびを売って事業活動費を稼ごうとした事があるの。』と言い出した。「何故に?どうして、黒石米が?」は、直にお教えします。

とにかく、世の中は、面白い。

山崎晃子