
今年のねぶたも終わりました。
今年も大勢の観光客が来られ、盛大な祭りとなり、全体的には良かったかな、と思っています。 しかし例年の「カラス」の問題も、テレビの全国放送でも取り上げられる等、より深刻化してきたようです。
そして、私の子供時代と比べ、ねぶた祭りが変わってきたのは、時代の流れもありますが、単にそれだけで済ませてよいのか、という気持ちもあります。
例えば「ガガシコ」と呼ばれる、平たいコップ状の鳴子がほとんど使われなくなりました。 花笠をきちんと被る人も余り見られなくなりました。
昼間、町内を廻り寄付を募っていたのはいつ頃までだったでしょうか。 町内の手作りから、より高度化・大型化して企業化・団体化、あるいは市民の祭りから、市外の人や全国の祭りに成長し、観光化してきた背景もあるのでしょう。
ただ私は例えば、踊り(ハネト)に関して、かつてのねぶたでは、最初はむしろ整然と揃っていたような気がするのです。 段々と盛り上がるにつれて各自が思いっきりハネる乱舞に移っていく印象があります。それがとても好ましい印象として残っているのです。 今はただダラダラ歩く人が目立つ気がするし、歩いていて急にハネ出す、そのギャップが大きすぎるからかもしれません。
ねぶたに関しては忘れられない思い出があります。 祖父・岩男が知事をしていた頃の事です。 私たち家族も一緒に見ていたのですが、招待の中に版画家の棟方志功先生(棟方志功記念館)がいらっしゃいました。八甲田の主といわれた鹿内仙人もおられました。 お二人揃っての写真(上)を、最近父が古いアルバムから取り出して現像したので、改めて思い出しました。
その時、棟方志功先生が、ねぶたを見ていて、怒り出したのです。 理由は「久しぶりにねぶたに来たが、今のハネトはなっていない。」というのです。
どう駄目なのか、というと「青森のねぶたは凱旋ねぶただ。 戦(いくさ)で疲れ切り、フラフラになりながら、勝利の喜びを表すハネ方でなくてはならない。」のだそうです。
つまり上半身は、疲れていてフラフラ、しかし下半身は戦で鍛えているからしっかりと腰がすわり、大地を踏みしめながらハネなくてはいけない。 それなのに当時の人たちのハネ方が全然分かっていない‥‥と、いたく御立腹であったのです。
そしてあの世界の"ムナカタ"が、とうとう見本を示すべく観客席を立ち、道路に出てハネ始めてしまいました。 それは見事なハネ方でした。
フラフラと、前後左右にゆれる上半身、それでいながら、しっかりした腰つき、大地を踏みつけながら文字通り"ハネて"いました。 子供の目にも違いがはっきり分かった事を記憶しています。 もう40年も前の事になります。
ねぶた本体は、本当に見事になり、全国の、いや、世界のねぶた祭りと言って良い程盛大になりました。 今のねぶたを見て棟方先生が何と表現されるのか。
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