前途は「地雷原」−続投・菅政権
(2010年9月_2)
「天気晴朗なれど波高し」−。9月17日夜、菅直人改造内閣が始動した。「ハルマゲドン」ともいわれた小沢一郎元幹事長との民主党代表選を勝ち抜き、“脱小沢”の党・内閣人事を断行した菅首相。内閣支持率はV字回復し、「有言実行内閣」の旗印の下、解散という“伝家の宝刀”は封印して内政・外交で政権交代の成果をアピールすることで長期政権を目指す態勢は整ったかに見える。しかし、熾烈な代表選の後遺症として党内に半数近い小沢氏支持の「批判勢力」を抱え、国会の衆参ねじれ状態は解消の見込みもない。内政の最重点課題の日本経済は円高・株安の荒波に沈没寸前なのに、補正予算は早期成立のめどすら立たない。外交をみても尖閣諸島で起きた漁船衝突事件で日中関係が険悪化する一方、頼みの米国も沖縄普天間基地移設問題の迷走で「同盟」にすきま風が吹いている。客観的に見れば続投・菅政権を取り巻く内外情勢は「難問山積」というよりもはや「八方ふさがり」の状態だ。臨時国会が召集される10月1日から始まる「政局秋の陣」。主役を演ずる菅首相には地雷原を歩くような危うさがつきまとう。
それにしても熾烈な戦いだった。天下分け目の代表選で市民運動家出身の現職首相に挑戦したのは自民党時代から保守本流の嫡男といわれ、民主党内でも最高実力者といわれた小沢氏。9月1日の告示から14日の投票日までの2週間は民放テレビのワイドショーやインターネットの世界まで巻き込んだ“民主党祭り” となり、各メディアは世論調査や票読みに明け暮れた。久しくなかった政権党党首選での「頂上対決」。「どちらが勝つか分からない」というガチンコ勝負のスリルとサスペンス。7月の参院選で党勢回復のきっかけをつかんだはずのライバル自民党もなすすべもなく政局の片隅に追いやられた。
◇実は「小差」―菅VS小沢代表選
「自民党でもここまでえげつない戦いはしなかった」(長老)といわれるほどの血みどろの戦い。菅、小沢両陣営は敵意むき出しで「何でもあり」の多数派工作を展開、追いつめられた“中立派”議員の多くは雲隠れを余儀なくされた。ポストで釣り、次期総選挙での公認を絡めて脅す…。投票日直前には小沢氏側近の女性議員のスキャンダルが一斉に週刊誌に掲載されるなど“謀略”も飛び交い、400人を超える民主党国会議員は連日連夜、永田町周辺での密談に狂奔した。
政治史に残る2010年9月14日。投開票の舞台となったのはザ・プリンスパークタワー東京。隣接するのは東京タワー。あと一年余りで竣工する東京スカイツリーに追い抜かれるとはいえ、長くその高さと展望のよさで愛された首都東京の名所だ。大宴会場を仕切り、カメラの砲列と取材記者の大集団の前で行われた民主党国会議員の投票。ポイント制による菅、小沢両候補の得票結果は「721対491」。予想外ともいえる大差で菅首相の続投が決まった。
マスコミはこぞって「菅氏大勝」「菅氏が小沢氏に大差をつける」と速報、都心部の盛り場などでは号外が配られた。しかし、続投が決まった瞬間の菅首相の表情はこわばったまま。壇上で菅首相とにこやかに握手して見せた敗者の小沢氏も、セレモニーが終わると速足で会場を去った。「戦いすんで日が暮れて」…。赤坂周辺の居酒屋などで行われた民主党議員の祝勝会や残念会も“高揚感”より“不安感”が色濃かった。
選挙結果を子細にみると、確かにポイントでは菅首相が大差をつけた。しかし、大差の原因となった約34万人が有権者の党員・サポーター票(300P=300小選挙区の勝者に1P)の実際の票数は6対4で得票率は地方議員票(100P)と同じ。比例配分なら180P対120Pとなり、菅氏 206(412P)小沢氏200(400P)だった議員票を合わせても差は100P以下の“小差”になる。しかも、「国民の代表」のはずの国会議員票ではわずか6人(12P)の僅差なのだからとても「菅首相大勝」とはいえない。「数とカネという政治文化を変えたい」と主張した菅首相が党員・サポーター票という“一部の民意”に支えられて辛うじて勝利したというのが実態だろう。
◇「脱小沢」しかない政権浮揚策
世論調査結果をみても、代表選を経て内閣支持率はV字回復したが、支持の理由は分かりやすくいえば「小沢政権誕生には反対だから」が大半。菅内閣の景気対策を含む政策運営や指導力への評価や期待はおしなべて低率にとどまっており、「脱小沢」「反小沢」が“命綱”という構図が鮮明だ。国民的人気で長期政権を実現した小泉純一郎元首相が「自民党内の抵抗勢力との対決」を政権浮揚に利用したように「小沢氏との対決」しか菅内閣の存在理由はないともいえる。だからこそ、菅陣営には「これからどうなるのか」という先行きへの不安感が拭えなかったのだ。
代表選後の党役員・内閣改造人事をみると党は岡田克也幹事長、玄葉光一郎政調会長国家戦略相兼務)、内閣は仙石由人官房長官、前原誠司外相、野田義彦財務相など要職はすべて小沢氏に批判的な人物ばかり。海江田万理経済財政相など小沢氏支持派も起用はしたが、小沢グループからの入閣はゼロ。首相自身は「(脱小沢などは)全く念頭なかった」と力説し、副大臣・政務官人事での小沢グループ起用で挙党態勢をアピールして見せたが、「単なる帳尻あわせ」(官邸筋)の感は否めない。
改造人事で菅首相は小沢氏に「党代表代行」を打診したが小沢氏は「一兵卒として協力したい」と拒否した。後日、小沢氏自身が「受けないことを見越してのアリバイ作り」と側近に不快感を示したとされる。自由党を率いて民主党に合流した際、小沢氏は「一兵卒」を希望した。昨年6月に鳩山由紀夫前首相と“抱き合い心中”を余儀なくされたあともやはり「一兵卒」となり、代表選に出馬した。政界では「小沢氏は一兵卒の時が一番恐い」というのが定説だ。永田町では早くも「秋の臨時国会で菅内閣が野党に追い込まれれば行動を起こす」「年度末の来年3月に政権運営が行き詰れば党を割って政界再編を仕掛ける」などぶっそうな予測が飛び交っている。
◇10月の「検審議決」は“時限爆弾”に
「まだまだ勝負はついていない」(側近)と再起を期す小沢氏にとっての“時限爆弾”は「政治資金規正法違反」事件に絡む東京第5検察審査会の2度目の議決。10月中と予想されるこの検審議決でもし「起訴相当」を免れれば、「完全に潔白」という小沢氏の主張が実質的に認められたことになり「虎が野に放たれる」(自民幹部)ことは確実。一方「強制起訴」となった場合、もちろん小沢陣営のダメージは大きいが、「堂々と法廷で闘う」と公言してきた小沢氏に対し、首相や岡田幹事長が「離党勧告」すれば小沢グループとの亀裂が決定的になる。逆に首相らが党分裂などを恐れて何もしなければ、野党の攻撃だけでなく「脱小沢」を求めてきた世論の集中砲火を浴び、内閣支持率も急落することは間違いない。
政局秋の陣を展望すると「小沢問題」はまさに続投・菅政権の前途に横たわる強力な地雷だが、内政、外交両分野の政策でも火種には事欠かない。内政ではもちろん円高・株価下落への対応などが焦眉の急だが、突発事件だった尖閣諸島での漁船衝突事件への菅政権の対応は「外交音痴」ぶりをさらけ出した。
◇中国の圧力に屈した「漁船衝突事件」
沖縄・尖閣諸島付近で海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突したのは9月7日。政府は事件発生を受け「日本の国内法にのっとって粛々と対応する」と逮捕した中国漁船船長らの取り調べを着手したが、領土問題が絡むだけに中国政府の反発は予想を超える激烈なものだった。北京に赴任したばかりの丹羽宇一郎駐中国大使を真夜中に呼びつけたのを皮切りに、中国政府要人が「船長の即時無条件釈放」を求めて次々に声明・談話を発表。果てはニューヨークで開催中の国連総会に出席した菅首相に対し、温家宝中国首相との「日中首脳会談」を拒否するなど外交戦術としても異常な日本攻撃を仕掛けてきた。
これに対し、菅首相は「冷静な対応」を繰り返すだけでいたずらに時間が経過、結局、事件から半月余り経過した9月24日、船長を拘束して取り調べていた那覇地検が処分保留での釈放を決定した。同地検は「わが国国民への影響や今後の日中関係を考慮」して身柄拘束による捜査継続を断念したと説明したが、「中国の圧力に屈した」(自民党幹部)ことは明白だ。
首相や前原誠司外相ら政府最高幹部は「尖閣諸島には領土問題は存在しない、国内法で毅然として対応するだけだ」と口を揃えていたのに、中国の一大攻勢の前にあっさりと腰が砕けた。「最後まで戦うつもりがないのなら、初めから中国側に配慮して船長らを釈放すべきだった。中途半端な対応で国益を損なう結果を招いた」(外交専門家)との批判は当然だろう。そもそも、事件発生時は代表選の最中で首相らは真剣に対応せず、菅首相続投決定後に日中関係が一気に緊張してからも「様子見」を決め込んだことが“外交的敗北”の原因だ。「外交は不得手」との評価を首相自らが立証してしまった格好でもある。
◇「仙菅ヤマト」の運命やいかに…
最近、永田町で囃したてられてきた「菅づくし」という言葉遊びに次々と「新語」が登場している。「勘違い」ならぬ「菅違い」や「鈍感」ならぬ「鈍菅」。今回の漁船衝突事件への対応はまさに「菅違い」と「鈍菅」といわれても仕方がない。極め付きの新語は「仙菅ヤマト」。同事件はもとより、円高対応のための為替介入や「脱小沢」の改造内閣の人事など菅政権の重要案件の対応はすべて「仙石由人官房長官の仕切り」(官邸筋)という揶揄だ。「首相は仙石官房長官が姿を見せるとあわてて居ずまいを正す」というのが永田町の噂。 これでは、いくら「長期政権」といっても“絵空事”としか聞こえない。ちなみに語源の「戦艦大和」は世界最大の不沈戦艦として建造されたが、太平洋戦争末期に往路のみの燃料で「最後の戦い」に出撃したものの米軍の航空戦力の前にあえなく撃沈、「悲劇の末路」を迎えたことは誰もが知っている。
(平成22年9月24日記)
平河三郎 |
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