ゴールデンウィークも明けて

 ゴールデンウイークも終わりました。

 私の住む青森では、近年にない大雪と寒さで雪融けが遅れ、全国的な名所である弘前城などの桜の開花が遅れ、心配されていましたが、連休直前の暖気でほぼ期間中に満開となり、ほっとした感じです。

 政治の方で見れば、この連休明けから、大きな課題というよりも、先送りされてきた課題に対し、政府・与党は、6月中旬の会期末に向けて次々に結論を出していかなければなりません。まず最初に、小沢氏無罪判決を受けて(控訴の有無も多少影響するでしょうが)、党内的にどう復権させるか、またマスコミを中心に世論がどう反応するのか、興味あるところです。

 続いて、連休前4月20日に参議院で問責決議を受けた、前田武志国交相と田中直紀防衛相の2人への、野田首相の対応が注目されます。2人の辞任がなければ、参議院での審議は、事実上ストップします。いろいろな与野党間の駆け引きはあるとしても、最終的には野田首相と谷垣自民党総裁をはじめとする野党側のチキンレースになると思います。

 政策面を見ても、野田首相が政治生命をかける消費税・いわゆる「税と社会保障の一体改革」の行方は不透明なままですし、原子力規制庁をめぐる問題をはじめとする大災害対策、原発事故対策も、進んでいません。その一方で、大飯原発再稼動をめぐる動きにもみられるように、再稼動しない場合の夏の電力不足への具体策を決める時期も、どんどん迫ってきています。この他、TPPの問題も具体的に前進が何も見えてきていませんし、北朝鮮のミサイル発射問題、更には、欧州の経済危機の再燃懸念、イランの核開発疑惑等など、重大課題が、文字通り山積しています。

 そして何より、そうした問題解決に、最終的な効果を示す解散総選挙も、衆議院の定数格差が最高裁で違憲状態とされながら、各党間の調整はほとんど進んでいません。このまま、ずるずるといけば、解散総選挙をしても、一部の選挙区に限られる気はしますが、選挙が違憲無効となる可能性が強くなるばかりです。0増5減といった簡単に選挙区定数だけを減らす改正でも、選挙区割を調整したり、有権者に周知徹底する期間を考えれば、まず最初に取り組まなければいけない課題とすら言えます。

 こんな重大問題が山積みしているのに、どんな段取りで一つ一つ結論を出していくのか、全く見当がつかない状況です。まさに「決められない」民主党政権のツケがたまっている状態です。いずれにしろ、連休明けから、それぞれ何らかの結論を出していかなければならないのですが、その決め方、段取りを考えたとき、ますます国民・有権者の間に政治不信が深まるのではないかと、危惧するばかりです。

 その一方で、地元でも話を聞くと、かなりの方が、「自民党は反対ばかりしていないで、対案を出したら」と言われます。マスコミ報道のやり方もあるのでしょうが、すでに出されている自民党の対案に対しての知識のない方が、多いと感じます。勿論、PR不足も否定しませんが。

 連休明け、一日一日変化する政治の中で、どう対応していくか、私自身の力量も問われる時期だと思います。心して行動したいと思っています。


(5月6日記)




東日本大震災より1年

 早いもので、東日本大震災から一年が過ぎました。

 原発事故対策やガレキ処理などを見ても、復興の言葉が虚しく聞こえ、復旧すらメドもついていない現状に、何とも申し訳ない、すみませんというのが、私の今の“いつわらざる”気持ちです。

 そう言えば、両陛下御臨席の下、国立劇場で行われた一周年の追悼式典の際、台湾(中華民国)政府代表を、外交官の指名献花ではなく、一般人に混ざっての献花という、極めて“無礼”な扱いをしました。被災に際し、世界各国の中で文字通り桁違い(昨年3月末で、台湾180億円、ちなみに第2位アメリカは90億円)の義援金を、しかもほとんどが民間から支援した親日国・台湾に対して、本当にひどい対応でした。それもこのことに対する官房長官の陳謝が二転三転し、結局外務省の対中配慮の結果がにじみ出てきました。ことなかれの外務省の姿勢が、かえって国民の日本外交、中国不信を深め、日中友好にむしろ逆効果になることを考えていないのでしょうか。何とか今だけ逃げればよいという、その場しのぎの日本外交になる(なっている)ことを憂慮するばかりです。

 一方、国会では、参議院に予算案が来て、予算委員である私も、毎日のように朝9時から、夕方5時まで、昼休み1時間を除き、原則ずっと座り続ける“苦行”をしています。

 予算委員会の審議内容についてはテレビ中継もかなり行われており、見た方はご承知のことと思いますが、田中防衛大臣の能力については、一言、あきれはてて、唖然とするばかりです。質問通告はされており、事後に役所方からのレクチャーもあるのに、とんちんかんというか的外れの答弁のくり返しが続いています。P3C(哨戒機)とPAC3(対空ミサイル)の区別もつかないといった知識がないだけでは説明がつかない、極論かもしれませんが日常の会話ですら、おぼつかないという感が強くします。たとえて言えば、「Aはどうなっているか」と問われ、「Bはこうなっています」と平気で答え、「質問に答えてない」とやじられると「すみません、Cはこういうことで、Aは関係ありません」とまさにトンチンカンな答え。その都度、委員長席に各会派の理事が集まり、協議、委員長の「質問者もう一度くり返し質問して下さい」という光景が、幾度となくくり返しました。挙げ句の果てに、「時間をかけて(役人の答弁書を書いてもらい)まとめてから答弁しろ」と、あきれた与党側の「助け舟」が出ることもしばしばでした。まさに不適材、不適所の典型です。野田首相の任命責任重大です。防衛大臣は参議院議員から、それも親小沢派からの順送り人事という、輿石幹事長の采配でしょう。問責当確です。やりとりを聞いていて、それこそこちらも疲れるというのが実感です。

 いずれにしろ、4月6日に予算は自然成立します。参議院としては、その前に暫定予算も成立させなければなりません。さらに予算はともかく、焦点は、予算の財源に関する国債発行を可能とする特別法です。成立しなければ、9月で国庫はカラになり、野田政権は責任を取らざるを得ず、解散か総辞職しなければならなくなります。その点を視野に入れて、予算成立した後の4月初旬に田中防衛大臣の問責、さらに野田首相に対する問責決議案の取り扱い(と成立)がまず問題となります。この後2〜3週間が、ヤマ場なことは間違いないでしょう。


(3月21日記)




新年会

 今年も皆様のお陰で無事、新年会を開く事が出来ました。新年会の最後のご挨拶は末娘の結子が一本締めをしました。


(2月29日記)



予算委員会での質問

 2012年2月7日、参議院予算委員会で久しぶりに、質疑を行いました。一昨年の当選後初めてですし、前回の質問は平成19年3月でしたから、ほぼ5年ぶりになります。

 参議院の場合は、質問時間は質問している時間だけはかる「片道」なので、政府側の答弁時間は含まないため、だらだら長かったり、とんちんかんな時間かせぎの答弁が効力を“発揮”できない利点がありますが、その分、質問時間が短く、つい演説すると、あっという間に時間切れになるケースも、まま見られます。

 今回の私の質問時間は16分でした。久しぶりの質問、それも質問冒頭で言っていますが、これまで政府がケジメがついていないというか、はっきり結論を出さないまま、うやむやになった感じがしている問題を取り上げました。ただ、時間配分を含め、範囲を広げすぎて、追及が不足だったのではという反省があります。この質問を土台にして、次の機会でより追及的にしたいと思っています。

 ただ詳しくは、質問内容をみていただくとして、小川法務相のようになぜか私の質問に答えなくてもいい「誤答」をしたり、小宮山厚労相のように不手際で委員会で陳謝するケースが、他の委員会でもみられます。私の顔が政府与党側に平常心を失わせるような刺激を与えているのかなとも思ってしまいます。


(2月8日記)



後援会の皆様へ

 新年明けましておめでとうございます。皆様はこの新しい年を、安らかなお気持ちで迎えられておられますでしょうか。

 例年にない表現になってしまいましたが、やはり念頭に昨年3月11日の東日本大震災の記憶が抜けきれずにいるからだと、自分自身思います。

 本県でも、4人の死者・行方不明者を出したほか、八戸市などの沿岸部で、大きな被害をもたらしました。

 本県以上に大きな被害を出した、岩手、宮城、福島などに親類や友人・知人のおられる方も多いと思います。私自身、岩手県釜石市に親類がおり、被災しました。幸い、生命は無事でしたが、その後の生活面では大変な苦労をしています。

 今回の大震災、特に津波の件に関しては私自身のことについて、この際、記しておきたいと思います。私の生家は、今もある母の実家で、岩手県九戸郡洋野町です。生まれた当時は種市村でした。海岸から200m程の海崖の上の町中にあり、幸い今回も津波の被害はありませんでした。それでも昭和8年の昭和大津波について、母方の祖母から聞かされていました。当時母は6歳、早生まれの小学1年生の時で、母は”怖い”という記憶しかないとのことでしたが、祖母が集落のはずれの低地に家が建ち始めていたことについて、「あそこは、全部流された所なのに。また(津波が)来たら流される」と心配していました。私自身幼心にはっきり憶えています。テレビの画面に津波の襲来が写し出され家々が次々に破壊される姿を見たとき、多くの方は「こんなことは想像できなかった」と言われていましたが、私自身は「ああ、これが津波なんだ。本当に黒い波だ」と”既視感”がありました。

 幸い祖母の心配したその低地も、その後10mを超える防潮堤の完成で、海側の漁業施設等はやられましたが、人命、家屋・財産は無事だったそうです。付記すれば、一部では報道されましたが、洋野町から南側、久慈市をはさんだ所の普代村でも、当時の村長(故人)が「祖母から聞いた明治の大津波の規模からみて、10mの防潮堤、河口堰では防げない」と確信し、当時国や県からの指導のあった10mでは不足だと何度もかけあい、15m以上で完成させ、普代本村と太田名部の集落を救っています。無駄使いではないかと、当時白い目で見られたとも聞きましたが、科学への信頼性と行政、そして地域の人々との関係を、政治がどう判断するか、私自身にとって、何回考えても正解の出ない難問です。しかし、それで救われた生命・財産もあったことは厳然たる事実です。

 今回の大震災の教訓で言えば、政治の対応力の拙さは紛れもない事実です。菅内閣の能力のみならず、菅直人首相のトップリーダーとしての資質に問題があったと言わざるを得ません。まずい人が総理のときに発生したと、つくづく思います。原発事故と津波対策を分けて処理しなければならない時に、原発事故対策に自分の価値観でのめりこみ、かえって混乱を招いたのみならず、6月の不信任騒動の後に、この震災、原発対策を己の延命策にする姿勢がありありでした。政治の具体的対応の根幹となる対策費(補正予算)も遅れに遅れ、被災者の方々の苦労を、いたずらに長引かせる結果となりました。とても許せるものではないと、私自身思っています。

 その一方で、私自身は野党の悲哀をいやというほど味あわされました。野党中心の議員立法で成立させた政策(二重ローン対策など)もありますが、いくら対策を提言しても(自民党は最終的に577もの提言をしています)、野党では自ら実行できないからです。

 民主党政権は、議論はできても、もっとも大切なその結論を被災者のために実行に移す、という感覚が欠けていた、としか言いようがありません。そのために、最低2ヶ月、もしかすると3ヶ月、復旧復興事業が遅れたと、私自身確信しています。

 その一方で、そうした民主党政権を誕生させてしまった、自民党政権時代の”オゴリ”というか、与党ボケに、もう一度深刻な反省が必要だとも感じました。また、私自身、特に感じたことを別項に記しました。

 さて、今年のことですが、1月24日から通常国会が開かれます。まず、第一の課題は、昨年暮れの臨時国会の際、参議院で問責決議を受けた二大臣の問題でした。1月13日の内閣改造で他の3人の大臣とともに「更迭」されましたが、もし在任のままだったら国会は冒頭から大荒れになっていたことは確実です。永田町では「3−6−9」、つまり、3月、6月、9月に解散総選挙の可能性が高いと言われています。詳しくは述べませんが予算審議などの国会日程から、その時期に可能性が高まるのは事実で、もちろん私を含め自民党(野党)側は、できるだけ早く解散に追い込む決意でいます。

 そういえば、2012年は、世界的に指導者交代の年と言えるでしょう。アメリカと台湾は大統領(総統)選挙、台湾はこの文章を皆様が読まれる時点では結論が出ているでしょうが、両選挙とも現職が安泰とはいえない状況で、政権交代となれば、わが国にも大きな影響が出るでしょう。そして、ロシア、中国、韓国でも指導者が変わります。北朝鮮もすでに代わり、安定性が試される年です。このほか、フランスやエジプト、リビアなどアラブの春の各国でどうなるか、政治的に世界で大きな変化が起こりうる年と言えるでしょう。こうした中で、わが日本国はどうなるのか、というわけです。

 世界的な意味で、ギリシアを発端とするユーロ危機、のみならず世界大恐慌のおそれ、それと密接に関係する円高、それが国内ではデフレ不況問題につながります。

 わが国自体にとって見ても、普天間基地などの安全保障問題を別にしても、野田内閣がなぜか急ぐTPP問題。今話題の税と社会保障の一体改革を旗印とする消費税問題。違憲状態と宣告され、現行制度のまま選挙になれば「選挙無効の違憲判決」が出かねない、衆参両院の国会議員の定数削減を含めた議員定数格差是正の問題。そして、公務員給与削減。これは、人事院制度をどうするかの問題もあり、地味ながら厄介な課題です。真打ちは、原子力発電をどうするかを含めて、今後のエネルギー政策の見直しの問題。どれ一つをとっても、一内閣で一つ解決するのが精一杯、という難題ばかりです。しかも、野田内閣の姿勢で一番問題なのは、どの課題にまず重点を置いてといった順序付けが全く感じられないことです。

 ここまで考えてくると、できるだけ早い時期に国民に信を問い、その結果を踏まえ新しい枠組みの政権で、この与野党共通の日本国の課題に取り組もう−という考えに御賛同いただけるのではないでしょうか。具体的な課題を一つ取り上げると、青森県を含む地方経済にとって大きな問題は、何といっても急浮上してきた「環太平洋経済連携協定」(TPP)交渉参加問題です。国論を二分している形のこのTPPは、原則として例外品目がない、百パーセント自由化を実現する自由貿易協定で、焦点となっている農産物の輸出入や医療、保険だけでなく、他の物品の貿易は勿論、サービス、政府調達、知的財産権など幅広い21の分野が対象です。

 「できもしないことを言う元総理」、「思い付きだけで言う前総理」の次に登場した「何も語らない総理」には、TPPのプラス面マイナス面を明らかにして国民の理解を得ようという姿勢が見られません。農業県としての青森県にとってだけでなく、日本国全体としても、今の説明のままではとてもTPPに賛成するわけにいかない、との姿勢で取り組んでいきます。その際、何より、その交渉の内容はどんなものなのか、しっかり政府側に情報提供を求めていきます。

 こうした課題を抱える中、私自身の現状について報告しますと、昨年秋の党内人事で役職等が変わりました。まず、党内からいくと「総務」になりました。党の総務会は、党大会、両院議員総会に次ぐ、事実上の党の最高意思決定機関です。参議院では、予算委員会、総務常任委員会に所属、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会の野党筆頭理事、改選まで会長をしていた国民生活・経済・社会保障に関する調査会委員。そして国会として、長い名称ですが、東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議員運営委員会の合同会議委員です。このほか、国土交通省に設置されている審議会の一つである、国土開発幹線自動車道建設会議の委員にも就任しました。

 結びとなりますが、郷土青森の皆様の思いを忘れず、与えられた職務に全力を尽くすことをお約束し、本年が皆様方にとって、よりよい年になりますことをご祈念して、年頭の挨拶とさせていただきます。


(1月21日記)



第179回臨時国会が終了しました

 臨時国会が12月9日、当初予想されたより早く、延長なしで終了しました。

 最大の懸案は、第三次補正予算、あまりにも遅く、復興はとてもとても、復旧すらおぼつかない細部を詰めていない不十分極まる内容でしたが、これ以上、被災者の方々の窮状を放置できないとの判断から、反対できない、賛成という形をとりました。

 同時に、問題発言が相次いだ一川防衛相、それに“マルチ(販売)の大将”山岡国家公安委員長・消費者庁担当相の問責決議案が採択されました。法律的拘束力はないと政府与党は言っていますが、参議院の意志決定ですから、今後、最低限、両大臣の出席するいかなる本会議、委員会も実質的に開けなくなる事になります。

 それを見越しての会期延長なしでの国会終了だったのでしょう。年明けに予定をしている通常国会冒頭の第4次補正予算や24年度予算審議にはいれないばかりか、国会召集すら、このままではできないことになりかねません。内閣改造など政府与党側が、どう仕切り直してくるか―といったところです。あれだけ言われながら、かばい続けた野田総理が、どうするかです。

 大震災対策や、予算のみならず、TPP問題、消費税増税問題、沖縄の普天間基地移設問題、さらには最高裁から違憲(状態)判決がでて、今のまま次の選挙に突入すれば「違憲選挙無効」判決が出かねない衆参両院の定数是正問題と、次期国会中に決着をつけなければいけない課題山積、しかも難問ばかりです。

 そう言えば成立した三次補正を審議した予算委員会で、最後の討論の際、(自民党の)同僚議員が「三次補正までは協力したが、今後は解散総選挙に追い込むため、対決姿勢でいく」と締めくくりました。

 来年は世界的にも選挙の年(アメリカ、ロシア、中国、台湾、韓国)です。わが国でも、その予感がします。


(12月9日記)


第179回臨時国会がスタートしました

 10月20日から臨時国会がスタートしました。言うまでもなく大震災対策の第三次補正予算の審議が主要課題です。

 これと時を合わせて、私の所属する自民党の人事が行われました。私自身について言えば、党内事情により、国民生活・経済・社会保障に関する調査会の会長職を辞することになりました。後任は、参議院自民党の幹事長候補に名前のあがった大臣経験者です。調査会長は原則3年間ということなので、留任という可能性もあると思っていましたが、他の人事との関連でということなのでしょう。というわけで、今後の一年間の私の役職は、党は自由民主党総務と財務委員会委員(留任)、参議院では、予算委員会、総務常任委員会の各委員(留任)。政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会の(野党)筆頭理事、国民生活・経済・社会保障に関する調査会委員といったところです。

 調査会長在任中は、所属する常任委員会(1つ)以外での諸委員会質問は遠慮するという慣例から、予算委員会での質問はできませんでしたが、離任後の今国会からは、質問の機会が与えられると思っています。どう民主党政権を追い詰めるか、無い知恵を絞って準備しているところです。  野田内閣と しては、事実上初の実質審議の場となります。鳩山、菅と“特異”な性格な人と私には思える首相のあと“どじょう”を自認し、“普通”の会話、論議のできる人との評価のある野田首相が、元前両首相の失政の後始末を含め、どのように、困難な我が国の現状をよりよく回復していこうとしているのか、まずは、お手並み拝見です。


(10月26日記)


首相が民間人に“決死隊”強制???

 大震災から半年、菅内閣がついに退陣したが、その菅前首相が震災直後の福島原発事故の対応について、マスコミへの発言を始めた。原発事故の真相究明が国家の重大事として、別途作業が進められている中で、“追及”の行われにくい、いわば一方通行のマスコミへの発言を、当時の最高責任者がしてよいかどうか、それ自体が、真相究明へのある種の“圧力”にならないか、いかがなものか、と私には思われる。しかし、今回は、その点には触れず、発言内容自体に、私にはとても考えなければならない問題点があると感じられた。

 それは、枝野官房長官(当時・現経済産業相)も、言及しているが、いくら国家・国民・国益のためとは言え、民間人に“死地”におもむけ、「死んでくれ」と、国の最高権力者が命ずることができるのか、という問題だ。もちろん、爆発前夜、東京電力側からの、制御不能、全員退避の意向伝達にがまんできず、自ら東電本社に乗り込んで「怒鳴り散らした」あるいは「強く要請した」と述べている件に関してである。

 東電側は「必要(最低)人員を残しての一時退避」と説明しているが、菅首相側は「全面退避」との疑いを強め、東電本社に菅総理自ら乗り込んだと改めて報じられている。細部の事実関係はともかく、被害拡大阻止のため、東電職員や関係作業員が死にいたる危険性がある事を認識した上で、「強く要請」したことは間違いなさそうだ。

 これは、現在の法体系の下で、首相自ら民間人に「決死隊」的行動を半ば強制することが許されるかどうかという問題だと私には思えるのだ。

 勿論、職務の性質上、例えば自衛隊員や警察、あるいは消防という公務員の場合は、当然こうした命令はあり得よう。しかし、相手は民間人である。軍事であっても、「降伏は許さない、最後の一兵まで闘え」という命令が、旧日本帝国や、ナチスドイツの軍隊で第二次大戦中たびたびなされ、それが「非人道性」を示す一つの事例として、特に人権派とされる層から言われていたことは、私の脳裏には明確に存在する。まさに「人の命ほど大切なものはない」とは、現在も強く意識されている否定しづらい“正論”である。

 欧米化、近代化した(はずの)日本国民全般にも共通する価値観であろう。だから「人命より大切なものがある」との価値観をことさら無視する姿勢が、マスコミ等にも見受けられる。
 私がその事に気付いたのは、かなり以前、40年以上前のことだった。ベトナム反戦運動はなやかりしころ、サイゴン陥落ベトナム統一への動きの中で、ベトナム建国の英雄ホー・チ・ミンの発言として、確か「(ベトナム)民族の、独立(統一)ほど大切なものはない」の言葉があることを知った時だ。だからこそ、「あれほどの人命の犠牲を覚悟し、反米独立戦争を勝ち抜いたのか、イデオロギーはともかく、大したものだ」と感心した。それと同時に、ベトナム反戦活動家の言動、価値観にギャップを感じてしまった。人命最優先は今でもいわゆる人権派、市民活動家の人々に連なる考え方(価値観)ではないだろうか。その一員だったと思われる菅総理だけに、一層の違和感を私自身感じてしまったのではないか、と今自己分析しているところだ。

 この問題、現時点では、二つの側面があると思う。

 一つは、発生10年になる9・11同時多発テロ、即ち、宗教的目的の為には自らを含む人命に配慮しない、イスラム原理(過激)主義者にどう対応したらよいか。

 もう一つは、民間人に命に関わる自己犠牲を権力が求めてよいのか、という問題だ。

 特に後者については、これまでの私の論調と矛盾するかもしれないが、かつては民間への自己犠牲を当然視する価値観が確かに存在した。ある種の職業倫理への期待とも言える。典型例が客船が遭難した時の船員の対応だ。沈没が確実視される中でも、たとえ逃げ遅れて死ぬ確率が高くても、船員はまず乗客を最優先に避難させ、その後でなければ避難してはならない、というモラルがあった。現在でも存在していると思う。

 しかし、その事をもって、時の最高権力者が、政府が、乗員は避難するなと強要することが許されるだろうか。まして、今回のケースは、乗客(住民)避難は、船員(東電)の責任ではなく、政府の責任の筈だ。もちろん、東京電力の責任は重い、しかし、同罪とも言える監督官庁、組織の責任はどうなるのか、どう責任をとらせるつもりなのか。総辞職のドサクサまぎれに朝鮮学校への授業料無償化を指示する一方、その役所の責任については何も触れないまま、首相の座を去ってしまった。民間人の人命にかかわる指示をしておきながら自己の周辺(身内)に甘い体質を、総理にまでのぼりつめた市民運動家ですら持っていたという現実を、私自身は深く考えさせられている。革命を目指した同世代が、同志へのリンチ殺人や無差別テロを繰り返し、今でも地球より重い人命とひきかえに逃亡を続けている現実もオーバーラップしてしまう。。


(9月14日記)


野党にとって攻めにくい野田首相

 新しい民主党代表、即ち日本国の新首相に野田佳彦氏(菅内閣財務相)が就任しました。私自身は、代表選は親小沢対反小沢、親前原対反前原の組み合わせで、本命海江田、対抗前原、穴が鹿野、大穴野田とレースを読みましたが、結果は、大穴が一着となりました。私の予想以上に、小沢、前原両氏に対する拒否反応が、民主党議員に強かったことになります。

 「キンギョ」ではなく、「ドジョウ」を標榜する野田氏の手法は、「キンギョは誰に対するあてつけか」「ドジョウの泥出しをどうするつもりか、そのままでは食べづらい(評価を受けにくい)のを知っているのか」といった批評はともかく、正直、野党の我々からすれば、攻めにくいと思います。かつて安保条約改定後、「強権的」な岸内閣から、「低姿勢」を打ち出した池田内閣の手法を思い出させるといったベテラン先輩議員の評もありました。しかし、それだけに今後、いかに民主党内の批判勢力(親小沢、マニフェスト護持派)の協力を得ながら政権運営できるかがポイントとなってきます。その意味でも幹事長に就任した輿石参議院議員会長の動向が注目されるところです。平野国会対策委員長の任命と併せ「労働組合」的な政権運営になるのでは、との懸念も出ています。

 まずはお手並み拝見ですが、当方参院自民党の中曽根会長、小坂幹事長への反発による内紛が表面化してしまいました。これも昨年の参院選直後の会長選が異例の投票となり、同数クジ引きで誕生した中曽根会長・執行部のその後の党・国会運営に対する積み重なった反発が根底にありますから、意外に厄介な問題です。

 一般の国民の方々には、まさに関係のない「コップの中の嵐」騒動ですが、議員一人一人も同じ人間、感情の動物ですから、その点への考慮不足というか、人の心への配慮不足という、これまでの民主党政権のやり方と、悪い意味で共通点があるように思えてなりません。いわば、「国難の時にそんなことをやっている場合か」という“正論”と「国難を言い訳になすべきことをしていない」との不信の対立です。

 一連の政界の動きに対する私自身の感じ方を自己分析してみると、私も何か古い感覚の人間の仲間入りしてきたようで、いささか複雑な心境ではあります。


(8月31日記)


長引いただけの印象が強い菅首相がようやく退陣

 震災復興も含め、機動的な行政運営がなにより求められていた重要な時期に、自らの言動で長期の政治空白を招いた菅直人首相がようやく退陣。後継首相を選ぶ民主党代表選挙が始まります。キーマンは、党員資格停止中の小沢一郎元代表。政策抜きのなりふりかまわぬ権力闘争です。自民党政権時代も似た構図があり、目白の闇将軍支配とさんざんマスコミ等からたたかれました。ただ、弁解めきますが、当時は候補者も絞られて泡沫的人物は排除され、誰が総理総裁に選ばれても、少なくとも周囲、政界関係者からはそれなりに資格のある“首相候補”だと認識されていたと思います。

 話は脱線しますが、今回の民主党代表選に対して、某週刊誌の「ま(前原誠司)た(樽床伸二)馬(馬淵澄夫)鹿(鹿野道彦)の(野田佳彦)か(海江田万里)お(小沢鋭仁)」のキャプション付きグラビアがケッサクに見えてしまいます。このゴロ合わせを考えた(気付いた)記者はヤッタと感じたのではないかと、つい苦笑してしまいます。後は、“ふさわしい”顔写真、スナップ写真探しですが、きっとそれは簡単なことだったでしょう。

 話を元に戻せば、このままでは政治自体が国民から愛想をつかされることを危惧しています。それも原発被害対策を含む大震災後の復旧復興策をはじめ、米欧の財政危機や超円高、さらには急変するアラブ情勢など、何重もの困難な課題を抱えた、文字通りの国難の最中にあります。前にも触れましたが、被災民を人質にとっての、私たち野党への厚顔無恥な菅内閣からの“協力要求”に堪忍袋の緒が「切れそう」な人が、私を含め、周辺に大勢います。

 先日、参議院自民党向けに講師をしてくれた先輩記者が、「民主党政権に一番欠けているのは、政権をあずかる者としての謙虚さだ」と言っていましたが、その通りだと思いました。

 俺が俺がの受け狙いの目立ちたがり屋が多すぎます。もっとも私たち自民党にもその傾向がないわけではありません。心しなければならないことです。いずれにしろ週明けには民主党三人目の新首相誕生です。まずはお手並み拝見ですが他山の石とすべく厳しい目で見守っていこうと思っています。


(8月24日記)


震災対応(日数の比較)

 参議院本会議で7月25日、平成23年度第2次補正予算がようやく可決成立しました。遅すぎます。予算に限らず、菅民主党政権の施策は、よく too little too late、内容に乏しく、しかも遅すぎると言われますが、今回の大震災の復旧、復興向け第二弾の2次補正もその典型です。

 ちなみに、先の阪神大震災の対応を示しますが、その遅すぎは一目瞭然です。震災対策ですから当然自民党は何の妨害もしていません。


 政権としての責任感の欠如、物事を決めきれず先送りするボクシング(検討)内閣そのものです。最近は、なぐりあいの相手が民主党内になり、内ゲバの様相です。東京工業大学時代の大学紛争を思い出して、血湧き肉躍る状態とは思いたくありませんが―。しかし、新聞テレビではなぜか、無視かほとんど目立たない扱いでしたが、補正予算成立前の参院本会議で、「与党民主党」議員による賛成討論の際、民主党参議院執行部の了承の下、「場当たり的な発言や対応は、もはや政権の体をなしていない」と“罵倒”し、「国民の間に底知れぬ焦燥感と絶望感が蔓延している。首相には潔く、ご決断していただく以外に選択肢はない」と、いわば最後通告がつきつけられました。野党以上のキツイ物言いでした。

 また今月は被災からはや4ヶ月、被災者の苦しみはまだまだ続き、復旧は遅々として進みません。そして、昨年の私が復帰を果たさせていただいた参議院選挙から早1年を経過しました。この1年間私自身何をしてきたか、特に大震災以降を振り返ると忸怩たる思いです。早すぎます。

 先日、高校時代の級友と4、5年ぶりに会食しましたが、そのうちの1人は、4月の誕生日で64歳、定年退職、41年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、年金生活にはいっていました。毎日が日曜日でジム通い、腹がへこんだと自慢していました。これも何か早すぎます。確かに髪の方は、薄くなっていましたが・・・。

 銀行マンできた人間ですから、民間企業ではという言葉を枕詞として、政治の世界は、経済観念がない、ムダな費用と人が多すぎると苦言を呈されました。どんな企業でも急な物入り(出費)の場合は、人件費を筆頭に経費削減が常識なのにというわけです。もっとも震災対策として毎月議員歳費から50万円を“返上”していることは、知らなかったらしく、国会議員も多少のことはしているのか、マスコミが報道していたのかなあと、評価してくれました。

 肝心の国会ですが、参議院の自民党は、大震災に直接関係するものは協力、それ以外は菅内閣の下では協力できないとの原則が、執行部から示されています。その点で言えば菅首相ご執心の、脱原発、再生エネルギーへの転換を目指す、再生エネルギー法案の取り扱いが、今後の焦点となることは間違いなさそうです。暑い夏が続きそうです。体幹温度があまり上がらないよう、熱中症にならないよう気をつけます。


(7月27日記)



通常国会会期末となる22日

 通常国会会期末となる22日、国会は70日間の会期延長を決めました。

 政権側は当日まで会期幅などを含めて決められず、度重なる菅官邸側と岡田民主党側の“交渉”など、不様な対応ぶりはテレビ等で、いやになるほど報道されて、周知のことと思いますので、その点は詳しくは触れません。

 退陣表明した筈の菅首相の政権しがみつき、総理の座への、それこそ‘石にかじりついても,の執着ぶりが浮き上がっています。鳩山前総理の‘ペテン,発言も、過去の話の様です。  

 “交渉”の際、西岡参議院議長も言及しているように、「新総理の下」での第三次補正を「新体制の下」でと修正させ、菅政権の後も菅政権の余地をわざわざ残す作業をしているのですから、退陣表明したこと自体たいして気にしていないのでしょう。  

 そういえば、孫ソフトバンク社長らを前に、「私の顔を見たくない人が・・・」の発言にみられるように、本人自身、蛇蝎(ヘビとサソリ)の如く嫌われていることを自覚していて平気なのですから、たいした御仁です。

 まさに、議会人として尊敬すべき尾崎咢堂翁の言をもじらせていただければ、(大震災)被災民を胸壁に(震災)復興予算を弾丸にして、己が政権維持を図らんとする所業です。暗然とせざるを得ません。

 その一方、我が所属する自由民主党の対応もスッキリしたものとは言えません。「震災復興に与野党協力して」あるいは「政治(国会)は何をしているのか」という多くみられる国民世論に、菅政権を攻撃することが、さかなでするのではという怖れをいだいているからです。

 参議院での、問責決議も出せずじまいでした。出すタイミングをつかめないまま(延長されましたが)、会期末を迎えました。延長国会で、出すタイミングがあるか、またつかまえられるかどうか。党内から聞こえるのは、国民有権者に、立法(国会)と行政(政府)の役割分担を理解してくれる人が少ないという、ナゲキ節です。国民も(自民党と同様)与党ボケというわけです。

 確かに野党議員として、対震災用の立法作業では十分協力している。必要な法案を出せない菅政府側をおぎなう意味での議員立法も出している。政府に欠ける行政能力不足とそれに伴う被災者の窮状に対し、アイデアを提供までしているのに、ああそれなのに野党側を同罪視するのは、という‘ナゲキ,です。

 いやな暑さの夏の国会が続きそうです。


(6月23日記)



原発事故の責任

 過日、地元の結婚式場で隣り合わせた知人からこう聞かれました。「誤解されやすいことなので、他では言いづらいことだが、東京電力は国の定めた基準どおり原発を造ったのでしょう。それに違反していたのならともかく、基準を守っていて天災に遭い、その被害を全面補償しろというのは、酷ではありませんか」と言うのです。企業経営の経験から、そう感じていたのでしょう。冷静かつ客観的にみれば、むしろ当然の考え方だと、私も思います。

 ただ、原子力損害賠償法では、東京電力など電力会社に、無過失、無制限の賠償責任を定めた条文があります。つまり、現行法では東電側に落ち度が全くなくても、被害額を全額支払わなければならないことになっているのです。もっとも但し書きで、異常に巨大な自然災害や戦争や内乱によるものは、免責とする規定も設けられています。

 東電社長が、今回の大津波が、この免責条項に相当する可能性もあるとの“願望的”発言をしたのに対し、枝野官房長官が、免責の自然災害は、人類がいまだ経験したことのないような、巨大規模の災害で、今回の津波はそこまでいっていない(=東電に全責任あり)といった意味の発言をしていた記憶をお持ちの方もおられると思います。これには、「政府と東電の責任の押し付け合い」と批判的な報道も多かったはずです。

 ただ、この問題、被災者救済を優先する考え方(当然のことだが)から、そんなことより、「東電よ、早く金を出せ」といった、「その日の生活にも困っている」被災者の気持ちと対策を重視するあまり、法律に基づく根本解決を放置しているように私には思えます。法的問題について適当な時期に結論を出さなければ、救済策全体が先に進まなくなるおそれがあると思うのです。

 まず、一民間会社に無過失、無制限の責任を負わせる法律自体、極めて異例です。東電の株主から見れば、とても、リスキーな法律で、今回のようなことがあると、株券は紙クズになりかねません。特に、今回は日本一とされるほど資産豊富な東京電力だから倒産しないこともありうるわけですが、別の電力会社、特に北陸や中国、四国といた規模の電力会社が、今回と同規模の被害を発生させたら、被害補償など不可能です。今回のことで、株主としては、他社の電力株に対しても、不安を掻き立てられるのは当然のことです。しかも、これまで安定・優良株として、金融機関をはじめ、多数の大企業が保持していた実態を考えれば、影響は極めて大きいといえます。 それに加えて菅首相が、年度末目前に東電国有化ともとれる発言をしましたが、経済オンチのそしりを免れません。案の定、東京電力株が急落し、決算時期を控えた(株主)企業の財務状況に悪影響を及ぼしました。ただでさえ、この大震災で景気回復に黄信号が出ているのに、この悪化させられた決算で、各企業の新年度の投資環境を悪くしたことは間違いありません。

 何回も聞かされて、多くの方は耳にタコでしょうが、現政権は自らの発言や決定が、どのような影響を与えるのかについて、無頓着というか、無知が過ぎると思います。  それはともかく、何故、このような異例の法律がつくられたのか。絶対安全の神話が、その背景にあったことは間違いありませんし、そこに電力会社、あるいは学者、そして行政側に“おごり”があったとしか思えません。そして、言葉を変えると、その場さえくぐり抜ければよいとの、悪いクセが当時からあったのではないか。特に行政側にその無責任があると私には思えます。何故かといえば、電力会社から望んで、このような法律を作るわけがないからです。

 絶対安全なら、どんな条件でも電力会社は飲めるはず、との反対派への反論が推進派や電力会社を自縄自縛にしてしまい、官僚側が示したこの法律に反対できなかったと、私には思えるのです。  

 ただ、この問題のやっかいなことは、まず、冒頭の言にあるように、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院、原子力安全委員会などの行政側が、今回の原発事故に法的責任が全くないのか、定めた安全基準は何だったのか、という点が今ひとつ不明確なことです。

 特に“想定外”の今回の津波に対し(地震には対応できた)、事実上役割を果たせなかった福島原発の防潮堤の基準を定めたのは誰か(これが今回の災害の最大原因者といえる)という肝心な点が、不明確なままなのです。時代的にもう故人になっている人でしょうが、その決定過程を明らかにしなければ、より責任があるのは東電なのか、政府(旧通産省)なのか、それとも学界なのか判然としません。原子力の専門家が、地震や津波の専門家であるわけがありません。誰(どこ)の計算で、誰の責任で、その数値を決定したのか。そのとき、東電と通産省あるいは学界はどう関与したのか。これを機会に、我が日本国の宿痾である無責任体制を明らかにし、権限と責任を一致させる体制にしていくことが、長期的に見て、日本にとって、最も大切なことではないかと、私は思っています。

 ついでに言えば、3年前とされる共産党議員による指摘に、政府側が問題なしと回答し、住民の差止請求訴訟敗訴の根拠にもなったといいますが、その際の検討内容も重要です。第二の責任者と言えるし、関係者の多くは存命、現役の人も多いでしょうから、真相を明らかにする義務が、政府にあると思います。さらに、政府の定めた基準が、もし今回のような“想定外”の巨大な震災・津波を想定しないで作っていたとしたら、時間と費用を掛けたこの基準は何の意味があったのか、と言わざるを得ません。

 東電が、もし、裁判に訴えたら、司法的には極めて興味深い事態となります。ただ結論は“国策”的な判断になりそうですが。差止請求のみならずこの意味でも“独立した”司法にも重要な責任がありますが、反応は鈍いままです。

 他方、もし政府側が、無理やり東電側を追い詰めれば、株主の立場から考えても、東電に限らず、各電力会社が、現在の無限責任を外さない限り、企業防衛上、株主保護上も原子力発電は中止するはずです。その際生ずるかもしれない電力不足や電力のコストアップなどは、政府の責任だと“経営判断”して、実行に移した場合(その度胸はないと思いますが)、日本の国民生活、経済等に対する悪影響は測り知れません。

 つまり、政府側と電力側は、お互いの強みと弱みを天秤に掛けて、ある意味、国民不在で駆け引きをしながら、事態収拾を“忠勇”なる現場に任せて時を過ごしている気がしてなりません。

 ある欧州の武官が、第二次世界大戦前の日本軍を他国軍と比較して、下士官兵は極めて優秀、下級士官は並み、高級士官は極めて劣悪と評していたことを、どこかで読んで、頷いた記憶がありますが、まさに現在の日本にも当てはまるのではないでしょうか。その意味でも、国家の命運にかかわる“判断”をした人の責任の明確化は、繰り返しますが、日本国の一大課題だと思うのです。特に世間的に下級士官の立場にいると思われる、自分自身を振り返り、これからどうその考えに沿って行動するか、改めて考えている日々です。。


(5月7日記)



異例の連休審議

 5月2日(月)の夕方、菅内閣の平成23年度第1次補正予算が、全会一致で参議院で可決成立しました。東日本大震災の被災者救済のための“第一歩”ですから成立は当然のことですし、私も賛成ボタンを押しました。その採決の際に、異例なことがありました。マスコミはほとんど扱いませんでしたが、自民党同僚による「賛成討論」です。  重要法案の採決に先立ち、本会議のみならず一般の委員会でも、「討論」が行われることがあります。各政党を代表し、その賛否の考えを訴えて、採決の際、同調者を増やそうとするものです。政党化(党議拘束)が進み、形骸化した観もありますが、各党のその法案に対する考え方を再確認する意味では貴重なものです。

 それはともかく、全党賛成のところでの賛成討論はそれだけでも異例です。その背景には、被災者のため必要な予算だけに反対できないが、日程の問題も含め、特にその財源や、それらの政府説明を聞くとき、「賛成したくなくなった」というのが、かなり多くの自民党議員の正直な気持ちということへの“配慮”があったからです。このため、賛成討論の中身も、菅内閣の退陣要求など、反対討論そのものといってよい厳しい指摘が続き、せいぜい、自民党の考えを大幅に取り入れた予算の使い道を評価した程度の“やむを得ず”賛成という、党の存在証明ともいえるものでした。政治的には、「このままでは次の復興のための第二次補正には賛成できないよ」、という意思表示とも言えるでしょう。

 通常ならゴールデンウィークは“自然休会”の時期、各議員とも地元での集会や行事参加、長期海外旅行の予定を立てるところです。それが、衆議院で4月29日、30日。参議院で5月1日、5月2日の各2日の補正予算審議日程でした。29日は祭日、30日は土曜日、1日は日曜日です。つまり、ゴールデンウィーク前半の3連休です。もちろん、被災地のことを考えれば、休日返上で働くのは、国会議員として当然ではありますが、そもそもどうしてこういう日程になったのでしょうか。簡単に言えば、3月11日の震災後、約一ヶ月の事実上の政治休戦中、震災対応に追われたこともあるのでしょうが、補正予算編成作業が大幅に遅れ、連休中に審議しないと、成立がさらに遅れる(救済の予算執行が遅れる)状況になったのが原因です。本来なら、連休前に成立する日程を前提に予算編成作業と予算案国会提出をしなければならないのが、政府の責任であるのに、無思慮であったと言わざるを得ません。まさに資質を問われる政権の典型例です。連休明けの国会、何が起こるか一寸先の闇の事態になりそうです。被災地は、まだまだひどい状況が続いています。立法府として、国会の審議は審議として、対策にあたる行政府の責任はますます重くなっていると思いますが・・・。


(5月5日記)



シー・レーション

 大災害である。被災地で活動する自衛隊員の姿をテレビでみていて、ふと「シー・レーション」の言葉が浮かんだ。

 一般のほとんどの方は、なじみのない言葉だろう。英語の得意な方々でも知らない方もおられるかもしれない。英語で記すとC−ration、即ちCombat−ration、軍事用語で意訳すると戦闘時用非常食とでも言えようか、自衛隊出身の同僚議員に確かめたところ、やはり自衛隊員は主にこのC−rationを被災地で食べているとのことだった。通常の出動の場合は、炊飯車が同行して、温かい食事を用意するのだが、炊飯車は被災者向けに活動している例が多く、自衛隊員は、C−rationとなっているようだ。

 「隊員にも温かい食事を食べさせたいが…」という、その議員の言葉に、「米軍のは確か固型燃料がセットされていた筈ですが」つい私は問い直した。「自衛隊のはそこまでいっていないのです」

 私自身のこのC−rationの思い出は、振り返ると半世紀以前に遡る。ある日、当時青森県知事をしていた祖父が、「珍しい物をもらった」と一抱えのダンボール箱を持ち帰った。おそらく三沢の米空軍あたりから入手した物と想定できるが、それがC−rationだった。中身はびっしり米軍用車輌にみられるオリーブドラブ色の缶詰類。戦地で米兵が食べる食料ということは、当時小学生だった私にもわかった。記憶が鮮明なものと、おぼろげなものとに分かれるのは、常の事だが、本当にいろいろな物が入っていたことは確かだ。食物の中身は豆類など、あまり家族の口に合うものではなかった記憶があるが、驚いたのはデザートが含まれていたかどうか定かではないものの、チョコレートや飲用のココア(固型)が入っていたことで、明瞭に記憶している。そしてココアに水を加えて、同包の固形燃料の火にかけても、缶があまり熱くならず、手で持てるのにはびっくりした。また、水の缶詰があったかどうか定かではないが、水を減菌浄化する錠剤があったことははっきり記憶している。マッチはもとより、針等の裁縫用具もあった記憶もある。これが個人用の補給物資であることに、学徒出身のポツダム海軍中尉であった父が、「(自分のいた)戦地ではない所でもこんな食料ではなかった。これでは戦争に勝てない訳だ」と、あきれたように言ったことも覚えている。

 そういえば、何かの戦記で、米軍用の補給物資の落下傘投下の際、日本兵側に流れてきて、「本当にありがたかった」といった記述もあった気がする。今日ではもっと軽量化など進化しているだろう。

 そこで暗然とするのは、被災後、3日も4日も水も食料も来なかったという地域が散在することだ。もちろん、生存者の捜索・救出が、最優先の課題だが、同時にそうした被害地にこのC−rationを投下できなかったのだろうか。自衛隊のそれに加熱燃料がないのであれば、それこそ、世界的にはまずい≠ニの評価のようだが(ちなみに評価が高いのはフランスとか)、米軍へ協力要請すれば、確実にかなえてくれただろう。

 孤立した集落の捜索は、自衛隊のヘリコプターで十分可能だろう。無駄になってもかまわないとすれば、そういった人のいそうな所に、まずは輸送すれば、住民の安心感は計り知れないと思う。着陸の余地のない所でも、低空から投下すればよいのにーと、素人考えをしたところで、先の議員は「自衛隊は、自治体からの要請で出動している、というのが法制上の建前。よってその要請以外のことを勝手にするわけにはいかないのです」と、やりたくてもできない現状を述べた。

 何かおかしくはないか。

 今回のような修羅場の医療行為でトリアージ(Triage)という行為がある。主に負傷者に対し、直ちに施療をしなくても助かる人、しても亡くなる人、そして施療すれば助かるが、しなければ亡くなる人を瞬時に判断、区分けしていく究極の作業の意味だ。より多くの救命の為には、やむを得ない合理的≠ネ行為とされており、阪神・淡路の大震災などで、知られるようになった。それが、今回は人単位でなく、地域・集落単位で必要だったのではないか。その一つの“施術”の方法がC−rationの投下ではなかったかと思われてならない。

 またトリアージの際、その判断のもとになるのは、負傷者の容態、即ち医師などがその人から得る情報である。その情報なくして判断できるわけがない。ところが今回、その情報源となるべき地方自治体自体が電話の不通などもあり機能不全になった所も多かった。その際に最も有効なのは、やはりヘリコプターによる、上空からの視認である。その情報に基づき、適確な判断を下していかなければならない。そして、自治体所属のヘリの数が少ない現状では、自衛隊、あるいは海上保安庁の国所属のヘリが、有効であることは、論を待たない。自衛隊などの得た情報をどこが一元管理して、優先づけして対応等をとるのか、多くの自治体にまたがり、その自治体の情報が得られない状況からみて、要望を踏まえるのは当然として、国が直接自衛隊を指揮命令する仕組みの方が、有効であることは理の当然ではないだろうか。それをしようとしたのか。その発想もなかったとすら疑われる菅政権の罪は限り無く重いと断言せざるを得ない。これは現行法規で可能なのか、今後の法整備を待つのか、面目ないが私の勉強不足で確たることはいえないが。

 今後、今回のような大災害、非常事態における国と地方自治体の役割分担全体の見直しは当然必要だが、何より一国の最高指揮官は、全体の情報を集めて、総合的に判断を下すのが使命だ。原発だけにとらわれ、視察を陣頭指揮と強弁する菅首相には言葉もない。こうした非常時に、政治は、そして立法府は何をすべきなのか。特に野党として、一人の政治を志したものとして、沈思黙考する日々が続いている。


(3月30日記)


「持続可能な経済社会と社会保証の在り方を模索」を掲載しました (株式会社法研発行 週刊社会保障 2011年3月21日号)


(3月29日)



大変な事態が起きました

 大変な事態が起きました。地震・津波の被害だけでも大変なのに、原子力発電所の危機的状況です。私自身は発生当時、羽田空港にいて、長時間足止めをくらいましたが、最初に心配したのは@に原発Aに新幹線でした。@は自動停止に成功、Aは緊急停車して無事と報ぜられ、ホッとした記憶があります。その時は津波の悲惨さは、まだテレビでも十分伝えられていませんでした。私自身も、言いたいことは、それこそ沢山ありますが、何せ多方面にわたり、いざこうした書き物の形にしようとすると、どうまとめてよいのか、迷うばかりです。新聞・テレビ等の報道もあり、ここでは原発、新幹線は別に記すとして、他の2、3点に絞り記します。

 まず、個人的なことですが、昨年亡くなった母の実家は、岩手県洋野町種市(岩手県の海岸最北部。青森県階上町と接している)で、私自身(里帰りの出産で)そこで生まれています。その家は、今もそのままJR種市駅前にあり、私の従兄弟が当主になっていますが、その地域は10m程の海崖上にある地形です。幼い時、母方の祖母から「(昭和の)大津波の際、家の所まで水が来た。津波は本当に怖いものだ」と聞かされていました。

 種市の街並みから南方の隣の集落に行く途中は、だらだら坂で下り、小さな川の周囲に田んぼの多い地形になっていましたが、祖母は「そこは全部流された。今は家も建ち始めているけど」と、心配していた記憶があります。 それが20年程前に気付いた時には、その地帯に多くの家が建ち、その海岸側に(高さ8mと聞く)立派な防潮堤が、建造されていました。そのおかげで今回の津波では、海岸部はともかく、堤防の内側はほとんど被害がなかったと聞きました。また、普代村でも15mの防潮堤のおかげで、内側の被害は少なかったそうです。他方、田老町では10m、釜石市では8.5mの防潮堤が乗り越えられ、大きな被害を受けました。

 明治、昭和の大津波で多くの犠牲者を出したところで、その教訓を基に二度と被害を受けまいと、多年の歳月と多額の費用をかけ、多くの人の努力の結晶の防潮堤でした。それが無力であった事態を眼前にした住民の方々の無念は、察するに余りあります。三陸海岸をドライブした際に見た、あの“大要塞”に守られた集落が・・・と、暗然とするばかりです。自然の恐ろしさと同時に、私の悪いクセで、あの「コンクリートから人へ」のスローガンを民主党はどうするつもりかと、つい思ったりしてしまいます。

 また、母は六人姉妹の四女でしたから、その姉妹が、南部地方といわれる青森・岩手の地域に嫁ぎ、その子供達(すなわち私の従兄弟)が、そこから広がってという具合で、今回の被災地に多く住んでいました。その中で、釜石市で暮らす従兄弟が、四日間音信不通で、心配しましたが、幸い無事でした。しかし釜石市をはじめ、事業面では、とても無事と言えない被害が出ています。そうした背景もあって被災直後、従兄弟や親類、知人が多く住む八戸市を訪ねました。幸い当地の従兄弟たちは人も家も全く無事。新井田川河口近くの知人宅も、目の前が川なのに、水も入らず被害はほとんどありませんでした。テレビやDVDデッキ、陶磁器やガラスなどの食器類が壊れた、東京の私の議員宿舎の方が、物的にはよほどの被害といえるほどでした。しかし、一度海岸(ハマ)の方に出ると、何隻もの大型漁船が沈没したり、地上に打ち上げられたり。ひどいものでした。そして、すぐ近くに無事な市街地がある対比ぶりが一層際立っていました。

 特に、大規模な製紙工場などがある青森県下一の工業地帯など、産業面の被害は甚大で、生産設備が水に浸かり工場の再開のめどが立たない状態で、今後どう再興するかが大問題です。全国的には、乗り上げた漁船の姿の報道が目立っていましたが、その被害以上に、外観は無事か、一階部分の床上浸水程度に見えても、全国有数の八戸の水産加工工場は、壊滅状態に近く、復旧は容易でないと感じました。小林八戸市長も、被災直後でしたから、当面の市民生活はともかく、その面をとても心配していました。石油類などの物資が、これほど入ってこない事態が続くとは、当時は思いもよらなかったと思います。  話は飛ぶようですが、悪いことは重なるもので・・・とは、言い古された表現ですが、今回の東北・関東大震災も、その例にないと思います。

 当初、衆議院の予算審議でも浮き出てきた菅内閣の惨状をみて、野党多数の参議院では、総辞職か解散総選挙に追い込むべく、手ぐすね引いて待ち構えていたところでした。何にでも使える「一括交付金」について、私自身も、制度的にも課題を抱え、その内容を誤解しているとしか思えない発言を繰り返している菅総理と、わかっているはずの片山総務大臣との発言のズレなど、宣伝本位の菅内閣の実態をあぶり出すべく、勉強して準備したところでした。そうした中、今回の大震災ですぐ思い出したのは、前例ともいえる、阪神大震災時の村山政権でした。自衛隊への協力要請の遅れなど、村山首相のリーダシップの欠如から、特に初動対応に拙さが目立ち、トップの資質が問題視されました。

 今回は、各種報道でもにじみ出ているように、もっとひどいというのが、多少、内部の話を伝え聞いた私の思いです。というのも、村山さんは、行政府や連立与党の自民党側の対応を邪魔することはしなかったという評価もあり得ます。ところが、現在の菅首相は、現地視察へのこだわりや東京電力本社への“どなり込み”、野党側への協力要請も、一週間経ってからなど・・・。これ以上書くのはやめます。

 トップは、自ら現地での情報収集をしてはいけません。情報収集は部下に指示し、それに基づいて適確に決断、指示するのが職務なのです。そして、その指令系統の確立と、それぞれのポジションへの権限委譲をどうするかを決めるのです。かつて私のいた新聞の世界でも、役割分担を明らかにした上で、取材、編集したわけで、編集トップから、こんな事実はないか、情報はないかと、現場の取材指示はあっても、社長や編集局長が、修羅場となっている現場に取材に行くことはありません。自ら行って取材すると、現地の記者は、取材もできず混乱するばかりです。こんなこともわからない人が、現在の日本のトップリーダーであることに、つくづく暗い思いにさせられます。「俺は東工大の出だ。議員の中では、誰より原発に詳しい」と豪語していたとの”ウワサ”も聞こえました。ウワサだとしても、情けない限りです。  これ以上は、後で少し落ち着いてから政権を追及するとして、別の面からの問題を見つめたいと思います。それは、こうした国家的問題が発生した際の「野党の役割は何か」ということです。正直に言うと、今回、私自身は、東京の永田町にいても、あまり・・・でした。党本部などで最新状況や、国会の対応策の情報を聞く、あるいは、政府側との連絡役の話や識者や役所の説明を聞く、といった“勉強”はともかくとして、何かのアイディアや得た情報があっても、党を通じて政府側に伝えるということなのです。地元から、燃料が本当に足りない、青森−盛岡間の高速道路が全く問題なく走れる、といった情報が入っても、それを単に党側に伝えるだけで、政府・行政へ直接働きかけることができないもどかしさです。今回ほど、政権にいないことの現実を、痛感したことはありません。

 国民の生命、財産を守る、これが政治の一丁目一番地であることは、誰も異存はないでしょう。それが、この国家の非常時に、現政権に対応能力がないことは明白です。そうした政権に対し、野党は、その一員の国会議員は、何をすべきなのか、この難問に自問自答しながら、毎日の情勢変化、特に原発の動向を気にかけています。 最低限、死者への鎮魂と、何より生者のよりよい生存へ全力を尽くすことだと思っていますが・・・。合掌。


(3月20日記)



後援会の皆様、新年明けましておめでとうございます

 後援会の皆様、新年明けましておめでとうございます。まずは、本年平成二三年・西暦二〇一一年が、より良い年になりますよう、お祈りいたします。また、昨年 は十二月の八戸―新青森間の延伸により、全線開業した東北新幹線が、明るい話題となりましたが、この新しい”資産”を、今後どう生かしていくのか、今年の 大きな県民的課題と言えます。この新幹線は、政治家としての亡父・竜男にとり、本当に長年の念願でした。私自身にとっても、(父が間に合わずに他界したこ とを含め)感慨深いものがあります。

 旧年のことといえば、私にとって六十年以上の生涯の中で、昨年ほど明暗差のあった年はありませんでした。「明」は言うまでもなく、皆様方の御支持、御支援で 果たすことのできた、七月の参議院選挙の勝利です。感謝・感謝、改めて心から御礼申し上げます。ありがとうございました。それも、一町を除き、県内各市町 村で一位の投票を得るなど、立派な成績をいただきました(別表)。特に、最近の選挙で、自民党候補の得票が伸びなかった青森市でも勝つことができました。 その皆様の心を実現すべく、全力を尽くす所存です。

 他方、「暗」の面は、十二月、母・楫子が八十三歳で他界しました。一昨年八月の父の死去直後に脳梗塞で倒れ、リハビリ中でしたが、懸念されていた肺炎を発症 し、帰らぬ人となりました。何か先に他界していた父に、私の参議院当選の報告をするために、一年余り生き、逝ったような気がしてなりません。  一人の女性としてみると、晩年まで趣味にしていた日本画や俳句のほか、少女時代の油絵、茶道、華道、さらには料理や裁縫など、男の子としての自分には手の届かない、女性の世界をしっかり持っていた人に思えています。  さらに命日は、父と同じ十五日、旧年中に葬儀(写真)、忌明をすませ、新年から祝い事に参加できるタイミングで、また早ければ国会開会中で、死に目に会えないなど、結果的に測ったような時期でもありました。

 さて、肝心の国会ですが、菅内閣になって事実上初の国会、私自身にとっても三年ぶりとなる第百七十六回国会を通じて感じたことですが、多くの法案が廃案や継 続審議となる中、補正予算こそ成立したものの、それとて低迷する景気、地方の疲弊対策としての必要上、私たち野党側も最後まで突っ張らなかったから成立し ただけです。とても菅総理の言う「熟議」の末と威張れるような内容ではありませんでした。  原因は菅内閣の政権担当能力の欠如であることは、明らかです。まるで日替わりメニューの如く、次から次へと事件や閣僚の暴言・失言が相次ぎ、対応のまずさと相まって混迷極まる悲惨な国会運営となりました。

 鳩山内閣からの懸案先送りと言える普天間基地移設や政治とカネをめぐる小沢一郎氏の国会招致問題、さらに蓮舫行政刷新担当相の国会でのファッション誌撮影 問題、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での船長逮捕と釈放をめぐる一連の対応、特に一地方検察庁への「政治・外交判断」の押しつけや、証拠ビデオの非公開 とユーチューブへの映像流出問題、さらには法相の失言、韓国の島への北朝鮮の砲撃とその際総理官邸が「空っぽ」だったことなどその対応のまずさ、そして最 後は民主党ベテランの衆院予算委員長の国会開設百二十周年式典会場での秋篠宮殿下への「暴言」問題まで起こりました。この「暴言」、私もすぐ近くで聞きま したが、弁明の内容はともかく確信犯としての言動であったことは確かでしょう。

 こうして法務大臣の事実上の更迭、参議院での官房長官、国土交通大臣の問責決議可決という大荒れの国会となりました。「衆参ねじれ国会」に、菅政権は、為 す術のないまま、無責任でその場しのぎの対応しか出来ないことを、国民の前に露呈した形となりました。内閣支持率の急落は当然です。  それでも、「(支持率)一%になっても辞めない」という菅総理には一国のリーダーとして必須の謙虚さ、真摯さを全く感じません。むしろ宰相の座にしがみつく“権力亡者”ぶりがより明白になったとすら言えましょう。  このままでは通常国会のスタートも穏やかにとはいきません。どうするつもりなのか、野党の私からみても心配したくなる程です。

 これらのことは、これ以上具体的に記さなくても、皆様ご承知のことと思いますので、もう触れないことにします。ただその一方で、我が自由民主党の対応が国 民に十分理解されているのか、民主党よりは「まし」との評価以上の点数をもらえたのか、発信方法も含め、これからが正念場です。  私自身のことになりますと、会期半ばになりましたが、参議院の「国民生活・経済・社会保障に関する調査会」の調査会長に就任しました。このほか、総務委員会委員、党では選挙対策委員会委員、財務委員会委員をつとめています。




 この調査会は、ほかに「国際・地球環境・食糧問題」「共生社会・地域活性化」があり、衆議院にはない参議院独特の組織です。法案審査採決をすることが主要 役割の各委員会と異なり、いわば超党派で、その時々の主要テーマを三年間じっくり調査、研究し、参議院に提言して、今後の国政に役立ててもらうという使命 が課せられています。解散のない参議院の特性を生かした組織だと私自身も自負しています。そうした位置づけもあってか、調査会長は、自民党政権時代から、 大臣経験者や常任委員長経験者のベテランがほとんどで、今回も三人のうち一人(民主)は、直前まで大臣でした。と言うことは、私自身もベテランの仲間入り なのかな、とも思わされました。

 ちなみに、今回の私の調査会のメインテーマは「持続可能な経済社会と社会保障の在り方」で、その中で本年は「社会保障」を中心に調査する予定です。採決の ない点は、委員会と比べて気が楽な面がありますが、まさに超党派で国家国民の為の制度はどうあるべきか、を調査報告する、良識の府そのものの役割を示すも のでもあり、やりがいのある、そして調査期間の長さから緊張感の持続が大切だと思っています。

 もう一点付け加えると、本来この調査会長人事は、他の常任委員長人事などとほぼ同時に行われるものでした。それが一カ月以上遅れたのは、今年の参院選直前 の通常国会の会期末に大問題が起きたからです。報道もされましたが、多くの方が気づかない形だったと思いますので、ここに記します。実は最終日の参議院本 会議が江田五月議長(当時)の裁断で開会されなかったのです。参院選選挙運動のため民主党議員の改選組が国会を離れ、野党提出の問責決議案の否決が危うく なったことが背景にあります、まさに前代未聞の事態でした。

 その結果、最終の本会議で了承される予定だった、三調査会の提言、それに陳情、請願の処理が法律的にはクズ箱送りとなりました。調査会の三年間かけた成果 や、国民の憲法上の権利と明記された陳情が、民主党と参議院議長の思惑で無意味なものとなってしまったのです。まさに憲政史上の汚点と言わざるを得ませ ん。その影響で調査会の在り方が院内部で、検討対象となり、設置と会長人事が遅れてしまったのです。

 こうした汚点を残した、最高責任者としての江田議長が、その後、民主党首選その他でテレビに出ているのを見ると、何のうらみもない、人柄的に良い人とは知っていても、私個人としては、政治家の責任を自覚できていない人物としか見えてきません。

 江田議長に限らず、民主党の議員の責任感の無さは、私の眼からは適当な表現がみつからないほど、ひどいと言ってよいと思います。

 民主党政権誕生のきっかけとなったとされる「コンクリートから人へ」のスローガン、その具体的顕れとしての八ツ場ダム建設中止は、一年たつと、「コンク リートも」の民主党内からの大合唱、八ツ場は中止の中止。さらに極めつけは、鳩山代表の普天間問題での「最低でも県外」発言や、「総理を務めた人間は潔く 政界を引退する」発言の撤回です。いくら「宇宙人」を自称しても最高指導者のこうした無責任な言動は、何を言われても政府を信用できない、との風潮をよぶ ことは間違いありません。

 「李下に冠を正さず」「瓜田に履を入れず」と言った中国の格言は、現民主党政権では、意味をなさなくなってきています。

 格言と言えば、小沢元代表や仙石官房長官の言動は、私には法格言の「良き法律家は悪しき隣人」を思い出させるものでした。自身に都合のよい法律の条文のみにこだわり、法律の本来の目的である立法趣旨や他者の立場、事情をあえて見ないと感じられるからです。

 話は飛びますが、「木を見て森をみず」という格言があります。この格言に、最近になって少し違和感を覚えるようになりました。というのは、木一本ですら本 当に見ることが私には出来ているのかという疑念が浮かぶようになってきたからです。「群盲象を評す(なでる)」という格言もありますが、一本の木に対して すら、私も群盲の一人ではないかという不安です。  

 まして、多くの木のある森を見ることが出来るか、全体を見渡せる高見にどうすれば登れるのかという疑問も出てきました。言い換えれば、せいぜい一本の木を何とか見ることが私の限界ではないかとも思うようにもなったのです。

 この事には昨年八十七歳で他界した父の言葉が関係していると思います。医者をしていた当時か、政界に転じた直後だと記憶していますから、四十年以上前、父が四十歳前半の年代だったでしょう。  「考えてみたら、医者なんてのは、人類にとって一番の敵の仕事かもしれない。長い眼で見れば生物として劣者を残し、その子孫を残すことをしているからな」 と言ったのです。何か当時、DNAとか、遺伝子に関する情報など、そう思うきっかけでもあったのでしょう。ただ、「そうはいっても、目の前に病人がいれ ば、何とか治そうというのも医者なんだがな」と続けました。私にと言うより自分自身に言い聞かせていた気もします。人のやれることは、所詮その程度の事で はないかと、今では私自身思い当たる気がするのです。

 民主党政権下の永田町の様変わりぶりを眼前にして、私自身、無意識にこうした事柄を思い出したのかもしれません。  「覆水盆に返らず」「綸言汗の如し」との格言もありますが、民主党政権になって以来、頭記のように、首相をはじめ閣僚の発言が余りに軽すぎます。発言を取 り消したり、訂正すれば、それですむと言う態度が見え見えで、と言うより何とか責任をとらずにその場を逃げ切りたい、私には「見苦しい」との表現しか浮か びません。

 「神(真理)は細部に宿る」といった格言もあった気がします。先の国会中でも、解明できないまま残された“細部”があります。例えば、尖閣問題で船長逮捕 時の映像はあったはずで、担当大臣はその映像を見たのかどうか、見たとしたら何時なのか、またそれも海上保安大学校に送られたのか、送られたのならなぜ流 出しなかったのか、送られなかったのならなぜそうなのか…。また、事件直後、中国側に“逮捕”された、日本の建設会社社員を案内していた中国人現地社員の その後の消息も、気がかりです。  一方、無実の元厚労省局長を逮捕し、挙げ句の果てに、証拠改竄で、大阪特捜部検事の逮捕となった事件では、一係長の独断で郵便料金の大規模な不正割引というあの犯罪が可能になったのか、もし独断なら上司の監督責任や制度上の不備は改善はどうなっているのか、などです。

 父の「目の前の患者」ではありませんが、これからは私もあえて目前の“細部”にこだわり、それによって見えてきたものに基づいて、全力で行動、発信していきたいと思っています。  もちろんその“細部”で最重要なのが、地元・青森県の皆様の生活であることはいうまでもありません。


(1月1日記)




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