意見交換「『ODA基本法は外交を縛るか』他

(平成10年3月9日参議院国際問題に関する調査会対外経済協力に関する小委員会会議録より抜粋)


(前略)
○小委員長(板垣正君) ただいまから国際問題に関する調査会対外経済協力に関する小委員会を開会いたします。
  対外経済協力に関する件を議題といたします。
  本日は、二十一世紀に向けたODAのあり方について、午後五時を目途に小委員相互間で自由討議を行います。
  この小委員会では、これまでにODAの理念、あり方、援助実施体制、国会とのかかわりを中心に積極的に議論を行ってまいりました。
  まず、なぜ援助を行うかというODAの理念につきましては、国益を踏まえ外交政策の一環としてODAを実施していくことが重要であるという意見、豊かな国が援助を行うことにより人類共通の課題に対処しようという人道主義の立場が大切であるとの意見が述べられました。
  ODAのあり方をめぐりましては、人づくり援助を推進すべきこと、国別援助計画を策定し援助の方向性を示すべきこと、多国間協力と二国間協力のバランスをとるべきこと、NGOとの連携の強化を初め。国民参加型のODAを推進すべきこと、情報公開を進め国民の理解、支持を得るように努めることなどの意見が表明されました。
  特に、援助実施体制のあり方につきましては、縦割り行政の弊害をなくすため、政治がリーダーシップを持って実施体制の一元化の方向に努力すべきであるとの認識が示されました。
  国会とODAとのかかわりにつきましては、恒常的にODAに対する国会の関与を強め、政治のリーダーシップを示すべきであるとの方向で議論がなされましたが、ODA基本法の制定に進むべきであるとの意見と現行のシステムを拡充強化すべきであるとの意見に分かれたところであります。
  本日は、これらの議論を一層深め、最終報告の取りまとめに生かしていきたいと存じます。
  それでは、これより自由討議に入ります。
  発言を希望される方は挙手を願い、私の指名を待って発言願います。
  なお、意見交換を活発に行うため、一回の発言時間を五分以内に制限いたしたいと存じますので、御協力をお願いいたします。
○山本一太君 いよいよこの小委員会も最後のほとんど取りまとめの段階になってきたと思いますが、今、板垣小委員長がおっしゃったお話に大体これまでの議論は集約されるのかなと思って伺っておりました。
  事務局がつくってくださったこの「参考人等の意見の要旨」をずっと見てきたんですが、それぞれの問題についてかなりコンパクトにまとめていただいているなという感じがしました。
  ここに、今、小委員長がおっしゃったように、ODAの理念については、国益の話が出たり環境の話が出たり、あるいは少しずつ加えたり深化をさせていくべきだという話が出たり、そういうところでまとめられるんじゃないかなと思いました。
  ODAのあり方については、広中先生からNGOの話があったり、あるいは今回の例の改革懇でも目玉として取り上げられている国別援助計画の話、マルチ、バイの話、あるいは権限委譲の話なんかでも意外と一致した点があったかなという感じを持ちました。
  援助実施体制のあり方につきましては、これは田先生初めいろんな御意見があって、外務省を中心とするのか、あるいは援助庁的な組織をつくるのか、総理府みたいなところに集めるのかと、異論はあったと思うんですけれども、一元化ということについては小委員会の大体の皆さんの意見がそういう方向に向かっていったのかなということを感じながら、今、小委員長のお話を聞きながら振り返っていたんです。
  国会とODAとのかかわりについては、かなり議論が沸騰したところだと思うんです。ODA基本法を今やるべきだという御意見も随分あったように思うんですけれども、現行のシステムを深化発展させてその中でODA大綱の担保をもう一度図るとか、あるいは基本法という形でなくても援助政策の透明化を図るという方法もあるという意見もあったと思うので、そこら辺は、小委員会の全会一致という原則もあるので、大きく言って二つの考え方でいくのかなという私は感じを持っています。
  全体として何となく感触として小委員会の意見が幾つか集約されてきたのかなという感じを持っています。私自身としては、改革懇談会にもあったように、国別援助指針の話はしっかり入れなければいけないと思うのと、取りまとめをしていく中で、せっかくですから次の議論の芽を残すという意味で、例えば援助実施体制のあり方についてはある程度具体的なプランをまとめたらどうかなと。それはもうシステム図でも何でもいいんですけれども、文書に書くだけではなくて、こういう形の流れがあって、こういうシステムの中でこういうインプットをしたらいいんじゃないかというものを少し概念図的にまとめたようなものもつくっていくとすごくいいまとめになるのかなという気がしました。
  ちょうど五分で、これでやめにしたいと思います。
○馳浩君 私は、いつも言っておるとおりに、ODA基本法の制定に向けては、以前の基本法の中身ではなく、理念法、原理原則法として制定する必要性があるというふうに認識を深めました、今回のこの小委員会の議論を通じまして。
  中身について細かく言えば、事業結果の国会報告、この点を強調することによって、我々政治家がODAに関与することの重要性、これを国民に知らせるということの重要性を法をもって担保するということの方向を目指すということでは、私は一致点が見出せていくのではないかなという考えでおります。
  それから、理念のところでありますが、地雷禁止条約、日本も参加しておりますけれども、この地雷の点が理念の中に盛り込まれても、細かいことかもしれませんが、よいのかなということ、これは大島局長の方からの提言もありましたし、私は時期的に重要な部分ではないかなということを考えております。
  その他、懇談会から改革の中身も出てきておりますが、それらについては、外務省あるいは技協の十九省庁等々で調整をしながら進めていく問題として今とらえていくのがいいと思います。
  何よりも私は、ODA基本法を制定し、そのもとで事業結果の毎年の国会への報告、そして参議院でも行政監視委員会ができるわけでありますから、この中で一括して取り扱うような体制をとっていく方向を希望いたします。
  以上です。
○田英夫君 従来も申し上げてきたことを繰り返すことになるかもしれませんが、結論を言えば、やはり簡潔なODA基本法をつくるべきではないか。
  やや反省を込めて申し上げるんですが、かつて参議院に議員立法で提出したことがありますが、あれは理想的なODA基本法の姿であったかもしれません。例えば担当省庁の問題にしても、行革が叫ばれているこの時代に新しい省庁をODAのために新設するということは現実的ではないということ。あるいは、かつての時代に比べると、つまりマルコス時代などの体験を反省していた時代に比べるとODAの実施状況というのはかなり改善されてきているということもありますから、理念をうたって、そして守るべき原則、これは既に外務省の大綱にあるわけですから、これプラスアルファ、非常に重要な部分だけを基本法らしく決めるということ。それから、透明性を高めなければいけないという意味を込めての国会とのかかわりの部分も、やはり現実的には、年度ごとの報告を政府から国会に求めて、その国会の中でどの委員会が担当するか、かなり現在の状況からすると国会の方の問題も大きいかと思いますが、これは法律の中に書き込むことではありませんから、法律の中では国会への年度ごとの報告という程度にとどめていいのではないか。
  繰り返しますが、本当に簡潔な、大切な部分だけを骨組みとしてつくる、ODA大綱を法律化するぐらいのつもりでやるのがいいのではないかと思います。
  以上です。
○永野茂門君 多くの人から意見が出ましたODA基本法の制定についてでありますが、私も、緩やかなと申しますか、田先生がおっしゃった簡潔など申しますか、基本法を制定することに賛成であります。
  これには、今もお話が出ましたように、ODAの大原則といいますか基本戦略を明らかに示すということが一番大事なことだと思います。これらを示すことによって国民の理解でありますとか支持を得られて、今大いに叫ばれているNGO等を含む国民参加を拡大していくという道が開けると思います。
  また、国会への報告並びにそれに基づく実施状況の審査、評価につきましては、あとの二人がおっしゃったとおりだと思います。
  それから、援助政策の策定とか実施の体制についてでありますが、私も一元化に賛成であります。政策策定機関、実施機関ともに一元化すべきである。ただし、これを外務省中心につくるのかあるいは内閣中心につくるのか等につきましてはいずれでもいいと、一元化するのが大事なことであると、こういうように私は思います。
  それから、ODAの理念・目的とか意義とかいうことの範疇に入ると思いますが、これは皆さんがおっしゃっているとおりに、中長期的な国益、人道主義あるいは地球主義といいますか、そういうことを含めましてこれこそ中長期的な国益でありますので、それを追求し、日本の戦略目標を達成することに資するというのを目的にしてもらいたい、こういうように思います。
  以上、三つを申し上げておきます。
○広中和歌子君 永野先生が余りにも見事にまとめられたので、もう本当に申し上げることがないほどでございます。
  なぜ今までODA基本法ができることが妨げられてきたのかというのが逆に不思議なぐらいでございまして、これもぜひ一日も早くつくられればいいと思います。
  それから、実施体制の一元化、これは当然でございまして、私もそれが外務省であるか他の省庁であるかは問いませんけれども、ともかくそれを通して、透明度とか理念が、実際に実行される過程というのが非常にわかりやすく、国民の支持も得られるようになるんではないかと思います。理念としての地球主義、人道的なものというのは私どもの憲法にもうたわれていることでございますし、またそれが広い意味での国益につながるという考え方にもなるのではないか、こんなふうに思っております。
  以上です。
○福本潤一君 基本的に理念という問題に関しましてはODA大綱に書かれている方向性と同じなんでございますが、平和、環境、人権、共生というか、援助すること自身が決して援助される側の国だけのためではなくて、地球全体の安全をきちっと保持する上でも必要なんだということを踏まえる。日本自身もかつて被援助国であったという基本ベースを考えますと、その援助された側の人間が今国としては援助する側に回れておるという一つの歴史的な流れというものも踏まえた理念にしていただければと思います。
  援助の方向性でございますが、前回の委員会でも申したんですが、象徴的に援助することが日本の国益にもなっているというような援助方法はないのか、そういう事業をひとつつくり出す必要があるんじゃないかという意見を申し上げさせていただきました。外務省の経済協力局長の方から、中国と日本の地球環境問題の大気汚染の問題でやっておる援助があるということがありましたが、私の方からは、例えばベトナムの悲惨な枯れ葉剤の状況を生んだものを研究して、そういうシャム双生児等奇形まで生まれているような状況を、日本でもダイオキシンや何かが降りかかっている問題にもフィードバックできるというぐらいの象徴的な問題があれば、今、経済的に困窮している人もかなりふえている我が国にとってはアピールできる問題が一つ出てくるのではないかと思います。
  一元化関係の問題に関しては、委員会、省庁一つつくってという両方向あるのかなと思いますが、私は、外務省を中心に一つのODAに関する委員会みたいな形の一元化で進めていったらどうかというふうに思います。
  国会との関係でございますが、前回までの委員会でほとんどの委員の方が基本法をつくる方向でいったらどうかという考え方がありまして、その中で今、田先生から簡潔な基本法をと。前回は緩やかな基本法という言い方が出てきて、外務省の方も、前回の杉下参考人のように従来は基本法反対だった人まで賛成するようになられたことでショックを受けられたということでございますので、この小委員会の一つの成果として緩やかな形でも基本法をつくる方向で持っていったらどうか。
  その中で、日本国際フォーラムがODA基本法に関する考え方で、事後報告の審査、評価ぐらいにとどめたらどうかという言い方をされてはおりますが、できれば私は、そういう理念とか目標があるならば、毎年の年次計画というのはちょっと難しいでしょうけれども、ある程度長期的展望、例えば五年計画、十年計画ぐらいの予算がないと基本戦略がないまま状況追従的になりがちではないかと思いますので、緩やかなという意味の中にそういう長期計画というぐらいのことはやはり入るような基本法が必要ではないかというふうに思っております。
  以上です。
○上田耕一郎君 今まで私が述べてきたことを調査室のこの「小委員の発言等の要旨」でなかなか正確にまとめてくださっておられるので、私も基本法問題についてもう一度申し上げたいんですが、世界で一、二を争う非常に巨額の、GNPに対する率は低いにしても絶対額としては非常に大きな額のODAで、しかもそれがこの財政危機で少し削減されてきていると。国民の中にはこんな莫大な額を何で出すのかという声もあるので、やっぱり国会の責任として、国民との関係でもきちんと法律もつくり、理念、原則もはっきりうたうという法律が必要になっていると思うんです。
  これまで参考人も、例えば前回いらした読売新聞の杉下解説部次長は、「ODAに対する国会の過剰な関与を危惧する観点から、援助基本法について反対の意見を述べたことがあるが、現在では、過剰な関与は避け得る手段があると思うし、議員の参画を促す意味からも」援助基本法を作成した方がいいという意見を述べられました。
  それから、去年の十一月には中川淳司東大社研助教授が、その前に山本一太委員が「やっぱりODA基本法というのはメカニズムの一つとして考えていくべきなのかなということを感じたので、」ということを述べて、そうしたら中川参考人が、「私、今お話を伺いながらちょっと思いついたことで、これは本邦初公開」だけれども「基本法も案外いいかもしれない」、「少なくとも国会が黙っていないからということで外務省が強く迫れるというパターンはあり得るのじゃないですか」と。アメリカの有名な三〇一条が効くのはアメリカの国会が黙っていないぞというので大統領が強く出られるという話を出しまして、本邦初公開だといって案外いいかもしれぬという意見を中川さんも述べておられます。
  やっぱり本格的に考える時期が来たと思うんです。この調査室でまとめた山本一太委員のものには、外交政策を縛る危険があると。これは国会の過剰関与ということにもつながるんですけれども、それが慎重になる大きな理由として述べられていて、練らないならメカニズムの一つでいいかもしれぬとおっしゃっている。私たちも、国会が二国間の理念・目的がはっきりしたODAについて一々いちゃもんをつけたり、外交政策を縛ろうとしたり、いろんな国との関係があるのにある国を具体的に発表したらほかの国がいろいろ言うことなんかもわかりますし、二国間のそういう理念・目的、原則に従ったODAの援助に一々文句をつける、縛るというようなことは必要ないというふうに思っているんです。
  むしろ全体としての性格で、私が繰り返し言ってきたので皆さん、もう耳にたこができているかもしれないけれども、私どもが一番心配しているのはアメリカの戦略援助に対する追随なんです。これは現実にずっと歴史的に形づくられてきた構造なので、構造的現実をもっと自主的なものに直さなきゃならぬということを主張していて、そういう意味ではODA基本法ができてその理念、原則に基づいて国会がきちんと自主的なODAを実施するということがやはり必要なんだということを言っているんです。
  そのアメリカに対する態度というのは、例えば、今度のイラク問題についての安保理事会の決議のイギリスがやってばっと出すあの出し方にしても、私は代表質問で述べたのだけれども、田村元・元衆議院議長が、通産大臣を三年やってアメリカの態度にはらわたが煮えくり返る思いだったと。これは東京新聞のコラムで書かれているんだけれども、外務省のお役人も通産省のお役人も態度がひどいと言って公然と批判されているように、経済問題でも実際問題として追随が構造的にできているんです。そういう中で、これがあるわけです。
  私、今度、アメリカのODA、対外援助というのはどういうものか、これを少し調べました。元衆議院議員で共産党の経済政策委員長だった工藤晃さんが、国会図書館の立法考査局の援助なんかも受けながらいろいろな資料でかなり調べているので、私もよくわかったんです。
  アメリカの対外援助というのは安全保障援助と開発援助と二つに分かれている。この安全保障援助の中に軍事援助と経済支持基金というのがあるんです。この経済支持基金というのは、七八年までは安全保障支持援助という名前だった、SSAといって。七九年に名前が変わって経済支持基金、ESFというんですけれども、これは軍事援助を補完する経済援助なんです。だから、本当に軍事援助なんです。国際的なOECDの統計なんかにアメリカのODAとして入っているのは、この開発援助と安全保障援助の中の経済支持基金、つまり軍事援助を補完するもの、この二つを一緒にしているんですよ。実際上は大体半分、五割が軍事援助等を補完する経済支持基金、ESFなんです。だから、アメリカのODAというのは、大体半分は軍事的意味、安全保障の意味を持ったもので行われているんです。
  二国間援助を見てもこれはすごいものですよ。キャンプ・デービッド合意以後はエジプトとイスラエルに専ら出していて、一九九〇年は四七%がたった二国です、エジプトとイスラエル。だから、非常に鮮烈な安全保障の意味を持って、世界全体の安全保障を考える国として非常に鮮明なやり方をやっているわけですね。
  それで、日本は大体それをアメリカと相談しながらやっているわりで、文書で一つ言いますと、中曽根・レーガン会談でできた日米語間委員会の文書の中では、「援助計画策定に関する日米協議は政策、実務両面にわたって、きわめて緊密であり、きわめて効率的であった」と。日本の経済援助がエジプト、パキスタン、トルコ等々と、大変政治的によかったと評価しています。
  外務省の外交青書も、八〇年版以後は対象国として「紛争周辺国」、「世界の平和と安定の維持のため重要な地域」、こういうカテゴリーを明確に掲げてやっているわけだから、私はそういう非常にはっきりした戦略援助の性格をもっと自主的なものに構造的に直さなきゃいかぬということをずっと主張しているので、事実に基づいて直す必要があるということを申し述べているわけです。
  それで、本当に自主的にそういうものをやると、今までの討論でもそういう方向の議論がずっと出てきた。以前、調査会の合意文書があってこれは重要な役割を果たせたと思うんですけれども、ああいう全党合意の合意文書もあるし、ODA大綱もありますし、ここの議論もあります。田さんからもああいう発言がありましたし、開発庁は要らぬというのは検討すべきだと思いますけれども、かつてお出しになった、国会の関与の仕方を具体的に条項化したものはもっと簡潔なものでいいというお話もあるので、本当に各党一致できるような法案要綱の案をつくってみて、それに基づいてみんながこれはちょっとまずいとかこれならのめるとかいう方向で進めることがいいのではないか、もうその段階まで来ているんじゃないかというふうに思っております。
  以上です。
○山崎力君 山本さんと上田さんが若干ニュアンスが違うだけで、ほかの方の方向性は似ているような気がいたしまして、私もその大きな方向で特段違った考えがあるわけではございません。
  基本法は、どういう形にするかはともかくとして、つくるべきだろうと思っております。ただ、むしろこの問題というのは、具体的なことをどうイメージするかという実施の段階で皆さん方の違いが出てくる性格があるんじゃないかなという気がしております。
  例えば、自由討議ということで御無礼ながら言わせていただければ、今の上田先生のおっしゃったことというのは、基本的に自主的なODAへというその概念はよろしいんですが、それでは実際にどうするのかねと。それを、法律にどう基づくか、どういうふうに表現するか、あるいは政府の政策としてどうやるかといった場合、少なくとも我が国の外交が国民の信託を受けた政府によって一元的に行われているということがよろしいとするならば、そしてそれが基本的に日米安保を基軸としたアメリカ重視の外交でずっと来ているということであるならば、残念ながら上田先生の思い描いているようなODAというのは共産党さんが政権に参画する時点までは無理であろうという気がするわけです。
  ですから、そういった意味のことをODA基本法にどういう形で盛り込んで話し合いの中で各党一致に持っていけるかということになれば、恐らく空中分解せざるを得ないだろうというふうに私は思っておりますので、そういう観点から、緩やかなでも田先生のおっしゃったような簡潔なでもいいんですが、そこまでは踏み込めないのであろうというふうに思っております。
  もう一つ、問題点の指摘とさせていただきたいのは、イメージとして、緊急災害時の負傷者の医者の立場からする分類方法というのがあるんです、三種類とか四種類とかいろいろ言われておりますが。これをやるのが大切だと。医療の力がなくても生き延びられる人、若干の手当てがあれば生き延びられる人、いかなる手当てをしても時間をかけてもだめな人、それと、今すぐ緊急な手当てをすれば助かる人、この四分類くらいにして、それを今すぐ助かる人に集中してやる、これが緊急時における医療の要請であるというふうに言われております。ある意味においてはそういった面も、今回、ODAの対象国というふうにすると非常に失礼なんですけれども、そういった視点をどうやって設けていくかということになるとこれは具体的には極めて難しい、相手国の名誉もあることですから難しいことだと。そういった点をどういうふうにやっていくかということを考えた場合、その基本的な姿勢として、そういったことをどう理解しながら織り込んでいくかという非常に修辞学的な問題点も出てくるのかなという気が、先回りのようですけれども私はしております。
  そういった意味で、山本さんのおっしゃられた外交政策を縛る可能性、これはもう当然あるわけで、縛る可能性がなければこれはODAの基本法たり得ないわけです、逆に言えば。練らなきゃいかぬわけです。
  ただ、縛り過ぎた場合、非常に独立的といいますか、外国主権との交渉に当たる外務省として、日本の国益を守る最前線にいる役所として、自分たちが行動できないことによって国益を損なうというおそれを外務省は感じているからそういう表現になるだろうと。しかし、我々国民とすれば、自分の税金を出すのに外務省の思いだけで勝手にやってノーチェツクでやられたんではたまったものじゃないと。
  そこのところの調和をどうとるかという問題でありまして、それこそ基本法の緩やかなところでの書き方の問題で具体的にはやらざるを得ないし、それができないのならばODAのことを考える必要は我々にはないということですから、そういった考えるという意味においても基本法的なものへ歩を進めるということは必要だろうというふうに私は思っております。
  以上です。

○山本一太君 本当に文字どおり、山崎先生のおっしゃったとおりだと思うんです。基本法は外交政策を完全に練らないということはあり得ないと思うんです。当然、日本のODA外交の方向性をある程度つけるものになると思うんです。そこは先生おっしゃったとおり、私もプラス・マイナスの話だと思うんです。
  田先生、上田先生はマルコス疑惑のころから長年にわたってODAにかかわっておられて、私よりもずっとODAのことを御存じで、田先生の法案も私は何度も読みました。さっき先生おっしゃったように、むしろ理想的、現実的といいますか、簡単な基本法というか、大綱を立法化するだけのものでもというお話もわかりますし、あるいは基本法をつくるという意味が例えば理念法になってもあるとすれば、確かに、国民の間の意識を高める、特に我々パーラメンタリアンの援助に対する意識をいやが応でも高めるとは思うんです。
  今、山崎先生の言ったポイントで、私は一応バイとマルチの現場で援助の仕事をしてきましたけれども、果たして本当に基本法がベストの選択なのか。現行のシステムをよくすると言うといかにも何か後退している印象があるかもしれないけれども、やっぱりプラス・マイナスの問題として、法律の条文に書くということで、さっき上田先生が二国間援助については一々そんな文句をつけたりしないみたいなニュアンスのことをおっしゃいましたけれども、ODA外交が極めて重要な局面になったときに、法律の条文に書かれているということからいろんな解釈が出てくるわけです。
  そこで、さっき山崎先生おっしゃった外交政策の機動性を奪うような場面が出てこないという確信が私は持てないし、正直言って、いろいろ自分なりに援助のことを経験しましたけれども、基本法が本当にいいという、しかもこの小委員会で案文をみんなでやろうという段階まで行っているという確信がまだない。もうちょっとマルチ、バイの組み合わせのこととか、あるいは現行のシステムの中で例えば北欧みたいにパーラメンタリアンと外務省が定期的にODAについて協議を持つとか、そういういろんな方法でしていく上でプラス・マイナスを考える必要があるんじゃないか。そんなに簡単に基本法に行けるんならもうとっくになっていたはずだと思うし、もちろんアメリカの失敗例とは違うものというお話だと思いますしね。
  さっき上田先生からこれだけの援助大国なのに基本法がないというお話もありましたけれども、基本法のないところの方が多いと思うんですね。例えば、イギリスもあれだけいろんな援助をやっているにもかかわらず、この間、英国大使館へ行ってきましたけれども、彼らは基本法と呼んでいるのか知らないですけれどもほとんど手続法なんですよ。これはもう基本法と呼べるようなものじゃない。だから、法律に行くということはそんなにベストの選択なのかな、そういう気がするんですね。
  ですから私、もっと山崎先生や田先生、上田先生にお聞きしたいのは、外交政策を練らない基本法の形というのはどういうものなのか、そこのところのイメージが正直言ってなかなかわいてこないですね。
○山崎力君 山本委員の考え方も一つの考え方だろうと思うんですが、言葉を強く言わせていただければ、基本的なところでの認識の違いがあると思うんです。というのは、確かにそうなんですけれども、それでは我が国は法治国家ではないのか、国権の最高機関はどこにあるんだということなわけです。
  法律に基づいてやるということが基本なわけです。その基本の方針に基づいて行政手続的にやることをあらかじめ示すというのが行政法の世界でして、そこのところで専門の官庁が、外交といえども事後的であっても国会の承認を得た上で何でもやるというのが基本であるとするならば、現実問題として法律があると外交が縛られてしまっておかしなことになるという現実がある方がおかしいんです。
  ですから、もしそうであるならば、そういった外交を縛ってしまって自由な行動ができなくて国益を損なうような法律をつくる国会が悪いのか、それとも、そういったものに縛られてしまって動きがとれなくなるような外交をしている外務省が、政府が悪いのか、どっちかになるわけですよ。
  我々はどっちの立場に立っているんだという問題になる。我々は、少なくとも立法府の議員であるならば、立法府の立場に立って、しかも調査会というものの立場からすれば、これは外務大臣であれば別かもしれない、外務政務次官であれば別かもしれないけれども、基本法をつくろうというのが基本的なスタンスであるべきである。こういうところが問題であるというふうな指摘があれば、政府側から実施部隊としてこういう問題がありますよという具体的なことがあれば、それを受け入れた形での案文をどうすればいいかというふうな立場をとるべきであるというのが私の考え方です。

○田英夫君 最近体験した例で、ミャンマーの、私はビルマと言った方がいいと思っているんですが、ミャンマーのヤンゴン空港の修理、拡大のために二十五億をODAで出すということを政府・外務省が決定したわけですね、まだ実施はしていませんが。これに対して国際的にかなり大きな批判が起こっているということで、先日、大島局長初め外務省の経済協力局の皆さんと話をしました。
  これなどはまさしくODA基本法、あるいは大綱に当てはめてもいいんですけれども、ODA基本法できちんと、民主主義を破壊する、守らない、そういう政権に対してはODA援助はしないという意味の法律があれば、実は外務省の判断は違ったろうと思うんですね。正直なところ、大島局長以下もかなり迷ったという感じを私は話し合いの中で持ちました。ほかにはっきり迷ったという言葉を使われたのは、ミャンマーのほかにあるプロジェクト、これは全くまた検討中で迷っているものですから結論を出していないようですが、少数民族を助けることにつながるようなプロジェクトのようですが、同時に問題もあると。
  この飛行場の問題は、一九八〇年代初めに日本とビルマ政府の間で合意ができていたのを、クーデターが起こってそこで中断してしまっていたと。そのために飛行場が非常に傷んでいて、全日空が定期便を飛ばしているにもかかわらず、危ない空港だと。このまま放置するわけにいかないし、もし事故でも起きたら日本が援助することになっていたのを中断している責任を問われると、そういう理由で今度実施するというのですが、根本にさかのぼれば、今のミャンマー政府は決して日本から見て好ましい状態にあるとは思えない。だから、判断の基準というものをやっぱり外務省なり政府にきちんと法律として与えた方が、実施される人たちもやりやすいだろうと思うんですね。
  外交を縛るとか練らないとか言う以前に、そういう例が既に起こっております。ですから、民主主義を守っていない政権はいけないとか、それから環境を破壊するようなことにつながる援助はいけないとか、そういう大きな柱を決めておくことが実は行政府に対してもやりやすくすることにつながるんじゃないかと思います。
○福本潤一君 山本委員から、外交を練るんではないかということでODA基本法は時期尚早じゃないかというニュアンスの話がありました。
  基本的に、外交を縛る練らないという形での判断でするのではなくて、ODA基本法ができていないODA大綱のときでもやはり外交には一定の影響を与えると。その縛るという言葉のとらえ方、位置づけによってこれは若干ニュアンスが変わってくるんだろうと思いますが、外交の方針というものがある意味では逆に束縛になるという形だけのとらえ方でしていくんではなくて、立法府の中できちっと定めることによって、過去にもODAの問題点がいろいろ挙げられましたが、例えばマルコス疑惑のときのようにフィリピンへの援助が実際的な援助になっていないようなことがあれば、そういう基本法ができることによってむしろ監視の目がかなり強まるわけですね。具体的に一つの環境とか平和とかさまざまな人道的支援というものはあのときはなされていなかったわけですから、それが多くの人間の目をもって、それに対する監視の目が、日本の方からも目が向くと。
  そうすると、そういった問題が出たときに、予算委員会等々で今でも審議できるわけですけれども、基本ベースの理念、明確になった法律があることによって初めて、その問題点、それと目的どおりに使われていない状況というのが明確に国民の前、国会の中で明らかにされる。そういう意味でも、私は縛るということ、縛り方の強さの問題というのはあるかと思いますが、どういうものでも基本的には一定の縛りというのは弱い強いはあれ出てくるわけですので、この機会に国会も外務省と同時にODAの予算に関しては責任を持つと。外務省だけに全部責任があるという形でする状態、専権事項だから基本法をつくらないというのが意見の中にあると思うわけですが、それは外務省だけが全部責任を負おうとする難しさの中にそういう状況が生まれているんではないか。むしろ基本法ができて、やることによって、国会議員また国民もその責任は同時に負うんだという形での基本法をつくっていくことによって、このODAもスムーズにいくんではないか。
  今までODA基本法ができていなかった理由が一つ大きくあると思いますということでしたけれども、これは、ある意味では五五年体制以後、ほとんど自民党政権が中心になって与党側として法案を最終的には通す通さないというのが決められたという世界の中で、まあ自民党が一番国民の支持を得ていたわけですからそういう状況になったわけでございますけれども、と同時に、ODA基本法について通す通さないが国民の世論だったかどうかというのは違ってきていますし、また現在、それをむしろ通した方がさまざまの問題点を挙げられていいんではないかという世論になりつつあるというのも現実ではないかと思います。
○上田耕一郎君 さっき山崎委員が私の主張は共産党の参加する政権ができなきゃ無理だろうと言われたんだけれども、全くそういうことはないと思うんですよ。
  九六年のODA白書は人間中心の開発と言っているし、九七年のODA白書は環境開発と言って非常に重視していまして、前の調査会でつくった各党合意もそういう人間中心の、発展途上国の人間的な開発に対する支援を一番に置いたわけで、政府のODA大綱も基本的にはそういう表現になっているわけですね。実際にはそういう建前と違って、文字どおり戦略的なODAがアメリカから押しつけられると乗ってくるわけですよ。
  例えば、さっき言った日米語間委員会の日本首相とアメリカ大統領の提言にこう書いてあります。「最近になってみられるエジプト、パキスタン、トルコ、スーダン、ソマリア、およびアラブ湾岸諸国の一部、さらにカリブ海地域などに対する援助の拡大は、戦略的に重要な地域に対する援助の政治的重要性を日本が認識していること」、これを示したと公然と書かれるわけですよ。
  あのころだったかな、ある小さな国、アメリカにここをやれと言われて、外務大臣がその国はどこにあるんだと言ったという話が新聞に出たほど、外務大臣も知らぬ国をアメリカに言われてODAを決めるというようなとんでもない事態が今まであったわけですよ、事実として。そういうことがODA基本法という法律がないということも悪用されて実態的に進んできたので、それをやっぱり全国民が納得するものにする。政府としても外務省としても公然とうたっている原則に基づいたODAにしようというんだけれども、これは何も私どもが参加した政府ができなくたって、今の政府で、国民の世論それから国会のきちんとした関与でできるはずのことだというふうに思うんですね。
  その方向を進むことは、基本法というのが建前と違って横にゆがんでいく外交のゆがみを直すという意味では、縛るというかな、いい意味で縛るということになるかもしれませんけれども、細かな干渉をするという意味じゃないと思うんですね。やっぱりきちんと基本法ができて、その目的、原則に基づく施策が進むことを、ODA白書なんかでうたわれているようなことを進めていくことをみんな望んでいるわけだから、我々がきちんと見ていて、それにのっとった基本を外れた場合には厳しい批判も国会は言わなきゃならぬということがあると思うんですけれどもね。
  だから、山本さんが実際に手をつけておられたいい意味での支援のようなものを、そんなものはやめろやめろなんということを国会がうるさく言うということはないと思うんですよ。だから、国会に審議の場はやっぱり一つ要ると思うし、基本点をみんなが議論することだと思うんですね。
○広中和歌子君 基本法が外交を練るかどうかということで今議論が続いているわけですけれども、私自身としては、ODA基本法は外交理念をむしろ反映するものでなくちゃならないし、また、ODAはその理念を実現する一手段である、ほかにも手段はいろいろありますけれどもその一手段であるということは当然だろうと思っております。
  ちょっと別の方に話を持っていきたいんですが、私どものこのODA小委員会というのは国際問題調査会の一分野であるわけなんですけれども、ODAをどの地域に重点的にやるかという問題についてちょっと意見を言わせていただきたいんです。
  地球は狭いと言いながら、やはり非常に多様な文化、多様な地域に分かれていて、非常に大きい中で、私どもが一番やはり密接に感じるのはアジアでございます。日本のGDPはアジアの七〇%を占めるというぐらい大きい中で、アジアの国々を助けていくということ、そしてまた、そこから発展したアジアの国々が他の地域にさらなる波及効果、支援を行っていくというような形のODAのあり方というのがあるんじゃないかと思います。
  それで私は、世界の中で先進国がODAに関してすみ分けをしていく、得意な分野、得意な地域、歴史的、文化的に関係のある国に特化してやっていくというようなことを考えられてもいいんじゃないかと。だから、つまり広く薄くというよりはむしろ特化してやっていくというようなことを、余り時間はないんですけれども、一つの問題提起として提案させていただきたい、それについて皆様方の御意見が例えればいいなと思うわけです。
  この前、調査会の方で申しましたけれども、戦後のアメリカが世界のGDPの四五%を占めていたときに、アメリカは西側世界の秩序づくりということでさまざまな支援体制、ヨーロッパ、我が国を含むアジアの国々に対して支援のイニシアチブをしたわけでございますけれども、どうも私どもは、少なくともアジアにおいてはこれだけ超大国であるにもかかわらず、アジアに十分なことをしていないんじゃないかと。今回のアジアの経済危機を見ましても、もっと日本が重点的に支援をしていけば、少なくともアジアを中心とした世界に広がる経済危機というのは避けることができるんじゃないかというような想像もできるわけでございまして、そこのところで皆様方の御意見をお伺いしたいと思います。
○永野茂門君 今の広中先生のお話も関連づけて申し上げたいと思いますが、私は、国益というのを一体だれが判断するのか、外務省が一人で判断するはずは絶対ないと思うんです。
  その中の一例として言えば、今のように、ある部分に特化する、日本の非常に得意とする分野に特化するという方針も一つの国益の流れの中での文化であって、そういうことをやることは日本にとっての国益であるという判断が入るわけです。そういうやり方を採用するかどうかは別にいたしましてね。いずれにしろ、何を国益とするかということによってODAの中ではこういうことをやりますと。
  外交が非常に特化されて独立的な、政府だけがやるような感じに解釈されているのは、外交はある国益を遂行するために、あるというか、全般の国益もあるし、ある特定の国益もあるわけですが、それにはいろんな交渉上の駆け引きもありますし、タイミングもありますし、それから秘匿すべきこともありますし、そういうことがあって、広くやるんじゃなくてまさに専門的にやっていかなきゃいけないと。こういうところが、外交は外務省といいますか政府がやることであるということが定められて、各国で多くは不文律でそういうようになっているわけであります。そもそも基本的に国益は何かということになりますと、まさにこれは全国民が考えていいというものにするべきであって、その意味において国会において法律をもって非常にはっきりとといいますか、ブロードに決めることがいいと。
  この論を追求していきますと、性格は若干違うんですけれども、かつての統帥権の独立てす。もし、外務省が自分で日本の国益はこうだということを自分だけで判断するようなことがあって、ほかからの介入は許さない、あるいは大方針がどこかから示されることを許さないというようなことを、そういうことを外務省が言うはずはないんですけれども、仮にそういうような理論で物を考えるということになれば、これはかつての統帥権独立の考え方に通ずるものがあって、それはいいことではない。したがって、基本法で定めること、これは守る義務が生じる、つまり拘束することに当然なると、私はそう思います。
○山崎力君 ちょっと戻って恐縮ですけれども、まず上田先生の方でいけば、先生もおっしゃられたように結果的にはアメリカの戦略援助の追随だったということはお認めになっているわけで、私が申したかったのは、自主的など言っても、今、永野先生がおっしゃったように、まず国益という観点からすればアメリカの追従をしていった方が大きな間違いがなくてその方が国益に沿うだろうという外交方針というものがあったわけですから、そういった意味で、それを変えるということは現状においては共産党さんが政権に参画しないとできないのではないかと、そういう意味で言ったわけでございます。
  それから、今の広中先生のあれは、私はちょっと反論的になると思うんですが、一つの考え方ではあると思うんですが、それを突き詰めていきますと、経済圏をそれぞれ持ってしまう、テリトリーを持ってしまうということで、それは余り得策ではない。ただ、少なくとも各国がそれぞれの近い関係のあるところにODAを重点的に配分するということは当然あってしかるべきだし、現実にあって、我が国の援助計画の多くが東南アジアに行っているということを考えれば、これは結果としてそういうことになるかもしれないけれども、あらかじめそういったことを決めてそういったところを重点的にやるということは私はいかがなものかと。
  一つ考えてみれば、今問題になっているのはまさに石油の問題であって、湾岸の石油産出国に対する経済援助というものは当然念頭に置かなければいけない。ところが、ある時点において例えば原子力の関係でウラニウムが出る国が突然ぽんと出てきた、ここのウラニウムを我が国が輸入することによって我が国の原子力エネルギー政策の根幹のバイタルな部分の国になると。こういうことがぼっと今までのテリトリー外のところに出てきた場合、アジア以外に出てきた場合、そこのところへ簡単にシフトできないということも理論的には考えられるわけですから、結果的にそうなるんであって、あらかじめそういうのを念頭に置いたのはいかがなものかというのが私の考え方でございます。
  それからもう一つ、今の流れで言えば、やはりここの部分というのは、今も永野先生おっしゃられたように国益をどう考えるかと。これはそれぞれ違う部分があると、ところが、その国益をそれぞれ違った形で主張されたのでは対外的にまとまったイメージが、日本としての国益が出てこない、だからそれを一元化するためにはやはり外交権ということで外務省が対外的には窓口になりましょう、それが仕組みだろう、考え方だろうと私は思っているわけです。
  ですから、そういった意味において外務省を一元化の窓口にするということに関しては異議はないわけですけれども、そうなってくると、今、永野先生のおっしゃられたように、そこのところで余りにそれが一歩飛び出してしまうとかつての統帥権の干犯だ、外交権への侵害だと。これは一元化すべきものだということが余りに出てきてしまう。それはそれで外務省としても政府としても言いたい部分はあるんでしょうが、それにクレームをつけるのは、一義的には政府を構成している与党の方々の責任であり、その人たちだけが代表者ではないわけですから、国民の代表者としての国会であろうというふうに思えば、その意味において、そこのところの国益を最終的に判断するのは国会である。これは現実かどうかは別として、制度上はそうあるべきだと。なるべくそれに沿った制度と運営にしていかなきゃいかぬ、この観点だけは曲げる必要はないと思っております。

○山本一太君 ちょっと私も戻るんですが、まず、福本先生の方からこれからはどんどん国会もODAにきっちりとチェックを入れていかなければいけないというお話があったんですけれども、もちろん私も全く同感でございまして、別に国会が外交政策、この場合、ODA政策に関与することが悪いと言うつもりはありません。ただ、その方法として、先ほどから出ている法律もあれば違う方法もあるんじゃないかという意見ですから、そこは誤解をいただかないようにというふうに思います。
  山崎先生の方からさっきもいろいろあったんですが、立法府として常にきちっと法律に基づいてやるのが基本だというお話はそのとおりだと思うんですけれども、そうするとすべて法律でやるかというとそうではないと思います。法律をつくることがいい場合と、法律をつくらないでやることがいいという判断もあると思うし、例えばODA基本法というものを国会の場で議論して、これをつくらなければ国会の怠慢であるという話があるとすれば、それは私は違うと思います。もしそうだとすれば、援助をやっている国で法律のないところは全部国会議員が怠慢なのかというような議論にもなってしまうんではないか、そういう気がしています。
  そして、外交の分野とかODAを外務省の専断で行ってはいけないというような、どうもそういうお話がさっきも永野先生の国益という論点から出てきたと思うんですけれども、私はもともと外務省の利益のためにODA基本法のことを考えているわけじゃないんです。私は、ちょっと全体的な話になりますけれども、現行のシステムでも個々の国会議員は十分に外交政策とODA政策に影響を与えられると思います。これは自戒も含めて言いますけれども、毎年送られてくるODA白書それから外交青書を全部読んでいるかな、国別援助指針の資料を全部読んでいるかなど。そういうものを十分に研究し情報を仕入れて、それを例えば与党であれば委員会であるとか部会であるとか、いろんな場所で実はインプットできたんではないかという気がしています。
  さっき山崎先生が言われたように、外交を専権的に行うのは一応政府・外務省ということになっているわけなんですけれども、これまでえてして、外務省が例えば常任理事国入りの問題なんかでも暴走しているとか、この件は外務省が専行しているという話があるとすれば、私はそれは自分も含めた国会議員の怠慢じゃなかったかと。すなわち、外交政策を勉強している暇はほとんどありません。外交政策をやっていると大体選挙に落ちるというのが今までの常識だし、地元で外交政策の話をしても、ODAをうちの村によこせという話になっちゃったりするものですから。それはやはり国会議員のやり方で、ODA政策に法律がなくてもいろんな意味で関与し、また影響を与えるんじゃないかと私は思います。
  さっき上田先生が中川先生の本邦初公開という発言の話をされて、実は私もあれはずっと考えていたことです。非常に同感だなと思ったのは、例えばアメリカは、大統領制と議院内閣制という違いもあると思いますけれども、とにかく行政府が立法府をうまく使っている、すなわち議会が怒っているからこうだと。こういう二つのアプローチでレバレッジとして使いながらやっているということは、やはり私は日本の外交でもやるべきだと思う。ことし、実はそういうことを目指して、議員外交がしっかりと外交政策に波を起こす方法をいろいろ考えているわけなんですけれども、あの中川先生のお話は非常におもしろいと思いました。ただ、それが、ODAについて政府が外に物を言うときに、ODA基本法でなくてもいいんではないかなというふうには私は思いました。まず、それが一点です。
  それから、あと田先生がミャンマーのお話で、一つの例として援助基本法みたいなものがあればミャンマーへの援助はできなかったというふうなお話をされたんですが、そこは文字どおり国益とか人権というものの判断の問題だと思います。
  確かに、ミャンマーは必ずしも民主化が進んでいる状況じゃない、いろいろ懸念されることもあるわけです。私もUNDP、国連開発計画の管理理事会なんかで経験しましたが、日本はアメリカ、ヨーロッパとはミャンマーについてはやや違うスタンスをとってきたところもあります。それが正しいか間違っているかというのはいろんな判断だと思いますけれども、私は必ずしも西欧的な人権のスタンダードが確実に正しいということはないと思います。私の個人的な見解からすると、ミャンマーについては、BHN、ベーシック・ヒューマン・ニーズですか、そういうことについて配慮しながら柔軟に対応するという方針があったと思いますし、この場合、私は決して間違った判断ではなかったというふうに個人的に思っております。こういうことで、例えば法律があるためにこういうことはできないということも、違う例として考えられるんではないかなという気がいたしました。
  それと、広中先生が言われた、もう少しドナーがそれぞれ役割や地域を特化してやったらどうかというお話は、ちょっと急のことなのでなかなか頭がまだまとまらないんですけれども、山崎先生がおっしゃったように、いわゆる地政学的というか自分たちの経済的な権益に近いところについては現実にそういう援助を各国は行ってきたと思うんです。アメリカは戦略的、人道的ないろんな立場から重点を決めて援助をやってきたし、日本は経済権益ということからどうしてもアジア中心になってきましたし、英仏は旧植民地ということでやってきた。山崎先生が言われたように、これを進めていくと確かに何かブロックみたいなものができて機動性が失われるという話は私もそうかなと思うんですが、反面、広中先生がおっしゃったように、地域という話ではなくて、例えば各国が持っている技術とかノウハウを生かしたODAのやり方というのはあるかなと。例えば、これはODAと呼べるかどうかはわかりませんけれども、核廃棄物の問題なんかで日本が先進的な技術を使ってそういうものを専門的にやるとかいうことは考えられるのかなと、今そんな気がしました。
  ただ、アジアを中心に日本の援助をやってきて、今アフリカにも一生懸命お金を随分出しているんですが、アフリカなんかは日本は人のベースがすごく弱いんですね。例えばナイジェリアの援助なんかは、一人か二人がわからないんですけれども、大使館で経済担当の書記官が一生懸命抱えてやっている。UNDPは、少なくともプログラムオフィサーが合わせて二十人ぐらいいて、アブジャという新首都の方に何十人もいますから、全部で五、六十人でやっている。じゃ、アフリカにベースのある国際機関とかほかの国にやらせればいいかというと、逆に今度は、日本は余りアフリカに政治的なかかわりがないだけに意外と確執がないので中立的な援助ができると。
  いろんなことがありますので、そこら辺をいろいろ考えた上で、特化というよりそれぞれの国の能力とか実情に応じた援助というのは先生おっしゃったように考えていってもいいし、何か方式が出てくるんであれば提言に持っていってもいいのかなという感じがしました。
  長くなりましたが。
○福本潤一君 山本委員の、ODA基本法がなくても基本的にはうまくいくんではないかという御意見がありました。イギリスの例、これは手続法だということで、なくてもいい一つの理由として挙げられております。
  逆にドイツは、基本法がないわけですが、援助政策の基準というものを策定して現実に実行している。そしてその中で、むしろイギリス以上に、各支出計画を予算として議会に提出して承認を得ている。さらには、個々のプロジェクトまで説明書を提出してその承認を得る。過去二、三年の実績を議会の承認を得なければいけないということで、確かにドイツなんかは基本法がなくても日本以上に、プロジェクトの具体的な予算までやれているという現状はあると思います。
  こういう英国とドイツという二つの国の関係、アメリカはもう基本的にはほぼ法案ごとに予算がついておりますのでもっと厳しくなっていくと思いますが、じゃドイツのような形で日本がODA大綱でやれておるかどうか、ここの問題が逆にあると思うんです。
  現在、例えば予算委員会でODAを取り上げて質問される方もあります。ただ、具体的に見てみますと、今国会は特別すさまじいのかもしれませんけれども、不正の追及とかさまざまな形で、予算等々に関してはある意味で具体的審議は余りないまま、何か結果として承認されていますよというような形で日本はいっておる。そうなりますと、ドイツのような援助政策の基準があった上で具体的な支出計画まできちっとつくっていくというシステムに日本はなっていないというところを考えますと、先ほど山本委員が言われた、基本的になしでもいいんじゃないかという理由は、はっきり言って、ない方がとにかくいいんだという形の御意見としか響いてこないというのが私の方にはあります。
  それと、広中委員の意見に関しましてはほとんど山崎委員が言われたことと同じ意見なんですが、例えばアジアというのを特化してやるというのがどこから来たのかというのがつかみにくい。先にそれを限定することによってやるという意味なのかどうかわかりませんけれども、そういう形での限定を目的としてやるんじゃなくて、現在、日本の外交政策上アジアにたくさん集中しているよということならばやむを得ないにしても、アジアとして地域を限定するという理由は不分明なところがある。ただ、プロジェクトとして厚く薄くつけるという御意見の方には賛成しておきたいと思います。
○上田耕一郎君 私は、ODA基本法をつくることが外交政策を縛ってマイナスになるんじゃないかということよりも、ODA基本法をつくることがODAを通じての発展途上国に対する日本の国際的貢献をさらに効果的、効率的な、その国の自主的な発展、自主的な人間的開発の権利を本当に援助するものになるということを強調したいと思うんですね。
  国連の資料を見ますと、国連の統計は九十カ国使っているんだけれども、発展途上国にとってODAの比重というのは極めて大きいんですね。八〇年代はネットの投融資額の中で公的資金は五割だというんですよ。九〇年代が三割。これは贈与と公的融資で。だから、もっと依存度の高い国も、六割ぐらいある国もあるぐらいです。だから、八〇年代にはその国の民間の投資とODAによる贈与と融資が同じ額ぐらいあったと。五割、三割という非常に高い依存度を持っているわけなんで、発展途上国にとってこのODAというのは死活的な意味を持っているんですね。
  その中で日本は世界で一、二という額を供与しているわけだから、それを本当に有効にその国の自主的な経済発展に役立つようにすると。山崎さんが言われたけれども、何も外交政策を変えると僕は言っているわけじゃなくて、今の外交政策は余り認めないが、続いていったとしても、国民の税金を一兆円使うものを本当にもっと効率的なものにすることができるだろうと思うんですね。
  日本の工業技術、科学技術、それから農業、漁業等の技術、それから医療を初めとして大変レベルが高いわけだから、軍事的貢献にない非軍事的な平和的な貢献として日本の持っているすばらしい能力や可能性を本当に効果的に生かすためには、やっぱり法治国家として基本法をちゃんとつくって、国会も国会の責任を持った、国民に責任を負えるような審議をこの問題についてやるというのは極めて普通のことで、マイナスになるどころかプラスになるだろうし、プラスにするような役割を国会は果たさなきゃいかぬのじゃないか、そう思います。
  その可能性はあると思うんですね。日本は戦前は発展途上国みたいなものだったわけだから、その日本がいろいろな歴史の変転の中で今日のように最大の援助国として立ちあらわれつつあるわけなんで、自分の国のこれまでの歴史の中から教訓を生かす意味でも、日本の貢献は大変大きい可能性を持っているんじゃないかというふうに思います。
○永野茂門君 山本さんのおっしゃることが、基本法を排除するのではなくて、一つの選択としては認めるけれども現在のところ基本法をつくらない方がいいんじゃないか、こういうようにお考えになっていると、その趣旨はよくわかりました。ちょっと誤解しておりました。ただ、それを踏まえても、私は、多くの皆さんが言っていらっしゃいますように、基本法を制定した方がいいという考え方は変わりません。
  というのは、何といっても日本が、地球的な問題でありますとかあるいは人道的な問題でありますとか、あるいはさらにもっと長期の歴史的な問題について貢献をする、こういうことを世界に明確にし、そして国民にもそれを自覚してもらい、国会議員ももちろんこれを自覚し、かつチェック機能に参加するというようなことをこの際明確にすることによって日本のODAは本当に発展していくだろう、このままでは必ずしもそういうような発展の方向はたどらないと私は判断しますので、そういうように意見を申しておきたいと思います。
○馳浩君 山本委員に質問というか、御意見として伺いたいんです。
  今現在はODA大綱の四原則に基づいて実際に実施されている内容についてODA白書として外務省から出されておりますが、この四原則のどの項目に基づいてなされているのかという観点からの評価がないという指摘が東大助教授の中川参考人からありまして、彼は彼なりに分類をして、日本の外交政策上の傾向が見えるというふうな発表までしていただきました。しかし、今現在のままでは、ODA白書として結果報告として出しておる、さあ見てくださいというのが外務省の立場でありますから、それをもって、四原則に基づいてどういう評価をするのかということこそが国会の役割の重要な点であるというふうに私は認識しているんですね。
  ですから、山本委員が従来からおっしゃるように、大綱の見直しとか運用の改善という形で四原則に基づく実施の結果を評価することができるのかどうかということを考えた場合に、私はそれは非常に不透明なのではないかと。こだわりますけれども、法に基づいて行政監視委員会なりが評価していく、そしてその結果得られる議論が次の外務省による政策的な機動性、柔軟性を奪うのか奪わなくなるのかということは、また一つ先の議論である。私は、現実的な評価のあり方に不透明性を感じるのであり、ODA基本法の制定がまず必要なのではないかという主張なのであります。
  いかがでしょうか、この点に関しましての山本委員の意見は。
○山崎力君 その前に同じような質問ですが、山本さんだけに何か集中砲火みたいで恐縮なんですけれども。
  ODA白書を読んだかとか外交青書を読んだかとか、国会議員もどうのこうのと言われたのとちょっと絡むんですけれども、国民の理解というのは、そんな読んだからどうとかこうとかという問題じゃなくて、一つ一つのティピカルといいますか典型的な問題があってどうなのかねというときに納得するかしないかのレベルだと思うんですよ。そういったものを素直に納得できるような形の説明がなされていれば、ODAに対する国民の理解というのも深まるわけです。
  そういった点でいきますと、確かに、先ほどの山本さんのあれでいえば馳さんと同じような形の反応は出てくるわけです。それだったら、今やれるよ、今の体制でいいんだというまとまったペーパーを出してください。法律をつくらないでいいんだ、これをこう改正してやっていけばむしろない方がちゃんとやれるんだというペーパーを外務省から出してもらいたいというのが、反論としてまず一点出てくるわけです。
  その次に、先ほどの田先生の問題からいけば、確かに問題が基本的に違うかもしらぬけれども、政府としては今ミャンマー政府のこういったことに対して援助するということは国益にかなうし、長期的な問題それから人道的な問題にもかなう部分であるという説明義務がそこで生じるわけです。
  それから、もっと敷衍してというか別の観点で言えば、隠れた問題として、大国中国に対するODA援助の問題というのは、これは余り表面化されていないけれどもあるわけです。日本に核ミサイルをセットしている国に何で金を出すんだと言う人もいるわけです、事実かどうかは別として。ただし、そういった中でも、例えば石炭の脱硫装置の環境保全であれば、中国大陸の人たちの国土保全にも役立つし、ひいては日本の方に流れてくることに対しても役立つということでやるべきだという意見も出てくる。あるいは、この間問題になった三峡ダムへの援助にしてみれば、あそこは非常に問題なところがあって我が国はあそこまでの環境破壊は認めないんだという感覚があれば、説明をする。
  このことに関してはODAとか資金援助はしないという一つ一つの説明を、そういったものがあればせざるを得なくなるわけです、外交政策として。そのやり方の是非はともかく、結果の是非はともかく、少なくともこの時点でこういうことをするにはこういう考えで我々はやったんだと、透明性を確保するという意味からいっても、その基本的なものというのは必要だろう。それが一番適当なのは何かといったら、やはり基本法的なものを、とにかく成文法をつくって、ある程度の縛りというとおかしいですけれども、やる。
  その縛りをいかに国民に説明してくぐり抜けていくかということが、日本のこれからの外交をより洗練された、英語で言うとソフィスティケーテイッドですか、そういうものになるんじゃないか。これは受け売りですが、外交というのはソフィステーケートされた内政干渉であるという有名な外交の言葉がありますけれども、洗練させるための、今の日本の外交というものを国民にとってもわかりやすくし世界にとってもわかりやすくするための、法律というとおかしいんですけれども、考え方を変える一つのきっかけになるんじゃないかなと。
  もちろん、そこのところで変に縛って国益を損なうようなことになりかねない部分というのは外交の場合あるわけですけれども、それこそまさにそこのところを明らかにして、今回に限ってはこの経過については国益上明らかにできないと言えばいいだけの話なわけです。そういうふうなことを恐れているんじゃないかなというか、面倒くさいことをとにかく避けようということが先にあるんじゃないかなという気持ちを払拭するようなことを提示していただかないと、馳さんじゃないんですけれども、気持ちはわかるんだけれどもなかなか乗り切れませんね、やっぱり基本法はあった方がいいんじゃないんですかということになるんじゃないかと思うんです。
  あわせてお答え願えればと思います。

○山本一太君 まず、福本先生の方から。
  何か私の議論は、基本法はやっぱりない方がいい、そういう議論として響くという御指摘がありました。ドイツの例なんかもあったんですが、先生おっしゃったようにドイツは基本法がない状態で援助政策をやっているということで、予算やプロジェクトをきっちり提出して、その予算承認を受けてプロジェクトを進めているという話であるとすれば、例えばなぜドイツが基本法をつくらないのかということを私なんかの感覚からいけば最初に調べて、果たしてそれが日本でできないのかどうかをまず分析して、いろいろ情報を集めるというのが最初のスナップじゃないかなというふうに思いました。
  ある意味では、なぜドイツが基本法をつくらないでやっていけるのかというのは一つの参考例になるのかなという感じがいたしました。
  あと、馳先生から、例の四原則をどういうふうに担保してどういうふうに外交政策に生かしているかということが不明瞭ではないかという御指摘がありました。
  私も中川先生のお話を覚えているんですが、いろんな今までのケーススタディーで、中国の場合、北朝鮮の場合、あるいはアフリカの幾つかの国なんかもあったと思うんですが、日本の援助政策がこの四原則を当てはめていったかどうかといったしか表みたいなものを中川先生がつくられて、アフリカ地域が少なくてアジア地域が何点だというお話があったんです。
  果たしてODA政策というか外交政策というものが中川先生のおっしゃっているような得点ではかるべきものなのかなというちょっと疑問をまず私は持っていますし、それは山崎先生のお話からいけば、こういう理由でこれだけの援助しか出さないということを国民に一つ一つ説明していかなければいけないということになるのかもしれないんですけれども、そういうことが果たして常に外交政策の中で適当かなと、私は基本的に疑問を持っているところがあります。中川先生の得点の方式はすごくおもしろかったので、うちで読みました。アフリカのこの国のときはどうのこうのという話があったんですけれども、そういうふうに数量化できるものかなというふうに私はとらえています。
  さっき山崎先生から、ODA基本法がもし必要じゃないんだったら、じゃどうやって現行のシステムを深化させたり、あるいは基本法以外の新しい方法をもって日本のODA政策あるいは四原則の担保を図るのか、そのペーパーを出してくれというお話があったんですが、それは外務省に向けられたものなのか私に向けられたものかあれですけれども、それはちょっと自分でもまとめて、議論のたたき台にもなるのでぜひ準備して先生のところにお出ししたいと思います。自分なりにもっといろいろ勉強しなきゃいけないし、まだ法律にするということについて確信が持てないものですから、そこら辺の疑問点は、外務省の方を私、代表しているわけじゃないんですけれども、自分自身として少しまとめて山崎先生に御提出したいというふうに思います。
  ただ、先生のおっしゃった中で、この法律ができることでむしろ日本の外交政策に試練を与えて日本外交の洗練を図るというのはすごくおもしろい、大変勉強になる御指摘だったなと思います。永野先生がおっしゃった、ODA基本法をつくるということはすなわち日本が世界最大のODA貢献国として内外に明確なメッセージを送るという意味があるということにつきましても、ああ、そういう見方もあるのかなという感じがしております。
  ただ、私は、ODA基本法は絶対おかしいとかつくるべきではないというふうには言いませんけれども、私自身の中で、条文にするということが果たして本当にベストの選択なのかということについてはやっぱり確信が持てないという意見だということは申し上げたいと思います。
○田英夫君 前に基本法案をつくったときに各国のことも勉強してみたんですが、一つわかったことは、ODAをやる国ですから先進国であるわけですけれども、それぞれの国の歴史がやはり反映しているということを思いました。
  例えば、イギリスとかフランスは、かつての植民地の宗主国として引き続きそこに援助し対応していくということがにじみ出ています。イギリスの場合は保守党と労働党の間に基本的に考え方の違いがあって、いつかここで申し上げたかもしれませんが、大変おもしろいのは、労働党政権になると担当大臣ができて、保守党政権になるとそれがないというふうな、そんな違いまであるんです。
  日本の場合を考えてみると、これもここで何度も言われたとおり、これは戦後の賠償から発展してきた。日本政府から相手国に対して賠償を支払う。相手国というのはほとんどアジアの発展途上国でしたから、当時はフィリピンやインドネシアあるいはビルマはもっと貧しい。そういうところに対して賠償が行くと、それを使って何をやるかということがなかなかこなせない。したがって、そこに今度は日本の企業が出かけていって、日本の企業が実は利益を上げる結果になるんですけれども、プロジェクトを決め、そしてそれを向こうからの要望として今度はODAという形でお金が引き続き行くようになってきたという歴史があると思います。
  その中で、フィリピンのマルコス疑惑であるとか、それ以前では、まだ韓国が対象国の時代にはソウルの地下鉄疑惑などというのがありました
し、インドネシアも、企業の名前は言いませんけれども、ある企業がそこに食い込んだことによって疑惑が起こった。そういう一種の欠点に対する反省という中から、基本法をつくるべきじゃないかという議論が民間も含めて起こってきたんじゃないかと思うんですね。
  ですから、国それぞれで歴史があって、日本の場合はその歴史の中からやっぱり基本法をつくるべきだという意見がずっと出てきたんじゃないかと思っています。
○広中和歌子君 基本法の必要性については、少なくともあった方がいいという御意見が非常に多かったわけでございますけれども、そして私もそれにくみするわけでございますが、それ以上に大切なのは、個々のODAが果たして基本法の理念あるいは大綱の理念に合致しているかどうか、そしてまたその予算の額が正しいものであるのか、そういった細かなチェックだろうと思います。
  福本さんが先ほど御指摘になりましたように、日本の国会、予算委員会にいたしましても外務委員会にしてもほとんどそうした個々のチェックというのはなされていない、それに比べてドイツの場合は基本法、大綱がなくても実施の実態について細かなチェックがなされていると。そういうことでやはり違いがあって、ここが非常に大切なことじゃないかと思います。
  私どもの国会というのは政府・与党と野党に分かれるわけですけれども、どういうものか、国会での審議になりますと与党は批判精神をすっかりなくされちゃって、要するに官庁のやることを弁護する立場に回られる、それが非常に私は残念に思えて仕方がないわけで、そういう意味でも三権分立じゃないなと思うわけです。もうちょっと審議というものをきっちりできるような、議員の意識改革も必要でしょうし、あるいはほかのシステムが必要なのか、これもまた検討のテーマになるんじゃないかなと思います。
○福本潤一君 田委員の方から各国の状況、ODAに対する歴史的な背景を語っていただきましたので非常にすっきりしてきたと思うんですが、先ほど山本委員からドイツ等々の私の現状説明みたいなものに対して御意見がありました。
  基本的に私の方は、山本さんが言われた、イギリスの例等々を出した上でない方がよいという理由が余りにも不分明ということで、たまたまドイツの方を出させていただいたわけですけれども、ない方がいいということよりもむしろ確信が持てないんだという御意見だったということはよくわかりました。
  ただ、例えば日本はなくて、予算だけに限るわけじゃないですけれども、予算委員会の話が広中先生からもありましたけれども、現状では決算委員会でやっとできるというぐらいの状況ですが、その決算委員会もそういう報告書ができるまで、結局二、三年おくれで審議に入る。とすると、具体的にその中身を検討できないという日本の国会の現状。
  それと、ドイツは、明確に法律という形ではないにしても、政策の基準ということで具体的に予算まで、これはもうある意味では法律と同等ぐらいの運用がなされておるわけです。だから、先ほど意見のいろいろあった緩やかな基本法という意味合いよりも、もっとそういう意味では予算には入り込んでおるわけです。単年度ごとに、またプロジェクトごとに予算案を出して一々承認を得る。
  それで、先ほどはアメリカの対外援助法に関しては国別の状況が違うからということで触れませんでしたけれども、一つ一つの法案、一人の人が出したことによってその法案に対する予算がどれだけとかいうことまで決まるような国情とは日本はまた違うという意味で、引き合いに出していないだけです。ドイツのように具体的にそういう基準というものを出してもっと事細かにやっているという現状を見ますと、やはり日本というのは、そこまでは踏み込めないにしても、基本法できちっと緩やかに理念・目的というのを定める。日本はこれだけ対外的に援助している実績を、ある意味ではアピールする必要があるぐらいの予算で運用しているというところを、きちっと国際社会にも対外援助も含めてやっているんですよと示す意味では、ドイツほど厳しい予算チェックじゃなくても、緩やかな基本法というのをつくっていったらいいんではないか。
  英国は先ほどの御意見でも対外開発協力法ということで手続法だという言われ方をしましたけれども、実態を見ますと、やはり予算に関しても具体的にきちっと国会の承認を得る、議会の承認を得るという作業を踏むわけですね。また、報告書もきちっと議会に提出する。
  今、外務省は縛られたくないということで行っておられるんでしょうけれども、各議員のところへ白書が届く、それを国会への提出物として出して、それに基づく審議という形ではなく、なるべく国会というものを経ないで、ある意味では閣議でこういう形に閣議決定しました、それで国会は経ないという形で進みがちなわけですね、日本の国会の現状は。そういう現状を見たときに、やはり山本委員の御意見は、ない方がよいなというのが前提にあるんではなかろうかというふうに思われるくらいの理由しか出されていないという結論になるわけです。
  よろしくお願いします。
○上田耕一郎君 日本とドイツは、ODAのタイプが非常に似ているんですね。先ほど言った工藤元衆議院議員が詳細に数字を、統計を駆使して分析したものによりますと、日本とドイツはアメリカ戦略補完型、同時に経済進出目的型と、やっぱり似ているんですね。それで、アメリカは徹底した戦略的・安全保障目的型、フランスとイギリスはアメリカの戦略補完の性格が非常に弱い、そのかわり、フランスは旧植民地中心型、イギリスは英連邦中心型。なるほど大体そうだろうと思うんですね。だから、主な資本主義国はそれぞれODAについて独特のタイプが生まれているわけですよ。それで、ドイツと日本は特徴が非常に似ていると。
  それで、これも明らかなことなんだが、日本は非常にODAがふえていったので、その国のODAで日本が一位だという国がうんとふえているんですね。アメリカはこういう性格だから、ばらまいている国の数はそう多くないですよ。そういう意味で日本というのは、ODAに依存している発展途上国が多いんだけれども、その中で役割が非常に大きい。
  こういうタイプがある中で、大きな比重を持っているこの日本のODA、アメリカともドイツともフランスともイギリスとも違う、本当に発展途上国の自主的発展に役立つようなタイプというのは今世界にないわけだから、そのタイプを我々はこの日本でつくろうじゃないかと。それをつくる上で、ODA基本法というのは歴史的な役割を果たし得るんじゃないかというふうに思うんです。
  それで僕は、もうきょうはいよいよ最終段階なんだけれども、一つ具体的提案があるんです。
  山本委員は事務局長でもあるし、ただ、まだまだ確信は持てない、必要かもしれぬとも思っておられると。田さんはもう既に法案を提出した張本人の一人なんだが、その田さんがもっと簡潔な、各党一致できるようなものをつくろうと言われているので、山本委員と田委員、小委員の中からお二人で、ひとつ骨子や要綱みたいなものを大変だろうけれどもやってみていただけないかなと。そして、山本委員も、なるほど田さんがそう言うのなら僕ものめるな、自民党ものめるなと思うようなことまでいけば実を結ぶことができるし、我々の意見もあるかもしれませんけれども、お二人で議論してみてもし意見一致がかなり進めばこれは非常に重要な前進をかち取り得るのではないかと思うので、ちょっと差し出がましいのですが具体的提案をさせていただきます。
○福本潤一君 今の上田委員の御意見、今後の方向性を示していただいて、私としてもそれは一つの方向性だなと思います。
  と同時に、田先生も法案を出されたことがあるんですけれども、公明も一度法案をまとめたことがありまして、党として骨子はすぐにでも出せる状態にあるんですが、できればお二人、山本委員と田委員の中にぜひとも私も入れていただきたい。福本も参加して、三人ぐらいの意見は下書きでもあった方がよろしいんじゃないかと思いますので、積極的にそれに加わらせていただきたいというふうに思います。
○山本一太君 尊敬する上田先生から大変名誉なお話をいただいて、それについては大変私も恐縮しております。
  議論に水をかけるみたいなことを言うとしかられてしまうかもしれませんが、私自身としては、事務局とかそういうことではなくて、一人の小委員として、この小委員会で骨子に踏み込んでそれをまとめるということ自身がやはり必ずしも適当ではないというふうに思います。
  さっきの山崎先生とのお話の中で、ちょっと一つ申し上げたいと思ったことがあります。基本法がなければODA政策、外交政策に影響が与えられないとすればそれは各議員の怠慢だと言った話は訂正させていただきたい、外交政策をこれだけ一生懸命なさっている先輩方がいるのに非常に不適当な発言だったと思います。私の自戒の念を込めて言った話ですから、それは誤解をなさらないようにお願いしたいと思うんです。
  ただ、さっき広中先生から、与党がどうも官庁の弁明に走っていてというお話もあったんですけれども、現行のシステムがいいとは言いませんが、例えば現行のシステムでも、さっき山崎先生おっしゃった例の中国の核実験の話で、たまたま我々与党にいるものですから、対中国政策については与党といいますか議員間でもかなり熱い議論がありまして、結局援助するみたいな形にはなったんですが、私の感覚として自戒も込めて言えば、各議員が、パーラメンタリアンが本当に意識改革をしてやることでかなり今のシステムでも外交とODA政策に影響を与えられるんだなと、最近、こういう気持ちがどうしてもあるんです。例えばこの間の日韓漁業協定の破棄なんかも、これは当然、政府・外務省としては破棄をしないために相当頑張ったわけなんですけれども、党というか議員の間で、ここはひとつ一たんほごにしてもちゃんとやり直すべきだという話があって、結局それがあの外交政策に反映されたということもあるので、それだけはちょっと申し上げたいなと思いました。
  広中先生のおっしゃった官庁の弁明という話ではありませんが、全体としてはどうも、またこんなことを言うとしかられてしまうので言いませんが、多少うちの方も、時代の流れでODAを含めていろんな意識が変わっているにもかかわらず、やっぱり硬直的にインスティチューションメモリーみたいなものに頼ってやっているところがあると思うので、先生のおっしゃったことはよく踏まえて反省材料にしたいなというふうに感じましたので、一言だけ言わせていただきたいと思います。
○田英夫君 上田さんから大変積極的な御意見がありまして光栄でありますが、私もできれば、この小委員会、せっかくこれだけ意見を自由に出し合ってきていろんな経過を経ながら、しかし大体大きな方向は出てきていると。また、山本さんが言っておられる御意見の背後と言っていいかどうかわかりませんが、一方でやっぱり大変慎重な意見が参議院の中の一部にあることも私は承知しておりますから、そのことも踏まえながらきっと言っておられるんだろうと思うんです。ですから、余り功を焦ってはいけないと思いますが、しかしせっかくここまで議論してきたんですから。法案要綱とか骨子というようなものをつくろうとすれば、そんなに時間をかけないでもできるところまでもう皆さんの御意見はかなり出ていると思います。できれば議員立法で、NPO法じゃありませんけれども、ああいう全会一致みたいな、ほとんどの会派が一緒に力を合わせてつくって、それでこの法案が実ればまことに結構だとは思っております。
  ただ、一部に慎重論があることも事実ですから余り焦ってもいけないと思いますが、できれば骨子ぐらいのもので姿を見せた方が議論がこの小委員会以外の議員の方にもわかっていただきやすいし、また、反対をしていらっしゃる慎重論の皆さんにもある程度わかっていただけるんじゃないかと思うんです。私がさっき反省を込めて申し上げた過去の理想案のようなものが、反対していらっしゃる皆さんの頭の中に相当強く印象づけられているとすれば、今、我々がここで議論してまとめようとしているのは大分姿が違うと思いますので、そのこともひとつ山本委員も考えていただきたい。
  上田提案がすぐ実らないかもしれませんが、骨子のようなものは個人的にはつくろうと思えばすぐできる、すぐと言うと大変おこがましいですが、そんなに困難はないんじゃないかと思います。
○山本一太君 私の方としては、さっき山崎先生にお約束した、いかに現行のシステムを直すことでODAと国会とのかかわり、その担保ができるかという宿題をまずやりたいと思うんですが、田先生おっしゃった話でいうと、これは小委員長の取りまとめかもしれませんが、もう取りまとめの段階に来ているんで、慎重論も少なくともあったということで、やはりこれは両方を併記してもらいたいと思います。
  ODA基本法に行くということになった場合に、国会とODAとのかかわり合いとしては二つの意見があると。一つは、少数意見、約一名と言ってもいいんですけれども、現行のシステムを変えることでというやり方もあるし、ODA基本法は慎重にやった方がいいと。もう一つは、小委員の先生方も言っているように、ODA基本法を理念法でもちゃんとつくるべきだと。そういう両論を併記していただいて、そしてそのODA基本法をつくるんであればこういう骨子だという話だったら、それは小委員会の意見なので小委員長に取りまとめていただいて、あとは先生おっしゃったように各党のいろんな報告書をつくるときの判断もあるのかなという感じがするんです。
○福本潤一君 田先生の方からも緩やかな基本法という形での骨子というお話がありました。
  山本委員の方から両論併記でという御意見がありまして、ある意味では両論併記なんですが、多数意見は基本法を緩やかにつくることだと、一名、慎重にという意見があったと、そういう形で取りまとめるのがこの小委員会として基本的に正しい伝達ができる取りまとめの仕方ではないかというふうに思います。
  それで、その中で、基本法ができるならばその骨子はこういうことだという言い方を山本委員言われましたんで、年齢で差別しているわけではなくてたまなまですけれども、若い与党の方もおられますし、できれば馳委員も加わって、その基本骨子をつくるとしたらこういう方向でまとめていこうとしているという具体像があった上での最終的な報告書にまとめていけば、かなりこの小委員会で討議したことがよく伝わると思うんですね、親委員会の方には。馳委員の反対があれば難しいかもわかりませんが、四名ぐらいでこの下敷きを骨子としてつくって報告書の中にも載せてもらうという形でやっていただくと、親委員会にも、小委員会で具体的にこういう形の基本法を目指そうとしている流れがあったんだなということがはっきりわかると思うんですね。
  ぜひとも御協力をよろしくということで、馳先生、どうでしょうか。
○馳浩君 私は、先ほど申し上げたODA大綱の評価に対しての国会の関与が余りにもないということと、大きなことを言えば、冷戦後の世界において日本がODA大綱をつくったということは一つの国際的な世論、公益のリーディング的な立場を持っているという観点を持っております。そういう意味からいえば、今、田先生も含めて考えておられるODA基本法の理念、原則というのは包括的なものに現実的にはならざるを得ないし、そういうふうになっていただきたいと思っております。
  ですから、調査会として両論併記という形の中で上げていただいて、その先に議員立法として皆さん方でまとめていかれるというふうな段階になれば私は非常によろしいと思っております。
  私は積極的な推進論者でありますけれども、山本一太議員がそういう意見であるならば、両論併記という形でまず小委員会としての意見を調査会に出し、それを各党に持ち帰って、そして次の段階になったときに超党派で議論をするなりあるいは各党ですり合わせをするなりしてNPO法案のような形になれば、私はむしろ透明なやり方で先に進むのではないかなと思います。いきなり小委員会から骨子が上がってくるとなると非常に人間的な問題も絡みますのであれなんですけれども、そういう段階を踏むことによっていつでも私たちが骨子を準備しておるということは、それはそれとして非常に必要なことであると私は認識しております。
○山本一太君 福本先生のおっしゃった取りまとめについては小委員長にお任せします、小委員会の報告のやり方がわからないので。一名のみ反対とするのか、そこら辺のところはちょっとわからないんですが、ちゃんと両方意見があったという話で書いていただければというのが私の希望です。
  いずれにしても、現行のシステムをよくする、あるいは基本法をつくるという話については、馳委員からもありましたが、内容はともかくとして、確かに次の委員会とか次の議論に何か芽を残すようなことができるのであれば、例えば二つオプションがあってもそれぞれ入れていくというのはすごく意味があるかなという気もいたします。多分、ここで話した結論はそのまま報告書にはなかなかならなくて、これから上田先生がおっしゃったように各党持ち帰りでいろんな議論もあると思うんですが、何か芽を、将来に残せるようなポイントを入れる報告書にするということについては私も賛成です。
○馳浩君 私は、大島経済協力局長は外務省側の立場でありながらも基本法についての非常に理解が深い方だと思っておるんです、そういう発言もありましたし。ただ、法律となると日本の場合は法解釈が非常に厳しくなって、その法解釈に基づいて機動性、総合的な判断が縛られるということが、繰り返し大島局長が懸念しておられるところなんですね。
  私は、その点も考慮に入れた骨子のつくり方を考えていけばいい、その一点だけはつけ加えさせてください。
○広中和歌子君 両論併記ということでございますけれども、多くの報告書がそういうことが多いわけですね。例えば十人いて二人が反対であっても、両論併記ということになるとウエートが同じになると。
  私は、山本議員のODAについての御見識というものをすばらしいものだと思っておりますのであえてこういうことを申し上げたくはないんですけれども、やはりこの委員会の主張といたしましては、山本議員がマイノリティーであったということははっきりしていただいた方がいいんじゃないかと思います。
  しかし、その上で、先ほどからも申し上げておりますように、法律をつくれば非常に厳しくなるとおっしゃいましたけれども、私は日本は逆だろうと思っております。例えば、いろいろ規則があっても、法律があっても、それが守られていない例が余りにも多い、憲法も含めてそうだと思っております。ですから私は、大綱のままでさえもきっちり守られていれば随分違うと思うぐらいでございまして、法律をつくる、それは一歩前進だと思いますけれども、それよりも大切なのはその法律に従ってODAが実施されていくということだろうとあえて申し上げます。
○小委員長(板垣正君) 時間にもなりますので。
  いろいろ貴重な御意見、しかもきょうはまさに取りまとめに向けての本質的な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。事実上、この小委員会も取りまとめの段階に入っております。次の段階にはそうした骨子的といいますかたたき台的な形でさらに御討議をいただきたい、こういう方向でございます。
  そこで、皆様方にお諮りしたいと思いますが、具体的な人名も挙げてそうした小グループでたたき台的なものをまとめていったらどうかという御意見、それも結構だと思いますが、ここが小委員会でございますので、小委員会の中での小委員会はいかがでございましょうか。
  むしろ、今までもこうした資料の取りまとめでは非常によく調査室がやっていただいております。非常に客観的に、しかも資料の取りまとめ等もすばらしい能力だと思うんですね。したがって、今までのように皆様方からそれぞれ十分意見を出していただいて、そして次回には最大公約数的なとこるまでいければ、その辺の成り行きは、これからそれぞれの御意見を調査室の方で十分当たってその中で練り上げられる範囲で練り上げてもらう、そういうような形で一回お諮りし、またそれをめぐって十分御討議をいただく。ここにおられ各八人のメンバーはそれぞれ大変責任を持ってやっていただいておるわけでありますから、そういう方向でいきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○上田耕一郎君 会長、ちょっとそれは無理だと思うんですね。
  僕も調査室の能力は大変高く買っていて、非常にお詳しい専門家がそろっていますからね。そのこともいいけれども、小委員としてある具体的な法案骨子あるいは法案要綱的なものをまとめるのと、調査室は各党に遠慮するなと言ってもやっぱり遠慮されますし、ある基本法をつくりたいという主張のもとの具体像というのはちょっと調査室に頼んでも無理だろうと思うんですよ。
  ですから、小委員会の中でまた小委員会をつくるのは変だという御意見があったので、では、田さんはそう時間はかからぬと言うので田小委員から一つ案を出してもらって、それから調査室のまとめも出していただく、それから山本さんは現制度の改良案をまとめると言われるので。そうすると三つ出てきます。反省も込めてまとめたいと言われているので、これはつくっていただいた方がいいんじゃないかと思いますけれども、田さんの意見を。
○田英夫君 実は私は、上田さんはそう言われるけれども、例えば三人なり四人でやる、小委員会の小委員会でやる場合でも、本当の骨子なり要綱をつくる作業は調査室の協力がないとできないと思いますよ。私の知識ごときで自信を持ってつくれとおっしゃるのは大変苦しいので、その場合でも、四人なら四人のところへ調査室に出てもらって、議論をして文章化していく、そういう作業になるんだろうと思うんですが、どうでしょうか。
○福本潤一君 関連で。
  小委員会の小委員会という言い方よりも、小委員会の作業部会というような名前ででも、今、名前を挙げられた人で合意できる人は集まって、それに調査室の御協力も得られる形でやる。次の小委員会が開催されますけれども、具体的にどういう形で下敷きのものが出るか、経過をその中でもんで、次もただ単なるフリー討論とかいうことじゃなくて、作業部会ではこういう形で骨子がまとまりましたという形で出せるようにしていく。これが、この小委員会を長期にわたってやった、また親委員会の三年間のまとめとして、言いっ放しにならない形で一つの大きな実を結ぶ。実を結ばない小委員会、委員会もかなりあるようでございますが、実を結ぶ形の結論が得られるし、作業部会の意義も深まってくるんじゃないかというふうに思いますので、その方向でよろしくお願いいたします。
○山本一太君 上田先生から、まとめるということになると調査室に任せても各党にいろいろ配慮があってというお話があったんですが、どっちみち、骨子案をまとめるということも含め、どういう骨子案になるかということもそれぞれ各党に持ち帰っていろいろ判断する中でまとまっていくんで、それは余り気にしなくていいんではないか。
  例えば、上田先生おっしゃったように、田先生にまとめていただくということにつきましては、御実績や御見識はもうだれが見ても全く間違いがない話だと思うんですが、小委員会の中でそれぞれ皆さんがODAのことをなさっているのに、その中で何か作業部会をつくるというのもどうかなというところもあります。むしろ、小委員長おっしゃったように、事務局に今までのいろんな小委員の方々の御意見を踏まえた上である程度たたき台をつくってもらって、それをまた議論にかけていくという方が私はいいんではないかと思います。
  どっちみち、各党配慮といいますか、そういうものがなければまとまっていかないんじゃないかなと、私はそう思います。
○小委員長(板垣正君) いろいろな御意見はそれぞれ貴重な御意見であり、ごもっともだと思います。
  それぞれの御意見ございましたが、私もこれは本当に意義のあるまとめをしなければならない。ここまで皆様方の御熱意で、しかもこれだけ時間をかけて集中的にやっていただいたわけでありますから、やはり具体的に意味のある、そしてなるべく総意でもってまとめていただくというのが我々の責務でもあろうと思います。そうした方向でさらに精力的にお互いの立場をそれぞれ主張し合いながら、最終的な段階にまとめに入っていこうと。
  こういうことでございますので、これは次回の日程とも関連してまいりますが、次回は取りまとめの最終的な自由討議という格好で来週の月曜日の三月十六日を実は予定してお諮りすることにいたします。
  速記をとめてください。
    〔速記中止〕
○小委員長(板垣正君) 速記を起こしてください。
  本日はこれにて散会いたします。
    午後五時四分散会