質問「コソボでのNATOの空爆について

(平成11年4月21日参議院国際問題に関する調査会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 今、最後におっしゃったところがまさにポイントでございまして、なぜやらなきゃいかぬか、これはもう明らかだと思うんです。
  要するに、かつての国家間であれば内政干渉になるんでしょうけれども、一応別の考え方として、これはユダヤ人に対するジェノサイドに対する反省もあったんだと思うんですが、人権という問題が出てきて、民族紛争が出てきて、そういった人たちがかつての国家間であればどのような統治をしようとも国内問題だ、少数の者が国民を全部殺そうが奴隷にしようが、何しようが国内問題である、そこのところに国際社会が口を挟む余地はないんだというような感覚ではいけないというところがあって、それでまさにここのところが、コソボ自治州が民族間の対立のもとに一種の、静かではある、表面には出ていないのかもしれない、そこが一番ある程度我々の知れないところですけれども、静かなる民族浄化の方に行きかねている、それで内乱になっている、内戦状態になっている。
  そういったことを何とか調停しなきゃいかぬということで出てきたのがNATOであって、国連はそこに関しては今まで余り成功したことがないんです。カンボジアの問題、あるいはベトナムの中国の制裁戦争、インド・カシミールの問題、あるいはパレスチナはまだましな方だというふうな感じ。それが本当のヨーロッパの、これからNATOといいますかEUの中に入ってくるかもしれない、真ん中のところで、現実に二十世紀末のヨーロッパで起きちゃった。それがユーゴのショックだろうと思うんです、前のクロアチアからボスニアの内戦を含めて。片っ方が言うことを聞く、片っ方は言うことを聞かない。なぜEUが出ないかというと、内戦のところに割って入るには武力行使しかないからNATOが前面に出てきた。言うことを聞かないときに、そうするとこれがなぜ爆撃したかというのは極めて簡単で、ここで爆撃しなければ今後そういった内戦に対する仲介の資格をNATO自体が失うからだというのが僕自身の結論なんです。
  だけれども、結果が思わしくないということで、連中の方も所期の目的が全然狂っちゃったというところでNATOが今どうするかという状況なんですが、事ここに至って爆撃を続行せざるを得ないというのは、ヨーロッパ的な感覚からすれば当然だろうと思うんです。
  やめてそれではどうなるのかということがあるので、非常にそこが難しい問題だろうと思っておるんですが、そういう感覚というものは間違いでしょうか。僕みたいな感覚で受けとめているのが間違いなのか、それともヨーロッパ的にいえばそういうふうな感覚で動いているのか、どちらなんでしょう。

○参考人(柴宜弘君) 恐らくヨーロッパ的な感覚でいうと、それは今おっしゃられたような考えが底流にあるというふうには思いますね。しかし、民族浄化というような人権に対する抑圧がどこまで本当に行われているのかということですね。
  それと、NATOの空爆の今回の動きも、二度ほど実はコソボの紛争が生じてからもあったわけですね。NATOがもう空爆しか方法はないというふうに出てくるきっかけは、二度とも住民の虐殺ということが報じられたことによってそれが出てくるんですけれども、その虐殺というのが、例えば今回では、一月にラチャックという村で、これはOSCEの検証団が入っていて、そのOSCEの検証団が四十五の遺体を見つけた。それがその村の住民なのか、コソボの解放軍の兵士なのか、どちらかわからないということがあったんですけれども、コソボの虐殺という形で報道が出てくる。それから、昨年十月の段階もやはりコソボの虐殺ということで、そういう事件があって、それを契機にしてNATOの軍事的な介入というのは起こっているんですね。
  これは、先ほど申し上げましたように、セルビア側はコソボの解放軍というのを掃討しているんだという、つまり武力を持っている勢力に対してそれを掃討するという立場であるわけで、それとの関係でどれほど一般の住民たちを殺害するような事件が生じていったかというのは、これは私も十分に検証できておりません。ですから、さまざまなニュースで知る以外には方法はないんですけれども、虐殺あるいは民族浄化といったようなことがどこまで本当に起こっていたのかというのは、やはりもっと検証されなければいけないと思うんです。
  そういうのが十分に、国際的、中立的というか、例えば旧ユーゴのボスニアでの戦争においては国際的な裁判が現在も継続して行われておりますから、そういうところでの事実の検証ということをしていかないと、まだまだはっきりしない点というのはあるんですね。ですからこれは、人口構成もそうなんですけれども、それから難民の数もそうですし、それから死者の数もそうですし、これが実際の数なんだという形ではなかなか確定できない、特定できない状況がまだまだあります。
  つまり、今回、空爆が起こってからは、少なくともコソボには、OSCEの検証団もみんな撤退してしまっているわけですから、いないわけですね、中立的に被害を調査できるような。ですから、どちらかかの情報でしかあり得なくなっている。アルバニア側なのかセルビア側なのかということなわけですから非常に困難なんですけれども、やっぱり検証をしていかなきゃいけない。
  そのことと、それから、NATOが人権の問題というのを非常に重要な問題として、今回こういう問題に空爆ででも立ち上がらないとということですね。つまり、NATOの大きな存在意義は、やはり域内の民族だとか人権抑圧だとかということに対して大きな役割を果たしていくというのが新しい形のNATOの役割だと思うので、それで今回の空爆に踏み切ったということはわかりますけれども、要するに、結局は何なのかというと、ここでの問題をどういうふうに解決していくのかということに基本的にはかかわってくると思うんです。そういうふうに考えたときに、空爆をしてそして最終的にどうするのかということにつながっていくのですけれども、独立ということを認めるという方向に結局向かっていくのか、それともそうではない形で解決という方向に持っていくのかということになると思うんです。
  独立という方向で問題を解決するということになると、現在でも国際社会でそれは認められないわけですね、アメリカも含めて。つまり、戦後の国境の変更にかかわってくる問題。少数者が独立を言ったときにそれを認めていけば、それは国境が変わっていくわけですから認められないということになるわけで、これはバルカンの問題だけではなくて、それこそヨーロッパの国々にもそれから中国にもかかわる大きな問題なわけです。そういう原則をつくっていくのか、あるいはそうではなくて、既存の国家の枠の中で自治という形でそれが保障できるような仕組みをつくっていくのか、そういう問題になっていくんだと思うんです。
  それから、そこまでの展望を持った上での介入というふうにはどうも現時点ではなかなか思えない。つまり、人権の問題もそうなんですけれども、介入によって、ミロシェビッチといういわば非常に残虐なというふうにレッテルを張られている人物を倒して、ユーゴというところで違った政権をつくっていくというのがやっぱりその背景に大きな問題としてあったのではないかというふうに思えます。
  それと、NATO自体は、五十周年というのを迎えるに当たって、ヨーロッパでのプレゼンスを強めていくために、自分たちの同じ地域で生じている問題をやはり何としてでも解決したいという強い思いが見られたんだと思うんです。
(後略)