質問「『憲法と国民意思の優先順位』ほか

(平成11年5月13日参議院日米防衛協力のための指針に関する特別委員会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 参議院の会の山崎でございます。参考人、御苦労さまでございます。
  まず、森本参考人にお伺いしたいんですが、今回の問題、いろいろ指摘はございますが、国民の中で一番不安に思うのは、今回の周辺事態関連法が制定されて実行に移されるような事態になった場合、日本国が戦争に巻き込まれる可能性が強まる、これは理論的にもあり得ると思うんですが、問題は、これは森参考人からも若干出ておりましたけれども、安保条約の六条事態、これが周辺事態とすぐれてオーバーラップしていると私は感じております。
  そういった意味において、この安保条約六条事態が現存している以上、今回の周辺事態諸法案、そういったことで我が国が米軍に協力することによって日本が巻き込まれる確率といいますか可能性といいますか、そういったものがどの程度高まるんだろうか。六条があって安保条約がある以上、意外とそんなに違わないんじゃないかという気もするんですが、その辺はいかがでしょうか。

○参考人(森本敏君) この周辺事態というものと安保条約第六条に言ういわゆる六条事態というものとは、私は本質的に変わらないんじゃないか。つまり、日米安保条約の目的に資するという意味において、ガイドライン及びこの法案で周辺事態という言葉を使っていますけれども、それはそもそももとをただせば日米安保条約の趣旨に戻るわけでありますから、したがって私はそれは全く別のものではないというふうに考えます。また、きちっとした抑止と対応の能力を構築しているということが国の安全に重要で、巻き込まれるか巻き込まれないかということを抑止や防衛の措置をとることとの関連において議論するというのは、安全保障の議論としてはいささかそうではないんじゃないかというふうに考えます。
  つまり、例えば何のために同盟を維持しているかというと、日本だけで対応するのではなく、同盟国とともにそれぞれの役割を十分に発揮させて、全体として地域と国家の安定を維持するという考え方ですから、そのことが高まれば高まるほど論理的には抑止と対応の能力が高まって、結局はより巻き込まれにくくなるということになるのではないかと思います。
○山崎力君 そこで、森参考人にお伺いしたいと思うんですが、つまるところ安保条約六条だということが言えると思うわけです。それが憲法の趣旨に沿うか沿わないか。六〇年安保のとき私はまだ小さかったのでその辺の議論は知らないわけですが、七〇年安保世代として思うわけです。
  そこのところと、いわゆる憲法学をやったときの書生論からいきますと、現行憲法は本当に法体系の根幹としての資格があるんだろうか。要するに、占領下、我々の主権がなかったときにおいて制定された、しかも経過が明らかになってくればアメリカが英語で書いたものが原文である、こういったものでいいんだろうか。少なくとも独立を回復したときに、同じ文章であってもいい、日本語としてあの憲法の文章というのは非常に私はよくないと思うんですが、趣旨はそのままやって、それで改めて独立国家として基本法典をつくるべきではなかったかという議論があったやに聞いております。
  その辺のところを含めて、最高法規である憲法の考え方と国民の意思とがずれていた場合、これはどちらを優先すべきだというふうにお考えでしょうか。

○参考人(森英樹君) 話の入り口にありました安保条約の六条に関してですが、六条は御承知のように米軍が基地を使用することを許されるという規定しかございません。その意味ではそれが基点になっていますが、それを超えて、基地の貸与、使用を認める以上に後方地域支援等々を行うことが許されるというふうに安保条約を変えるに等しいのが今回の法案だ、こういうことになるわけですが、そういう規範的な枠組みを超えるようなことが安保条約六条を基点にしながら今回の事態で起こっているということが最大の問題だと法律家としてはつかまえます。
  同じ趣旨で、憲法がその規範性を保持できないような実態が先行的に起こっているという場合にどのように考えるのかというふうに問題を置きかえて理解させていただきますと、一般論としては、おっしゃるような規範と国民意識の間のずれが生じた場合には所定の手続を踏んで、しかも憲法というのは硬性憲法でかつ根本法でございますから、かなり徹底した国民議論を前提にしたところの改憲手続をきちっと踏むことがぜひとも必要であるというふうに私は思います。
  ただ、その際に、立憲主義、法治主義ということを私が盛んに言うのは、それも所定の手続で進む法的な作業でありますから、その法的作業が現にまだ始まってもおりませんし、仮に進行中であったとしても現行法として存在しているのは憲法という規範そのものでありますから、憲法の尊重擁護義務が国会議員の諸先生方も含めてみんなにかぶっているわけですから、その規範どおりに動かす。それで変えるなら変える、変えたら変えた憲法で動くというのが立憲主義のごく単純な妥当な理解だと思っております。
○山崎力君 その単純な理解が国民に浸透しないで、勝手に解釈してやった方がいいということで延々と来ておりましたし、憲法学者の方も、明らかに違憲であるという八十九条の私学助成を放置して、それに対して何らかの対応措置もとらなかった。
  具体的に言えば、予算の執行に関して、これは違憲の法律に基づく予算執行であるからと差しとめ請求すらしなかった、そういったことを憲法学者すらやってこなかった。それの方がむしろ日本の国民性に合っているし、そういうふうなことの方が世の中は動くんだ、そういうかたい手続をしないでまあまあやっていけるような形でやった方がいいんだというのが、いい悪いは別として国民の意思であったとしか私は思えないわけでございます。
  よしあしは別として、そういう国民の意思だと判断することがお立場から見てできるなということかどうか、ちょっとお伺いしたいと思います。

○参考人(森英樹君) 大変重要な御指摘なんですが、私の理解、ないしは憲法学の一般の理解と言ってもいいかと思いますけれども、近代憲法というのは単純に言えば基本的人権とそれを守るための統治機構をどう編成するのかという二元構造になっております。
  公権力の編成の仕方というのは統治機構論と一般に言われるわけですが、実は近代憲法のいわば魂、精神の部分としては、基本的人権に当たる部分は、これは日本国憲法も「国民の不断の努力によつて、これを保持」するというふうに書いてございますように、ここの部分がどんどん膨らんでいくということについては近代憲法は許容的である。したがって、解釈の仕方としても柔軟であって構わない。それに対して、公権力の編成原理を定めております、これは軍事力もそれに入るわけですが、統治機構に関する部分については、これは厳格に解釈しなければならない。
  その意味では、基本的人権はどんどん変わっていっても、それこそ解釈改憲をやっても構わないけれども、統治機構については権力が動くわけですから、厳格に立憲主義を適用しなければならないという二本立ての理解というのが一般に憲法学界では、これは近代憲法そのものの精神からきておりますので、そういう理解に立てば、今御指摘の点はさほど矛盾のある現象だというふうに私は受けとめておりません。
○山崎力君 それが国民の理解と憲法学者あるいはそういった法律のところの乖離の原因であろうかと私も思うんですが、それはもう時間もありませんのでおいておきまして、沖縄の金城参考人に一言だけお伺いしたいんです。
  巻き込まれ論というのは確かに不安としてあり、それから過重な負担を負っているというのは事実だと思うんですが、平和を志向する余り、日本の現実の中で皆様方も含めて、危機をなくす努力というものが国際政治の中でいい方向に行ったという事例で何か思いつくようなことはありますでしょうか。

○参考人(金城睦君) 逆に、軍事力によって解決がうまくいった例があるでしょうかというのが一方であるわけです。軍事力の場合には間違いなく悲惨な結果をもたらす。他方、まだ具体的な例としては非常に少ないかもしれませんけれども、平和的な解決の場合にはいい方向にしか行かない。こういうことで、どちらを選択するかという場合に、私は平和的な方法を選択しますし、少なくともその努力はなされるべきであろうというふうに思います。
○山崎力君 軍事力がいい結果をもたらしたというのは、独立と自由が何よりもましであるということで成果を勝ち得たベトナム戦争の結果が私はあると思います。
  以上で終わります。
(拍手)
(中略)
○山崎力君 参議院の会の山崎と申します。三参考人にこれからお尋ねして、参考にさせていただきたいと思います。
  まず、集団的自衛権の問題、今回のガイドラインの審議の中でも陰にひなたにというか、いろいろな議論の中で出てまいりました。政府見解、ここで改めて述べませんけれども、私がどうしてもぴんとこないのは、集団的自衛権を制限的に用いているといいますか、あの概念というのは要するに中立政策をとるのかとらないのか、中立政策をとることによる国際社会に対する約束事、そういったものをやる人たち、やる国家は集団的自衛権をみずから放棄している。ところが、そうでない人たちはどこと同盟関係を結ぼうと関係ない。それが一種の集団的自衛権だろうというふうに私は思えるんです。
  集団的自衛権を憲法で否定していながら、正確に言うと持っているんだけれども使えない。だけれども、これは神学論争、法律論争、頭の中では別として、使えない権利はないと同じだというふうに解釈すべきだとすれば否定している。それでいながら、アメリカと軍事同盟条約である日米安全保障条約を結んでいる。そういったのは日本一国だけだというのはまず政府側も認めていることなんですが、そういう解釈自体が今回こういった問題の背景にあるんだろうと私思っているんですが、三参考人の御意見をまずその点についてお伺いしたいと思います。

○参考人(西修君) それは最初のプレゼンテーションのときに申し上げ、また自民党の亀井先生だったでしょうか、御質問にも申し上げた。一番最後だったものですから余り申し上げることができませんでしたけれども、やはりこれまでの政府答弁の一番ネックになるのがこの集団的自衛権の問題だろうと思います。集団的自衛権の問題を克服すればいろんなことといいますか、少なくともそういう御疑念のような問題点というものはなくなるんじゃないか。
  そこで、また繰り返しになるかもしれませんが、私自身の考え方といたしましては、国連憲章五十一条に個別的自衛権も集団的自衛権も固有の権利として加盟国に認められているわけであります。ですから、少なくとも国連憲章においては個別的自衛権も集団的自衛権も同じようなこととしてそれぞれの国の固有の権利として認められているわけです。
  ですから、私はそういう自衛権をどうやって行使するか、それは一つには個別的にもあるでしょう、また集団的にもあるでしょう。少なくとも両方とも固有の権利として認めているんだということが国連憲章の趣旨であります。そして、我が国も国連憲章を受諾して国連の中に入っているわけです。憲法九十八条には、日本国が締結した条約とか確立された国際法規を誠実に遵守することを必要とするということが九十八条二項にもあるわけです。
  ですから、私は結論から申し上げますと、集団的自衛権は解釈上は可能である。ただ、だからといって何でもできるわけではない。それをどうやって行使するか、これはまさにこういう国会の場とかあるいは政治の場、政策の場で大いにもんで、そして集団的自衛権の問題をもっともっと論じていく必要があるんじゃないかというのが私の立場でございます。
○参考人(浜谷英博君) 憲法の解釈については委員御存じだと思いますからそのままで、先ほど私がプレゼンテーションの中で申しましたのはいわゆる法案の変質であります。限りなく自衛権の行使の問題に近づいたのじゃないかというふうに申し上げました。
  集団的自衛権というのは、御承知のように、これは国連憲章の五十一条の中で初めて使われた言葉であります。もともとこれは自衛権であります。としますと、私の感覚からいいますと、自衛権というのはいわゆる集団であろうが個別であろうが、これは国家を守る、国民を守るという、そういうものに対して発動できるいわゆる国際法上の権利であります。
  そうすると、例えばこれは想定でございますが、個別的自衛権だけでは対応できないときに集団的自衛権を使おうとしたら、それは憲法でできない、ゆえに国家は滅びてしまったということであるならば、これは自衛権の名前に値しないわけであります。
  そういうことからすれば、まさに自衛権は国家の属性でありまして、もし個別、集団ということに分けて使うことが有益だとすれば、それはまさに国益に合致している、その方が国益に合致しているという前提がなければいけないというふうに思います。
○参考人(志方俊之君) 私は、個人的には、集団的自衛権は持っていて、かつ行使しても構わないというような解釈をとるべきだと思います。しかしながら、現況で集団的自衛権をトータルで使うというのはやはり知恵のないことだと思います。
  したがいまして、先ほどから何回も申し上げましたように、この集団的自衛権の幅のうち、この部分とこの部分は憲法に違反しないんだということをちゃんと政治が明確にすべきだと思います。今までの解釈は、何か自動参戦装置あるいは自動巻き込まれ装置になるかもしれないからもう全部やめておこう、頭の中に腫瘍ができたから首から上を切っておけばいいという、このようなことは政治ではあるまじきことだと思います。
  オール・オア・ナッシングというのを決めるなら政治家は要りません。政治というのはオールかナッシングの間のどこで国民の意見を調和させるかということが皆様の義務であります。それをやっていただきたいと思います。
○山崎力君 そういった意味での集団的自衛権の問題が、政府解釈の中でそれぞれのところがいろいろ問題点を抱えて今回の各法案を審議しているわけでございますけれども、その点と同時に私が一番やっぱり違和感を感じているのは、三参考人とも、直ちにある意味では国内法的な日本独自の非常事態法なり安全保障基本法なり、有事立法という言葉がなければそっちの方をつくるべきだとおっしゃっているんですが、私の立場からすればそっちが先でこっちが後だよと。そうじゃないと法律上のつじつまが合わない。
  前のところでも言ったんですが、周辺事態で米艦に物資を輸送しているときに日本有事になったら、その決まりがないから法的根拠がなくなってしまう、厳格に解するとやめなきゃいかぬということになるわけです。逆に言えば、法律的に言えば、いわゆる周辺事態法から類推解釈させて日本有事のときにもこういうことをさせようじゃないかという感覚にしか見えない。これは立法作業からすると本当に禁じ手といいますか、国民の理解を得られないんじゃないかと。むしろ先に、これをやる前に基本的な非常事態法体系をつくるべきだというのが私の個人的な考え方なんです。

    〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕
  その辺について三参考人にお聞かせ願いたいのでありますが、特に志方参考人には自衛隊におられた経験があって、現実の日本有事のときに自衛隊が超法規的でなく本当に日本の国防を担えるのかという点を踏まえて、志方参考人にお答え願えればと思います。
○参考人(志方俊之君) 先生の御指摘のとおり、私のレジュメのここのところにありますように、この階段は下から上るべきものであります。そういう意味では、やはり安全保障基本法というようなものの整備が重要かと思います。その上にいろいろなものができるのであります。
  教育とか防衛というのは国家の基本的なことであって、教育基本法がありながらなぜ安全保障基本法がないのかというのを自衛隊員は不思議に思っております。そういうものが全然ありませんから、第一線の兵隊がいつも憲法に違反するかなんということを考えています。自衛隊法も任務が決まっているだけで細かいことは決まっていないわけですね。ですから、常に憲法を見ながらやっているという、そういう兵隊は世の中にいません。こういうことはやれ、こういうことはやるなというのを政治が決めていただく以外にありません。
  そういう意味で、下から順番に上がっていただきたいということなんですが、この自分の国を自分の国の兵力が守らないというのが一番下の方にあることに問題があると思うんですね。アメリカの兵隊が日本の国のために命をささげてくれるとでも思っておるのでしょうか。日本とアメリカの国益がこの地域でオーバーラップしているから、アメリカの兵隊はアメリカの国益のために命をかけ、自衛隊員は日本の国のために命をかける、その結果がオーバーラップしているから国益が一緒で同盟関係というのは成り立っているわけであります。
  日本の青年がアメリカの国益のためだけに死のうなんとはだれも思いません。それを私は学生に聞いてみました。先生も六十三になって頭が少しおかしくなったんじゃないか、だれが私たちがアメリカの国益のために死のうと思いますかと言うんですね。日本の国益のためにも死のうとは思わぬ、こう言うわけです。だったら、アメリカの青年が日本のために死んでくれるとでも思うかと言うと、ああ本当だと。じゃ、だれが守ったらいいのかと言うと、五、六分考えて、いや私たちしかありませんと。そんなことを大学で教育するようなほど日本の教育というのはもう崩壊しております。
○山崎力君 どうもありがとうございました。(拍手)
(後略)