質問「コソボ紛争への日本の対応について

(平成11年5月27日参議院外交・防衛委員会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 いろいろこういった国際的なトラブルといったとき、あるいは先般のガイドラインのときも若干それに絡んだ問題が出てきましたけれども、こういう国際間と言っていいトラブルに対して国際社会が、特に国連をつくって以降、どういうふうにやっていくかという仕組み自体がなかなかはっきりしてこなくなったというふうな観点から、法的な問題をもう一回点検してみたいということで、絡めてお願いしたいと思います。
  まず、よく言われてくる言葉なんですが、国際法に違反しているとか、国連憲章にこの行為は違反している、こう言われるわけです。そういったときに、この違反というのが、条文上明らかにこのことに関して定めたものと違ったことが行われているという意味で違反だと、普通の社会ではそう言うわけです。ただ、その仕組みを考えてみたときに、普通の一国の刑事犯罪等の仕組みとかなり違ったものにならざるを得ない、これは承知しているわけです。
  ただ、どうしても我々が考えるのは、悪いことをした人が国内においてどのような形で処罰のあれになるか。釈迦に説法かもしらぬですけれども、一種の摘発とか取り締まりとかというのを警察、検察が行う。そこのところを行うことに関して、容疑があれば裁判所が関与して令状を出す。それで、違反の容疑が固まった段階で裁判所がその処罰を決定する、行政のときもありますけれども。そして、その執行は刑務所という違ったところでやる。こういうふうな仕組みになっているというのは頭に入っていて、それで違反だ違反だというのは、摘発、取り締まりの段階で違反だということで騒がれてといいますか見つけて行われると。その判断は裁判所が行う、こういうふうな決まりになっているんです。
  いわゆる国際的なトラブルのときに、国際司法裁判所があるよということは事実として知っているわけですけれども、中身が我々の考えている裁判所と相当違ったものであるという前提を踏まえまして、国際法違反であると。例えば軍事施設でない民間の施設に対しての攻撃は違反であると言われているわけですが、それじゃ、その違反があったらどうするんだということを、どうなっているのかちょっとここでお示し願いたいと思うんです。条約局長で結構です。

○政府委員(東郷和彦君) 一般論でございますけれども、一つの側面としましては国連憲章というのがございます。したがいまして、その国連憲章にのっとった措置として、これは具体的には安保理事会の決議等、いろいろな方策があると思いますけれども、侵略行為等を行った場合に国連としての措置というのがとられていくというのがあるかと思います。
  それから、一般国際法上、国家と国家との関係で他国が違法行為を行った場合には、その違法行為を行われた方の国が、これは対抗措置、復仇等の一連の合法的、もしくはそれ自体は違法だけれども相手国が違法行為を行ったことによってその違法性が阻却されるような措置がとり得るというのがもう一つの方向かと思います。
  現実にはそういうことを踏まえまして個々にそれぞれの国家が対応していくということになるかと思います。
○山崎力君 ということになりますと、こういう席で言うのはなんですが、我々の社会では、ある行為が違反であったということを最終的に決めるのは裁判所であって、一人の人がある行為をしたことについて、これは刑法なら刑法の第何条に違反しておる、よってあなたは有罪であるというのは裁判所が決めるということになっているわけですが、国際社会において、ある国の行為が国際法並びに国際連合憲章に違反しているということを決めるのは安保理事会と考えていいのかどうか。いかがでしょうか。
○政府委員(東郷和彦君) 先ほど申し上げたことに加えまして、委員が御指摘になりました国際司法裁判所、つまり国際的な司法手続というものが、国際法に合致しない行為が起きたときに国際社会が対応するもう一つの方向性があるということかと思います。
  しかしながら、それでは今申し上げたような国連憲章に基づく安保理事会の対応、それから国際司法裁判所を通ずる措置、さらには各主権国家が主権国家としてとり得る措置、それの何が現下の国際法のもとで決定的に違法行為があった場合に解決する手段になっているかということでございますれば、これは、どれか一つが決め手になってこれならば解決するというものは、ただいま現在の国際法社会の中ではいまだに形成されていないというのが現状かと思います。
○山崎力君 そうしますと、特に国際司法裁判所の場合、いわゆる関係両国が国際司法裁判所の裁定に従うという前提がなければ、一方的に一つの国、今回例を入れて適当かどうかわかりませんが、例えばユーゴスラビアが国際司法裁判所にNATO軍のあれは違法行為であると訴えたと。ところが、NATOの方はその裁判に応じないとなった場合、国際司法裁判所はそのことにたしか対応できないというふうに私は記憶しておりました。
  それで、安保理でそういったことを決めることは可能であって、現実に行われたこともある。ということは、いわゆる法学者であるとかあるいは一般人が、これらの行為は国際法違反である、あるいは国際連合憲章違反であるというふうに言うだけのことはもちろん言えるし、国際公法その他の学問上はこれは違法行為であったということは言えても、いわゆる実態的な法律の運営の中において違反か違反でないかというのは、関係両国が国際司法裁判所に訴えないものである限り、特に武力紛争においての片っ方の行為が違法か違法でないかということをみずからの国が関係しているところで国際司法裁判所に訴えるケースというのはほとんどないと考えれば、紛争を引き起こした領土問題とか何かの原因措置は別として、国際紛争が発生した場合、武力衝突が発生した場合、現状においては、安保理の判断が結局は違法であると認定する、現状においては唯一の機関なのかなというふうに感じているんですが、その辺はいかがでしょうか。

○政府委員(東郷和彦君) 現下の国際法社会というのは、主権国家の共存によって成り立っているというのが、これが基本かと思います。
  その上で、諸国家の意思の総体としまして国連憲章というものが採択され、国際社会の圧倒的多数がこの国連憲章のもとでの権利義務関係を引き受けているという状況でございます。
  したがいまして、委員御指摘のように、安保理というものが国際安全保障、国際法の秩序というものに関してきちんとした対応をいたしますれば、それは一義的に国際違法行為に対して重要な役割を果たすということはこれは疑いがないところでございます。
  他方、冒頭に申し上げましたように、主権国家の共存である国際社会というのもこれも現実でございますので、先ほど申し上げましたような主権国家としての対応とか、さらにはICJをめぐるいろいろな問題とかもともに起きてくるわけでございまして、すべての問題に関してこれならば大丈夫というものがなかなかまだ形成途上の過程にあるということかと思います。
○山崎力君 形成途上とおっしゃいましても、国連ができてから既に五十年、それからそれのめどが立つのがあと何年先かということですが。
  それでもう一つ、先ほどの流れでいけば刑務所に相当するもの、要するに強制執行その他をやる機関というものも、国連で決議して、金融措置その他経済制裁というようなことはあろうかと思うんです。武力制裁もかつてのあれでいけば朝鮮戦争とか湾岸戦争とかというのも、正式にはどうかは別ですけれども、そういうふうなことになっている。
  ということから考えてきますと、現状においていわゆる国際社会の同情を得るため、あるいは同情というのはシンパシーというだけではなくて一種の国際世論を形成するための多数派工作としての言論という意味も含めて、相手国に対して、相手国の行為は国際法違反である、あるいは国連憲章違反であるという非難をすることは可能だとは思うんですが、我々が普通の社会において違反した、けしからぬことをしたと訴えるということになった場合のその後の手続と国際社会における手続というのはかなり違ってこざるを得ない。
  現実に言えば、安保理がその判断をできなければ、いわゆる国際社会的に言う合法的な強制執行は、法律に裏打ちされた裁判であるとか刑務所であるとかということはできない仕組みになっている。裏を返せば常任理事国、拒否権を持つ五カ国が絡んだこういう国際紛争というのは、現実に国連の用意した法の枠組みの中では強制的な解決は不可能であるというのが国際社会の現実ではなかろうかというふうに判断することはいかがなものでしょうか。どういうふうにお考えでしょうか、その辺は。

○政府委員(東郷和彦君) 申し上げましたように、現下の国際法社会のもとで一義的に違法行為というものを解決する方策というのはなかなか難しいということだと思います。
○山崎力君 ということは、幾ら今の場合ある行為が国際法に違反しているとか国連憲章に違反しているとか言ったところで、そのある国が常任理事国五カ国かあるいはそれと密接に関係する国の行為である限り、国連としてその行為を強制的に解決する手段は国際社会は現在持っていないと考えていいと思うんです。今のと繰り返しになりますので、お答えは結構です。
  そうなってくると、国際法違反だ、国際連合憲章違反だというふうに言うことは、要するにある意味では、学問上はともかく、そして人道上はともかく、国際法の社会では単なる宣伝、同情を呼ぶための宣伝であるという側面も出てこざるを得ない。
  それで、そういう宣伝でもって理事国がすべて、五カ国が一つの結論を出すのであればこれは何なりかの強制力を持つのでしょうけれども、幾らそういう宣伝があろうと、五カ国のうち一カ国でもそれは我が方としては受け入れられないと言えば、これはなかなか国際法、国連中心の活動では対応ができない。これが私は残念ながら国際社会の現実だろうと思うわけでございます。
  そこで、今回のコソボに関してみれば、安保理は今回のNATOの行動に対しての非難はしない、しかも一カ国だけではなくて多数をもって安全保障理事会というのは違法化しなかったわけです、コソボに対するNATO軍の行動を。ということになれば、もうこれ以上国際社会として交渉、話し合い、そういった法的な手続によるような国際社会での話し合いというものとは別の世界に、次元に来ている、国連を離れている。その中で国連の活躍する場所はいろいろあるとしても、非常に法的に切り分けていけば、そういうふうな形になってしまっている。
  さりとて、それでは国連にかわるようなそういう紛争調停の組織というのは全然萌芽すら見えない、芽吹きすらない、これしかやっていられない、こういう現状だろうというふうに私は思うわけです。
  それが本当に日本国民にそういった事情がわかっているのかわかっていないのかという、これは別の次元の大きな問題ありますが、そうすると、今回の措置は、いわゆる直接ではないんだけれども、一種の集団的なNATOならNATOというところとヨーロッパならヨーロッパというところの中でのある民族、地方における民族に対する、それも違反ではあるんだけれども、強制力のないいわゆる人道上の人種差別的な虐殺も含めてでしょうけれども、そういったことに対する主権国家への制限。そういうことをやろうとやるまいと、うちの国のことだから文句言うなというユーゴの主張、それに対して、それは言えるんだと。それは主権国家同士のいろいろの中での考え方を強制するんだという感覚がやはりあったのかなと。
  そうすると、やはりここで最後に問題になってくるのは、国内における主権国家の主権の行使の制限というものを国際社会がその時々の力関係、バランスの中、あるいは気持ちといいますか、思想といいますか、いわゆる人道主義というのも一種の思想だとすれば、そういった中でのせめぎ合いの中で今回のコソボ紛争というのが現実のものとして行われているのかなというふうに私は感じているわけです。
  そういった中で、我が日本が、外務省と言わずにあえて我が日本と言いますが、国としてどのような対応をとるのかといったときに、その辺に対する意識を持って、国際社会の意識を持ってやるのとやらないのとでは、単に外務省一つが逆立ちしたところでなかなか国民の理解は得られないと私は思うわけです。
  時間ですので、最後に質問させていただきたいのは、そういう国際社会の中で我が国は何をなし得るのかという基盤を押さえた上での国民に対する説得がいま一つ私には見えてこない。その辺をもう少し、外務省というのはどうしても外側を見ているところで、国民の方の理解を得るというところからすると、なかなか本来の仕事からすると難しいかもしれませんけれども、その辺のところをどう考えて、どうやろうとしているのか、考え方をお聞かせ願えればと思います。いかがでしょうか。

○国務大臣(高村正彦君) 小渕外務大臣のときから、国民とともに歩む外交と言っていますので、外交政策について国民に理解を求める、御説明するというのは決して外務省の仕事ではないわけではなくて外務省の重要な仕事の一つだと、こう思っております。
  私としてもそのために一生懸命やっているつもりでありますが、十分でないというおしかりを受けるとすれば、評価というのはみずからするものではなくて人がするものでありますから、それはそれで仕方がないかなと。これからもできるだけ国民の理解を求めるように努力してまいりたいと、こう思っています。
○山崎力君 終わります。

(後略)