質問「『国旗掲揚等の地域格差について』他

(平成11年7月30日参議院国旗及び国歌に関する特別委員会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 参議院の会の山崎であります。
  いろいろ午前中から議論がございましたが、私は主に事実関係をたどっていきたいと思っております。
  事実関係と申しますのは、どういうふうな今回の問題についての基礎的な考え方、基本の考え方があるかというところから、勉強と言っては非常に申しわけないんですけれども、一つ一つチェックをしていきたいという立場で質問をさせていただきたいと思います。
  まず、今回の法律の政府側の説明の中に、日の丸あるいは君が代は慣習法として定着している、こういうのがございまして、それをいろいろな事情によって実定法化、法定化したい、こういう考え方を述べられておりましたが、一般の人間にとりまして、慣習法とは何ぞやということ自体がまずわからないという方が多いと思います。
  その辺について、慣習法とはどういったものであるかということの実態をお聞かせ願いたいと思います。

○政府委員(大森政輔君) お尋ねの件は詳しく論じ出すと非常に難しい問題でございますけれども、要するに慣習と慣習法がどう違うのかという点に絞りますと、慣習に法的確信が伴うと慣習法になる、こういうふうに言われております。しからば、慣習とはどういうことかということになりますと、一般に国民の社会的生活を行う上におけるしきたり、長く反復して行われるしきたり、これがそのうちに法的確信を伴うということになるとそれは慣習法である、こういう使い方をしているというのが簡単な、端的な説明だと思います。
○山崎力君 私もかつてそういったことを聞いた記憶がございます。
  その中で、一番問題は、おっしゃったとおり、法的確信とは何か、このことだと思うんです。これが非常にわかりづらい。法とは何ぞやといういわゆる法哲学まで踏み込まないとこの問題というのは出てこないんですが、そこまで行かなくても、一般の人には、これは慣習、習慣あるいは慣例となっているということと、これは慣習法化されているということ、この区別はなかなかできない。
  そもそも、我が国に慣習法というものがあるのかないのか。いわゆる実定法主義をとってきたのではないだろうか。その辺のところの議論が全くないまま、私はそういった点では非常に気軽に慣習法という言葉が今回の政府説明で使われたのではないかという疑問を持っているんですが、その点、いかがでしょうか。

○政府委員(大森政輔君) 今までるる申し上げていますとおり、長年の慣行により国民に定着しているという言葉を使ってきているわけでございます。これは、すなわち慣習の成立、そしてそれに法的確信が伴う慣習法の成立ということを別の言葉で言いあらわしているわけでございます。
  しからば、この法的確信とはどういうことか。これを簡単に申し上げますと、ある慣習が一般国民の間に法的な規範として認識される、すなわち国民が法的な規範として拘束力を意識するようになるということになりますと法的確信を伴っているということが言えようかと思う次第でございます。
○山崎力君 まさに規範として認識しているか、していないかということだと思います。しかし、これは非常に移ろいやすいものでございまして、そういった意味では非常に価値観の移動とともに移ろいやすいものである。しかし、現実の問題として、それが長い間多くの国民にとってこういったものだということが意識され、また逆に規範ということを裏返せば、それに違背したときに何らかの悪い影響があってもこれはやむを得ないんだということを意識しなければ、まさに規範というふうにならないと思うわけでございます。
  そういった意味で、今回のものが日本の法体系の中で、いわゆる慣習はある、あるいは村八分といったようなことが言葉としてあって、それが慣習法化されているか、されていないかということも出てくる部分はあろうかと思うわけです。
  しかし、明治以降そういったことはよろしくないというふうに、むしろ明治政府以降、実定法主義で今まで我々はやってきた。そして、その法定化がどういうことをいったかといえば、法律ではこうなっているけれども実際の社会はそこまでやったら大変だよねと。言葉をかえれば、法律家はあしき隣人という言葉もあるような中で、何とかかんとか日本の社会がやってきた。
  ところが、実際の問題として、この近代化、いろいろな難しい中で、そういった共通の規範が失われつつあるということもこれまた社会的背景として事実だと思うわけでございます。
  そういった中で、あえて慣習という、詰めた意味で慣習法化されているという今度の国旗とか国歌というものをやっていいのかどうかというようなこと自体、私は問題としたいわけでございます。その点で、政府側で説明の慣習法化という慣習法ということの吟味が本当にされたのかどうかということ、慣習であった、しかもある程度国民に規範的なものを持たれたものであったということは事実だと思いますけれども、ここに慣習法という法を入れたこと自体、果たして厳密に検討された結果かなという疑問を持っております。
  その点について、何か法制局として相談にあずかった事実があるのかないのか、御答弁願えればと思います。

○政府委員(大森政輔君) なかなか微妙で、答えるのが難しい御質問でございますが、検討したのかと言われますと、それは検討したということでございます。
  そこで、いつ慣習に法的確信が伴って慣習法となったのかというようなことをせんさくいたしますと、この時点だと言うのは非常に難しい問題でございまして、要するに過去にさかのぼっていつかじゃなくて、現在どうかという判断を通じて述べざるを得ないということが一つでございます。
  それからもう一つは、要するに法的確信を伴うかどうかというのは、個々の国民が主観的な判断として法規範意識を持つかどうかという問題として考えるべきじゃなくて、要するに客観的、制度的な評価の問題としてとらえるべきことであろうというふうに考えているわけでございます。
  そこで、国旗・国歌について考えてみますに、国旗とかあるいは国歌の語、言葉を用いている個別の法令、あるいは法規たる性質を持つ文部大臣告示というものが存在しているわけでございまして、これらの規定の関係で国旗とか国歌とかいうものがいかなるものを指すのかということにつきましては、日章旗が我が国の国旗とされており、また君が代が我が国の国歌とされるべきであるという確信があるというふうに現時点で判断できるわけでございます。したがって、このような確信が個別の法令等の各規範の意味を補充しまして完結させるという機能を果たしているということが一つの事情でございます。
  それからもう一つは、国旗・国歌と申しますのは、やはり現代社会ではいずれの国家も備えているべき基本的な制度であろうと思うわけでございまして、国家的な行事とか国際的な儀礼におきましては、我が国の国旗とは日章旗であるべきだ、そしてまた我が国の国歌とは君が代であるべきだということは国民の間でもはや確立している問題ではなかろうかと。
  このようなことをあわせ考えますと、国旗・国歌とは何を指すかという命題についてその答えを一義的に定めるという意味において、広い意味では法的な規範性をもう既に有しているのであるということが言えるのではなかろうか。
  このようなことを頭の中であれこれ考えまして、やはり単なる慣習ではなくて、既に慣習法としてもう成立しているのであろうという判断をしているわけでございます。
○山崎力君 私もその御説明で結構だと思うんですが、ただこの問題は一つ事情がちょっと違うことがございます。
  と申しますのは、先輩、諸先生の指摘の中にもありますけれども、私の見るところ、すなわち戦前において君が代あるいは日の丸というものが今以上に実定法のないまま、まさに慣習法として我が国の国民の中に定着しておったということは事実だろうと思うわけでございます。まさに世界は今以上に慣習法化していた。それが戦後の混乱の中でどうなったかといいますと、占領軍の命令によって国旗掲揚は一たん禁止されたわけでございます。もちろん、君が代の演奏も否定された部分があって、それが復活したときに果たしてどうだったのかということがポイントではなかろうかと思うわけでございます。
  そういった意味で、単に今回、現時点でということだけではなくて、敗戦後の位置づけがどうだったのかということもある程度吟味しなければならないことだろうと私は思っております。そういった中で、今の御答弁にもありましたように、この慣習法という言葉が日本になじむかどうかの問題は別として、提案側がこういったことを考えてということは今の御説明である程度納得できる部分があるというふうに評したいと思います。
  ところが、もう一点お伺いしたいのは、こういった慣習法というものが国旗・国歌と違った意味で我が国にはどんなものがあるだろうかと当然一般の方は考えると思うんですが、その点について何か御答弁がありますでしょうか。

○政府委員(大森政輔君) 御承知のとおり、我が国は明治以来成文法主義をとっておりますので、慣習法が成立する領域というのは非常に狭い。したがって、慣習法がほかに何があるかと言われますと、そうたくさん指折り数えられる問題ではなかろうかと思います。
  ただ、この問題で従前から例として挙げられています代表的なものは、法令の公布は官報をもって行うということはもう確立しているわけでございます。実はこれは戦前では公式令において明確に規定されていたことでございますが、日本国憲法の施行とともに公式令が効力を失いまして、それにかわる根拠法令が制定されておらない。しかし、依然としてこの法律も成立いたしますと公布されます。これは官報に掲載して行われることは間違いないわけでございまして、このように法令の公布は官報をもって行うという規範は代表的、典型的な慣習法であるというふうに説明されております。
○山崎力君 これは質問通告をしていないのであれなんですが、私がこのことで感じたのは、我が国の呼び方はニホンなのかニッポンなのか。これはいろいろ議論があったことがございますけれども、憲法はニホン国憲法と普通言っておりますが、ニッポン国憲法と発音される方もおられるわけでございます。
  そういった中で、これは両方とも我が国の国号であるというのも一種の慣習法かなというふうに私は思っているんですが、検討が必要かどうかは別として、もしお答え願えるならばお答え願いたいと思います。

○政府委員(大森政輔君) お尋ねの件につきましては、文部大臣がおられ、文部省の局長がおられるわけでございますから、あるいはそちらからお答えいただく方がより正確でないかと思いますが、少なくとも法制面におきましてはその用語をどういう読みをするかということまで文字であらわすわけじゃございませんので、漢字表の音訓の範囲内であれば、どちらでなくちゃいかぬという問題ではないんじゃなかろうかなと思いますが、どうも余り自信はございません。
○山崎力君 それでは、文部省の方からもしあれば。
○政府委員(佐藤正紀君) 手元に資料がないので正確なことは申し上げかねるのでございますが、昔、総理府に公式制度調査会というのがございまして、日本の国号につきましても検討いたした経緯がございます。その中におきましては、ニホン及びニッポン、いずれの呼び方も正式なものとしてたしか認められた経緯があったと記憶しております。
○山崎力君 確認ですが、それは実定法化されているというわけではなくて、慣習法的にどちらでもいいということで今行われているというふうに解釈してよろしいんでしょうか。
○政府委員(佐藤正紀君) 調査会の中でそういう結論を得たということでございまして、特に法律とか告示をしたというようなことはございません。
○山崎力君 非常に基礎的なことで恐縮でございましたが、続きまして、先ほども扇委員の方から出ましたけれども、刑法第九十二条、外国の国章損壊罪、このことについて考えてみたいと思います。
  これはいつごろつくられた法律で、その立法趣旨はどういったものでしょうか。法務省の方、お願いいたします。

○政府委員(松尾邦弘君) まず、いつごろかという点でございますが、旧刑法、これは明治十三年の太政官布告第三十六号というものが旧刑法と言われているものですが、ここには外国国章損壊罪に相当する処罰規定はございませんでした。その後、明治四十年に現行刑法が制定されたわけでございますが、その際に第九十二条に外国国章損壊罪が設けられたということでございます。
  その立法の趣旨でございますが、刑法第九十二条の外国国章損壊罪は刑法第二編第四章の「国交に関する罪」の中に置かれております。我が国の外交作用の円滑、安全等を考慮してかかる行為を処罰するということにしたものと考えられます。
○山崎力君 これは念のためでございますけれども、諸外国においても我が国のこの外国国章損壊罪に当たるのは一般的にある考え方でしょうか。
○政府委員(松尾邦弘君) 把握している限りでございますが、ドイツには外国の国旗及び国章の侵害を処罰する規定がございます。
  アメリカ連邦法あるいはイギリス、フランスには、我が国のこの刑法第九十二条に該当する外国国章損壊罪に該当する処罰規定は見当たらないと思います。
○山崎力君 そういった中で、日本の国旗、そういった国章というものがあるかどうかは別としまして、国旗に対しての処罰規定はないというふうに知っておるわけでございますけれども、諸外国においてもそうですが、自国の国旗等に対する侮辱的な行為に対して、それに対する処罰というのはどのような感じになっておりますでしょうか。
○政府委員(松尾邦弘君) ドイツでございますが、公然掲示された旗、国章の損壊等を処罰する規定がございます。
  イギリス、フランスには、自国の国旗に対する
損壊行為についての処罰規定は見当たらないということでございます。
  アメリカ合衆国でございますけれども、ここは合衆国の旗の冒涜行為を処罰する規定がございますが、ただこれは、例えば政治的抗議等のために合衆国の旗を、自国の旗を燃やした者に対する本罰則違反による訴追につきましては、憲法修正一条に違反することを理由に連邦裁判所は控訴を棄却したということを念のため申し添えておきます。
○山崎力君 そういったことで、我が国に九十二条があるんですが、これは念のためですけれども、ほとんど例示規定的になっておって、この法律の実際上の運用といいますか施行というのはほとんどなされていないように記憶しているんですが、それはそう考えてよろしいんでしょうか。
○政府委員(松尾邦弘君) 統計から拾いますと、昭和二十二年から平成十年までの検察庁における九十二条違反の受理人員は四人でございます。全く動いていないということではございませんが、極めてまれな例ということになります。
○山崎力君 この例で私が記憶しておりますのは、かつてもう大分前、私の子供のころですから相当前になりますけれども、調べてこなかったので日時はちょっと言えませんが、長崎国旗事件ということがありまして、日中国交回復前の中国との関係がその事件で非常に大きな影響を受けたということがございます。そういった点で、国旗に対する一つの行為がいわゆる外交問題になり得るということが現実の問題としてあったわけでございます。
  そして、そのことをおもんぱかって我が国においてはこういった法律ができたのであろう。裏を返せば、非常に微妙なときに激高した国民が相手国に対して侮辱行為をするということが外交上極めて悪い影響をもたらす、そのことを処罰するという考え方でできたものであろうと私は思っております。
  そういった抽象的な意味合いを国旗というものは持つし、あるいはそれと伴う国歌というものも持っていると私は思っておりますが、そういったことに対して日本の国民はどのような考え方を持っているのか。特に幼少時の学校教育においてどのように教えているのか。これはひとつ国というものをどう考えるか、国家観をどう考えるか、あるいは民族というものをどう考えるのか、それとも人間のまとまりである社会というものをどういうふうにとらえて子供たちに教えるのか、こういう点に大きくかかわってくると思うんです。
  文部大臣にお伺いしたいと思います。諸外国の現状とあわせて、具体的にどのように文部省としては教育しているんでしょうか。

○国務大臣(有馬朗人君) 学校におきましては、国家や民族、社会のあり方や仕組みなどにつきましては、小中高等学校を通じて児童生徒の発達段階に応じて社会科等で教えているところでございます。
  具体的には、例えばまず小学校でありますが、小学校社会科では、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育てることを目標としております。次に、中学校の社会科におきましては、国家の主権あるいは領土について指導することとしております。すべての国家の主権が相互に尊重されなければならないことなどを学習しております。高等学校の公民科では、領土などに関する国際法、人種、民族問題などを指導することにしておりまして、この中で国家や民族のあり方などを学習いたしております。
  また、国旗・国歌の指導につきましては、学習指導要領に基づき、具体的には社会科で国旗・国歌の意義を理解させ、諸外国の国旗・国歌を含めそれらを尊重する態度を育成すること、音楽の授業では国歌君が代を指導すること、入学式や卒業式などでは国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導することといたしているところでございます。
○山崎力君 諸外国についてのことが答弁漏れでございますので、まずお答え願いたいと思います。
○政府委員(小野元之君) 外国におきます国家観、民族観、社会観についてどういった教育が行われているかということでございますが、私どもが承知している限りでは、例えばフランスでは、教科公民におきまして、フランスを含め各国が独自の歴史や文化を有することやそれを尊重することが指導されております。
  それから、ドイツでございますが、ドイツにおきましては、州の憲法や学校教育関係法規などにおきまして、国土及び郷土への愛情を持って教育に当たるべきことが規定をされております。
  それから、中国でございますが、各教科や生徒指導などを通じまして、中華民族の歴史、文化、伝統の継承、高揚などが指導されているというふうに把握しているところでございます。
○山崎力君 もう一つ、それに関連してですけれども、大学においては、特に国公立の大学においては、こういったことに対して、入学式、卒業式における国旗掲揚あるいは国歌斉唱というものが行われているのでしょうか、いないのでしょうか。
○国務大臣(有馬朗人君) 大学に関しましては学習指導要領が適用されませんものですから、少し違った立場になります。
  御承知のように、国立・公立大学の入学式、卒業式における国旗や国歌の取り扱いにつきましては、入学式等が大学の教育研究活動の一環として行われていることにかんがみまして、各大学の自主的な判断に任せられているところでございます。
  国旗・国歌につきましては、長年の慣行により広く国民の間に定着していることから、各大学の良識ある判断と適切な対応を期待いたしているところでございます。
○山崎力君 学習指導要領、大学と高校がどこまで違うのかという教育面における位置づけというものが、かつての大学、高等教育といわゆる中等までの教育とで非常に違ってきた事実、流れがございます。そういった意味で、そこまでやるのかという考え方と同時に、やらなきゃまともな人たちが育たないぞという考え方も出てきております。
  先ほど文部大臣からの答弁の中にありましたけれども、家庭教育が大事だというふうなことが言われておりますが、その前提として、家庭教育の親を教育した方が早いぞというのが現場の教師の中から出ている、あるいは社会問題の中にも出てきている。
  これは学校教育のみならず、社会教育の中でも問題児をどう扱うか、どう教育するかといったときに、まず問題になるのが、親がどういう教育をしているのか、親の考え方はどうなっているんだ、まず親を教育した方が早いぞ、しかしそういった教育する場があるのかというのが今の悩みの種だというふうに伺っております。
  そういった教育という面から今度の国旗・国歌というものがどのように扱われるべきかというふうに今まで論じられてきたわけですけれども、同僚議員の中にも関係者がおられるので非常に聞きにくいのですが、この問題というのが一義的に国民の間に時期的に間を置いてということで問題になってきたのは、まさに文部省と日教組との関係の中で、国旗・国歌をどう扱うかということが、非常に私はいびつな形だとは思うんですけれども、かなりの長い間ずっと行われてきた。それで、現実の問題として地域間格差、入学式、卒業式における掲揚、その他斉唱の地域間格差も非常に大きい。
  この問題について文部省はどのようにお考えなのでしょうか。どのように受けとめられているのでしょうか。

○国務大臣(有馬朗人君) 日本教職員組合は平成六年度までの運動方針において、君が代には強く反対する、また日の丸を学校教育に強制することに反対するとしておりました。しかしながら、平成七年度の定期大会において、国旗・国歌の取り扱いについて運動方針から削除するなど、大幅に見直した運動方針を決定したと承知しております。
  文部省といたしましては、学校での国旗・国歌の指導について、これまで学習指導要領に基づいて適正に行われるよう各都道府県教育委員会に対して指導してきたところでございまして、今後とも学校における指導の充実に努めてまいる所存でございます。
○山崎力君 このところは後ほどでも結構なんですけれども、今のそういった流れの中で、かつてから、戦後間もないころから一貫してほとんどの学校が国旗を掲揚し国歌を斉唱してきた地域もあれば、ほとんど行われていなかった地域もあるわけでございます。もちろんこの問題というのは地方それぞれの教育委員会の判断があったわけでございますけれども、そこのところで、先ほどの問題に立ち戻れば、果たしてそれが慣習法化されていたかどうかということの判断もそこのところでばらつきがあったのではないかなという気があったので、私が最初に申し上げたのはその点なわけです。
  もう時間もそろそろなくなってまいりましたので、この問題はまた改めてお聞きしたいと思いますけれども、そのような地域間格差に対して、逆に考えれば学校の現場、教職員組合、日教組あるいは高教組のところの対立からこの問題が実施できない地域があったのか、あるいはその他の地元の人の事情でそういったものがあったのか、その辺のところを文部省としてどこまで指導してきたのか、そういった問題がこの問題の背景にあったということは否定できないと思うわけでございます。
  その中で、この問題の大きなポイントというのは、日の丸が国旗だからそれを認めないのか、国旗というものを一つの教育の現場に持ち込むことを拒んでやらなかったのか。君が代についても同様でございます。先ほども申し上げた国家間の問題、国家というものには少なくとも何はともあれ国旗とか国歌というものが存在し、つくって、それで一つの国民のシンボルとして、統合の象徴としてやっていくんだと。もちろんその国それぞれの歴史的経過、慣習その他がバックにあるわけでございましょうけれども、それを認めるということであって、その前提で日の丸が悪いとか君が代が悪いという意見と、もともとグローバルな、世界的な一人一人の個々人を育てる教育の現場にそういう国家的なシンボルというものをなるべく持ち込むべきではないという価値観から国旗・国歌を教育現場に持ち込むべきではないという考え方なのか、その辺の区分けを文部省としてどのように交渉してきたのか、話し合ってきたのかということは明らかにするべきだと思うんですが、その辺のところで何かありますでしょうか。

○政府委員(御手洗康君) 各学校現場におきます議論は、先生御指摘のように、いろんな場面に即しましていろんな論理が立てられる、したがいまして両方の論理があったろうかと思います。
  日教組におきましても、最初に日の丸掲揚あるいは君が代強制等について反対というのが出てまいりますのは、私どもが承知している限り、昭和三十年代の末から四十年代の初めでございますが、現在までの運動の基調になりました昭和五十年の第四十七回定期大会の統一見解に係ります文書を見てみますと、一つは君が代・日の丸の法制化に反対すると明確に言っておりますし、もう一つは学習指導要領をてこに日の丸を学校教育に強制的に持ち込むことに反対するということで、いずれの論拠においても反対であるというようなことがございますので、実際の各学校や教育委員会の交渉場面におきましても、その場面に応じましてこの両方の論理展開がされてきたものと承知しているわけでございます。
  先生からも御指摘がございましたように、何分にも各都道府県ごとに相当この問題に対します組合側の対応あるいは教育委員会側の対応も時代によりまして格差がございまして、国旗・国歌の掲揚率等が現在九〇%を超え、あるいは八〇%を超えているというような状況でございますけれども、こういった状況に立ち至るまでにおきましても、各都道府県におきまして、二十年前からこういった問題について既に解決済みの県もあれば、十年前解決したところもあれば、いまだに大変まだ難しい問題を抱えているという県が一部に残っているということも事実でございます。
○山崎力君 官房長官には申しわけないんですが、最後にちょっとと思っていたんですけれども、時間でございますので次の機会に譲らせていただいて、私の質問を終わらせていただきます。
(後略)