質問「公述人のご意見をお聞きしたい

(平成11年8月9日参議院国旗及び国歌に関する特別委員会公聴会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 まず、升井公述人の方からお伺いしたいと思います。
  御意見の中で、今回の場合、国民の圧倒的多数の支持がなければ意味がないというふうにおっしゃいました。そういったこともあるのかもしれませんが、日本国憲法においては、一番の国民的合意を必要とする憲法改正ですら国会の三分の二、国民投票で過半数で変えてよろしいと、これは非常にかたい、変えにくい硬性憲法だというふうになっているんですが、そのところと先ほどの国民的合意、圧倒的多数というものとの結びつきはどのようにお考えですか。

○公述人(升井勝之君) 圧倒的多数の数字的な意味についてはいろんなケースがあると思います。圧倒的多数というのが一〇〇%というようには私も解しておりません。
  ただ、この日の丸・君が代法制化問題について、これは事実として言えることは、国民の意見が分かれていると。今この瞬間に法制化をせよという意見が国民的な圧倒的多数になっているとは、どんな指標をとってもそれはそういうようには判断できないという、そういう考えに立っているわけです。
○山崎力君 それでは、続いて石川公述人にお伺いしたいと思います。
  今までの中で、公述人の意見がユニークといいますか、ほかの方とちょっと変わっているなと私が思ったのは、この国旗・国歌を慣習法的な成立を認めつつ、今回の法案成立には反対であるというお考えでございます。なかなかこういった御意見というのは、私が聞いたり見た範囲では少ないということがございます。そういった中で、ちょっと集中的にと言っては問題があるんですが、質問させていただきたいんです。
  まず、その考え方で、これは長谷川公述人のやぼなというところと同感するところともつながるんですが、今回のこの法律が否定されたときの影響というものをお考えになったかということです。
  ということは、もしこれが否決されれば、いわゆる慣習法としての従来の日の丸・君が代を法的に葬り去ることになります。ということは、我が国は少なくとも新憲法下、あるいはサンフランシスコ条約成立後でも結構ですが、その辺のところの法理的な議論は置いておいて、長い間国民統合のシンボルである国旗・国歌を持たない国であったということを世界に宣言することになるんではないか。そういう国家であることを国民が自認した上で反対と、そういうふうな意識で反対されるんだろうということを私は非常に懸念しているんですが、先生の考え方はいかがでしょうか。

○公述人(石川眞澄君) 国会議員、参議院議員の皆さん方を前に大変生意気なことを言うのをお許しいただきたいんですが、私は、法案の取り扱いに関して、可決ないしは否決のみが表明の仕方ではないと思っています。
  もし、今の御質問のようなことの憂慮があるとするならば、審議未了というふうな形で成立せざる場合においては、私は今御質問にあったようなダメージはないというふうに思っております。
○山崎力君 ということは、石川公述人の思うところ、これが可能かどうかは別として、反対と。もしこの問題が、いわゆる賛否を問うということの問題点があるとすれば、審議未了のまま葬り去るのが一番適当ではないかというのが石川公述人の考え方に近い、こう理解してよろしゅうございますでしょうか。
○公述人(石川眞澄君) はい、結構です。
○山崎力君 それからもう一つ、石川公述人の考え方でわかりづらいといいますか少し説明していただきたいのは、先ほど同僚議員からのほかの公述人に対する質問にもありましたけれども、国旗・国歌というものを慣習法的であれ認めるとするならば、国民として国旗・国歌に対する対応、これは一日の丸・君が代ではなくてどんな国旗・国歌でもよろしいわけですけれども、そういった対応というものは、近代国家の、民主的国家の市民としてある一定の態度というものはとる必要があるのではないかというのが一つの共通認識になっているんではないかというふうに私は思うわけです、これは諸外国を通じて。
  そういった教育というものが、慣習というものであるならば国民に十分伝わっていなかったんではないかという気がするんですが、その辺についての公述人の御感想はいかがでしょうか。

○公述人(石川眞澄君) 私は、今の国旗・国歌の扱いということについての御質問の意味を取り違えているかもしれませんが、どのような国旗であろうとどのような歌であろうと、あるいは自国のものであろうが他国のものであろうが、十分に敬意を払い、それ相応の儀礼を持って遇するべきであるというふうなことをどうやって伝えるかという意味で受け取ってよろしゅうございましょうか。だとするならば、にもかかわらずアメリカの連邦国旗保護法が違憲であると、一九九〇年の連邦最高裁でそのように決められたということを、私はやはり表現の自由との関連において非常に重く見る必要があると思います。
  恐らく連邦国旗保護法というふうなものの観念はアメリカ合衆国の国民にとっては至極当然の、当然国旗に対する敬意というものはあるべきであるし損なってはならない、先ほど扇委員がおっしゃったような事例があるということがむしろ国民的常識であろうと思われます。にもかかわらず、これは日本と法律体系が違うのでありますが、合衆国憲法修正一条によって、表現の自由というものを制限する立法をしてはならないというものに当たるというふうなことがあの国においてできるということを非常に私は尊敬するものであります。私は、願わくば日本の憲法においても、二十一条で表現の自由がそのような地位を得るべきであろうというふうには思っております。
  そういう点で、もちろん一般的に礼を持ってどのような国旗であろうが国歌であろうがこれに接するべきであるけれども、しかしながら、たくさんの人々でつくられている社会においてそのような態度をとらない者があらわれた場合に国家権力はどのようにこれに対応するかということに関しては、アメリカの事例が私はやはり相当立派な手本になっているんじゃないかというふうに思っております。
○山崎力君 そうした石川公述人のお考えの背景にあるのは、どうしても私には、これは失礼な言い方になるかもしれませんが、日本のいわば非民主的といいますか、おくれた国民性のもとでという丸括弧つきの言葉が見え隠れするような気を私は受け取るわけでございます。そういった点で、確かにおっしゃるとおりの考え方、立派な考え方です。しかしその前提としては、国旗・国歌はかくあるべしという社会通念、そういったものを持つということあるいは教えるということ、そういったものを否定する考え方では私はないと思う。そういった中の前提においても、少数の意見をいかに尊重していくかという考え方から出たのがあの判決であろうと私は思うわけです。
  そういった中で、今の日本の国旗・国歌の取り扱いの、社会の私はごく一部の人だろうと思いますけれども、そういった人の少数のために多数の者が、非常に気に入った言葉ですが、やぼを承知で法定化するということの意味を、そういった方々に、もし先生の立場、公述人の立場からいえば、どのようにして説得するのかということのあれがありましたら、お答え願いたいんです。

○委員長(鴻池祥肇君) 予定の時間が参っておりますので、簡潔にお答えをいただきたいと思います。恐れ入ります。
○公述人(石川眞澄君) 今の論点から、山崎委員のお考えに沿っていけばそのようなお考えになるということは、大変論理的な経過だろうと思っております。
  私の場合には、そのような御質問、あるいはそのような立場、あるいはその論点から対応する答えとしてはいろいろと申し上げてまいったつもりでありますが、何よりも私は法制化の問題点として最初に申し上げたとおり、これはやはり、国家の継続性に重点を置いた観念からここに再確立するということを内外に宣明するものとしての立法措置というふうに受け取っている点が一番賛同しがたいところであって、国旗・国歌の取り扱い一般に関してさまざまな儀礼的な部分あるいは当然のモラルというふうなものをどのように取り扱うかということとは論点が若干ずれているというふうに思っております。
○山崎力君 ありがとうございました。
(後略)