賛成討論「国旗・国歌法案について

(平成11年8月9日参議院本会議会議録より抜粋)


(前略)
○議長(斎藤十朗君) 山崎力君。
    〔山崎力君登壇、拍手〕
○山崎力君 参議院の会の山崎であります。
  ただいま議題となりましたいわゆる国旗・国歌法に関し、参議院の会同僚議員のお許しを得て、原案賛成の立場から討論をいたします。
  民主党修正案は、原案と二者択一をとらざるを得ぬ現状では、残念ながら賛成はできかねます。
  当初、私は、この法案につきどちらかというと消極的な気持ちを持っておりました。まあ反対はできないが、何を今さら法定化するのかといった気持ちが強かったからであります。
  むしろ、法案の中に日の丸の色を赤色ではなく紅色とあるのを見て、違和感すら覚えました。確かに、一般的に流布されている日章旗の色自体は紅かもしれません。しかし、紅色は広く赤色の系統に含まれるものですが、逆に、紅色は赤色系全体を示すことはできません。何より広く国民に浸透している赤のイメージを覆すものであり、同僚議員が異例にも特別委員会で独唱した「白地に赤く」との歌詞は、正確には間違いということになってしまいます。
  そして何より、敗戦後、憲法を押しつけたアメリカですら、いわば手が出なかった日の丸と君が代を実定法化する意味がいま一つ判然としなかったからであります。政府の説明のごとく、いわゆる慣習法化されていればその方が自然と思えたからであります。実定法化により政治的状況の変化でいつでも変更できる形にする方がむしろ問題とも考えました。
  しかしながら、審議を通じ、反対の立場をとる議員、公述人等の考えを聞くうち、本法案に積極的賛成の立場となり、ここに賛成の討論に立つに至りました。
  以下、その理由を述べさせていただきます。
  賛成する理由は、第一に、明治憲法下の戦前はもちろん、現憲法の今に至るまで、国旗は日の丸、国歌は君が代以外になかったという事実があります。新憲法施行後も、それを認めるか否かを問わず、日本の国旗・国歌という場合、念頭にあるのは日章旗日の丸と君が代以外にはないということはほとんどの方が同意していただけることと思います。そして、それ自体のよしあしはともかく、ある人間集団、国家を示す人工的象徴として、目で見る視覚的には国旗、耳で聞く聴覚的には国歌があるということは国際的にもほぼ例外なく認められているところであります。
  すなわち、国に国旗・国歌があるのは当然、そしてさらに、現在新たに国旗・国歌を制定し直す、こういう状況下にあるかどうかを考えるとき、国歌は君が代、国旗は日章旗とするのが至当とするのは自然と思えるからであります。
  そこで、現時点での法制化についてはどうするか、そこだけが問題ですが、そこでの政府の提案理由は、同僚議員周知のことと思い、ここであえて論じたいとは思いません。むしろ、この件に関し私が感じたのは、審議を通じての反対論への違和感でありました。
  反対論の考えでまず感じたことは、国旗・国歌という制度自体を認めないのか、国旗・国歌の制度は認めるが、日の丸と君が代はそれと認めないし、それを実定法化するのはとんでもないというのか、あるいは慣習法的に現状は認めるが、それは改めて新しい国旗ないし国歌を制定すべきというのか、日の丸・君が代でよいが、今この時点で実定法化するのは問題だというのか、そういった議論が混在した形であって論点が定まらないという印象でありました。そしていま少し論議が必要だ、今決めるべきではないとの結論ばかりが強く印象に残っておるのであります。
  もう一点つけ加えれば、慣習法的に日の丸・君が代を認めた上で新国旗・新国歌をという論は反対論の中にほとんど感じられなかったのでありました。
  しかし、そうした日の丸・君が代を国旗・国歌として認めないのであれば、国旗・国歌なしのユニークな国家観、世界観を現在の国際社会の中でどう主張していくのか、あるいは新たな日本にふさわしい国旗・国歌を制定すべしという国民の運動はどこにあったのか、また、してきたのか、まず国民の前に明らかにすべきということであります。
  そして、何より戦後あるいはサンフランシスコ講和条約締結後五十年前後にわたり国旗・国歌なしの日本国を続けてきたことへの釈明をまず国民の前に明らかにすべきだと思いました。
  反対論に感じたのは、国旗・国歌の持つ魔性を説き、特に我が国における理性を失った歴史への、不幸な時代への反省不足に対する危機感、あるいは教育現場における扱いの不安の主張の強さでありました。その中には確かに情を同じくしたい主張もありました。
  しかし、その考えをこの立法府の場で見るとき、教育現場の問題は法律の問題というより文部省管轄の教育行政の問題であり、政権の中に入り、ましてや閣議を主宰したことのある政党に所属した人々の主張としてあることは奇異にすら感じました。
  また、歴史認識と言うならば、中等教育、少なくても義務教育の現場においては将来の個々の判断のもととなる基礎知識を修めるべきところのはずであります。そうした視点が反対論に欠けているのでは、少なくても私にはそう感じられたのであります。
  戦前の歴史あるいは戦争への反省不足を説くときに、その象徴として国旗や国歌を対象とするなら、何ゆえ新憲法が日本の国名を残し、天皇制を維持したのかをまず問題にしなければならないと思います。
  特に、現憲法を守れと言いながら、現行の国旗を、国歌を認めないという声高な主張に、私は何がしかの違和感、下品な言葉遣いをお許しいただけるならば、うさん臭さを感じてしまいました。
  戦後ほぼ一貫して、みずから思い描く政治が行われてこなかった、そうした政治を国民が選んでこなかったと感じている人々が、その不満のツケをそれ自体罪なき日の丸・君が代に押しつけてきていると言えば言い過ぎになるでしょうか。
  私にとって、その感覚が現時点における日の丸・君が代の法制化に賛成する大きな動機づけになりました。
  言葉をかえれば、そして何より申し上げたいことは、もし仮に本法案が否決された場合、それは単に慣習法としての日の丸・君が代を葬り去るだけではなく、我が国が新憲法制定後半世紀以上にわたり、視覚的、聴覚的に国民統合の象徴である国旗・国歌なき国であり続けたということを内外に宣明することにほかなりません。
  先年物故された作家、司馬遼太郎氏は、「この国のかたち」ということを重視し、著述されてまいりました。その国の形という言葉をかりれば、私は、こうした国旗・国歌なき国の形を、我々国民が何の積極的対応もせず、平然と半世紀以上にわたり続けているという考え方に、国民の代表として、立法府に立つ者として、到底くみすることができません。
  改めて、結論として、少なくとも現行憲法を含め天皇制を認めた憲法下にある限り、栄光と汚辱の歴史をともに踏まえて、我が日本国の国旗は日章旗日の丸、国歌は君が代であるべきと今回の審議を通じ確信するに至ったのであります。
  以上、私の信ずるところを申し上げ、最後に、一人でも多くの方々が本法案に賛成していただけるよう、改めてお願いして、私の賛成討論を終わります。
(拍手)
(後略)