質問「『イスラム社会との付き合い方』ほか

(平成13年11月28日参議院国際問題に関する調査会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 自由民主党の山崎力と申します。
  まず、後藤参考人、後藤教授にお伺いいたしますが、何点かございます。
  一番根源的な問題として、日本人としては一神教に対する理解がこれは非常に薄いんだということがございました。ただ、私どもの感覚からすれば、西欧社会、キリスト教文明、これは一神教で、それなりに、理解というところまでいくかどうかは別として、ある程度のめどはついていると。ところが、どうもイスラム社会というと、そことまた兄弟宗教ということ自体、知識として国民の間に広まっているかどうかは疑問と言われるくらい遠い存在になっている、ここのところの原因は何なんだろうかと。
  やはり、最後の方に持ってくると思いますが、どうもキリスト教というのは近代文明とともに日本に入ってきたのに対して、イスラム教、イスラム社会あるいはイスラムのいろいろな文物というものは何か近代以前のような印象で日本に受けとめられている、その辺のところが一番私、個人的には背景にあるんではないかなと思っております。そこのところを含めた意味で、どうイスラム社会と我々がつき合うべきなのかという、歴史的背景を含めた形で御意見いただければと思います。
  それからもう一つ、途中、先生のお話の中で、イスラム内部での宗派間の争い、歴史というものがかなりあったと思いますし、昨今の報道においてもシーア派であるとかスンニ派であるとかという言葉も出ておりますが、これは我々が、一言で言えば無視してかかって見ていいものなのか、それとも、やはり相当程度の違いがその宗派ということにおいてあるものなのかどうなのか、その辺のお話を承りたいと思います。
  それから、小杉先生含めて両参考人にお伺いしたいんですが、やはり現代の一番の我々にとっての問題は、イスラムがほかの社会とどうつき合うかという点で、いわゆる近代法的な世界的な枠組み、もっと大上段に振りかぶれば、国際法を遵守した形での国家形態、政治形態をとれるのかどうか、とっているのかどうかというところが一つのポイントになろうかと思います。
  確かに、いろいろ宗教の共通性において国家を超えたグローバリズムというものも一つの価値観として出てきているのかもしれませんが、まだまだやはり国単位の政治というのは、国連を見てもわかるようにどうしてもあるわけでございます。そういった中でのイスラム社会の取り組み方、向こう側からの意識というものを両参考人からお伺いしたいと思います。

○参考人(後藤明君) 三つの質問でございますが、第一点、日本人は比較的キリスト教に関しては理解しているが、イスラムについては余り理解ができていないと、そういう御指摘は半ば正しいと私は思っております。しかし日本が、例えば私は現在、東京大学に勤めておりますが、東京大学というのは、明治に西洋の学術を日本に輸入するためにできた機関でございます。
  それはもちろん現在少し変わっておりますけれども、基本的には、日本の大学というのは西洋の学問というものを、欧米の学問を日本に輸入しようという、そういうことででき上がっている組織でございますけれども、そのときに我々の先輩たちが輸入しようと思った西洋の学問というものは、実は彼ら自身の自覚的には宗教を超えたものであったんですね。つまり、十八世紀から始まりまして、十九世紀の人文主義、つまり人間中心主義、もう我々は神中心の神学からは離れて、人間中心の世界、学問というものをつくっていくんだと。それを日本が受け入れようとしたというのが私が認識していることでございます。
  したがって、例えば有名な経済学者、アダム・スミスという人は大変信仰深い人でして、彼の経済学を根本から理解するためにはキリスト教信仰がわかっていなければいけないなどという意見がございますけれども、日本人はその部分はすっぱり捨てまして、いわば彼のキリスト教徒としての神学あるいは信仰のあり方は無視して経済学だけを受け入れるということをしてきたんじゃないかなという気がいたしております。
  したがって、欧米社会、もうこれはキリスト教から離れて毎日ミサに行く人は非常に少なくなっておりますけれども、基本的にはキリスト教文化の伝統は非常に根強いと思いますが、我々はそのキリスト教の伝統にどれだけ知識を持っているかというと、私はいささか疑問に思っております。
  そういう神を超えて、人間中心主義という考え方はイスラム世界にはもちろん入ってきます。それは、いわば西洋化であり、西洋思想のイスラム世界への導入であったわけですが、それに対する反発、つまり、やはり神中心、イスラム法というのは神の意思をどういうふうに人間が理解するかということだと私は理解しておりますが、まだまだ神を中心とした法体系あるいは社会の秩序ということを模索している、そういうものでございますから、神を一切超えて人間中心の学問を輸入しようとした日本人にはなかなか理解できないという側面がまだあるという気がいたしております。
  したがって、ユダヤ教にしましても、人間中心じゃない、神中心だと主張するキリスト教の運動にしましてもイスラムにしましても、私たちはどうも一神教というもの全体に対する知識がないんじゃないかというのが、山崎先生の御質問といささかちょっと変わった考えを持っておる次第であります。
  次に、イスラムの中の宗派ですが、例えば一番有名なのがシーア派と、シーア派は少数派でして、それに多数派であるスンナ派、スンニ派。スンナ派とかスンニ派と言いますが、その対立抗争ということは歴史的にもございますし、現在でも、例えばシーア派の信者に対して、メッカ巡礼の際に多数派のスンナ派が、何だあいつらはといって、同じ同胞ではありますけれども、いささか違和感を持つということも現実にはあるかと思うんです。しかし、それもありますけれども、基本的にはやはり共通する部分が圧倒的に多くて、違う部分は非常に少ないというのが現実です。そして、シーア派とスンナ派の一番大きな違いは、歴史理解をめぐって違うのでありまして、現状に関してはそれほど問題にはなっていない。
  それから、もう一つの大きな考え方は、イスラム法をどういうふうに理解するか。その法手続に関していろいろな意見がある。それが学派と呼ばれているイスラム法の法学派であるわけですけれども、大変厳しくコーランと預言者ムハンマドの言行、言ったこと、行ったことだけに依拠すべきだというような考え方から、もっと自由に法学者たちが神の意思をそんたくして、こういうことが大体神が考えているんじゃないかと議論の結果、合意すればいいんじゃないかという考え方までさまざまであります。その中にシーア派も一つの法学派として存在しているというのが現実でして、必ずしも圧倒的に違うんだという意識よりは、むしろ共通項の方を尊重したいと思っております。
  あと、無視してよろしいかといえば、ちゃんと細かく研究するためには決して無視してはいけない。スンナ派なんて一本で考えてはいけなくて、さまざまな法学派があるんだということも認識しなければいけないんですけれども、しかし大きく見れば、イスラムというものは一つの価値の体系、物の考え方の体系だと考えてよろしいかと思っております。
  それから最後の、これは小杉先生に対する御質問と共同の質問なんですが、イスラム社会というものといわばほかの社会との関係ですが、国民国家という国家組織を運営していこうという方々、それに責任を持っている人たち、つまり政治家であるとか行政官であるとかそういう方々、そういう人たちは明らかに国民国家というものを現代風に運営しなければいけない立場ですから、ほかの社会と多くの共通点を持っております。
  したがって、例えば外交官でありますとか、その他のいろんな経済官僚でありますとか、そういう方々は日本に来ても幾らでも同じ日本の立場の人と話ができるというそういう関係はあります。
  しかし、一方で、イスラムというものは国民国家を超えている存在なんですね。つまり、イスラム法というのは国家が定める法律ではありませんで神の意思に基づいておりますから、国家の枠組みにはとらわれていない、そういう意味では一種の国際法であるわけです。それに対して、十八世紀以来ヨーロッパ諸国が発展させてきた国際法、これとは全く性格が異なっている。したがって、この二つの国際法が決して一致することはあり得ないというふうに私は考えております。
  そういう意味では、ヨーロッパ中心の国際法とイスラム法というのは、かなり矛盾したというか、なかなか合致することができない。その辺がこれから世界にとってどういう、要するにヨーロッパ中心の国際法も変わらなきゃいけないし、イスラム法も変わらなきゃいけないというふうに私などは考えております。
  以上です。
○山崎力君 最初のところのあれで、簡単に私なりのあれなんですが、いや、私の質問したかったのは、いわゆる西洋の考えている、今の最後の質問と同じなんですが、いわゆる近代法、近代的な考え方というのは一神教であっても確かにベースにありますが、西洋の場合はそれを外れた形でやろうという、構築しようとした形が近代法体系であり、そして人間中心主義と言えるかもしれません。そして、それが国際法に反映されてきている。そういう意味で、日本人というのは非常に西欧の知識というものを、先ほどのキリスト教をカットした部分の知識に対しては非常にすんなりして理解したつもりにしていって、それがある意味では国際社会を動かす一つの国際法のベースにもなっていると思っているというふうな意味なんですが、やはりその点では、イスラム社会の考え方というのは、我々がなかなかキリスト教以上に理解しにくいものだというふうな形になっているということでよろしいのかというのが私の意図だったんですが、それでよろしゅうございますか。
○参考人(後藤明君) はい。まさにおっしゃるとおりだと思います。やはり、まだ神を中心とした社会秩序を考えているという点では、我々にとっては非常に理解しにくい点があるというふうに考えております。
○参考人(小杉泰君) イスラム世界が近代的な枠組みの中でどうつき合うのかという、対応できるのかということですけれども、私、三つ申し上げたいと思うんですが、一つは、近代的な国家体制というものを前提にして国際社会はつき合っていくんだということを言えば、まさにそういうようになっているんだろうと思います。
  というのは、イスラム諸国会議機構というのは、国連に加盟しているような主権国家がメンバーになっている国でございまして、それで、最初にイスラム諸国会議機構ができるときに、イスラム世界の中にはかなり反対があったわけですね。その最大の理由は、イスラム共同体というのは一つなんだから、それをこういう民族でいろんな国に分割するということがけしからないというのがあって、しかもそれを是認したままこういうふうに集まってイスラム諸国会議機構だと、むしろこれは分裂とか分断を固定するような性質を持つんではないかと、本当はそういう国の垣根を取り払うような形でイスラム世界の統一を図るべきなんだという、こういう論調がかなり強くございました。
  今は、理念的にはそういうことを言う人がいなくなったわけではないとは思いますけれども、基本的にイスラム諸国会議機構というものは、イスラム世界の中で受け入れられ、安定しておりますし、それから、国民国家を単位としたからといって、そのイスラムの協力、イスラムの連帯ができないということでは全然ないという認識になっておりますので、そういう意味ではむしろ、イスラムの協力のあり方もこういうような近代的な主権国家を前提とするということは定着していると思います。それが一点目です。
  二番目は、国際法を守るような形で彼らがちゃんとできるのかということなんですけれども、恐らくイスラム世界にそういう問いを投げたときに彼らが答える、一つは国際法を守れと彼らが言っているんだという、つまり典型的なのはパレスチナの問題だと思いますけれども、あるいはエルサレムの問題だと思いますけれども、軍事的な占領で人の領土をとることは許されないというのが国際法なんではないかと、こういう主張を彼らはしておりまして、それで、そのことを考えますと、私たち普通、今の国際社会のあり方というのは西洋近代的なものから発展したというふうに考えておりますけれども、イスラム世界あるいはもうちょっと広くアジア、アフリカと言ってもよろしいかもしれませんけれども、彼らの理解は少し違うわけですね。
  彼らの話を聞いていると、主権国家とかあるいは主権国家は平等であるとかいうようなことは確かに西洋で始まったけれども、西洋の列強、彼らは植民地体験を前提に話しますので、西洋の列強はそれを守らないというか、自分たちだけのものにしていったと。それをちゃんと実行して、我々にも独立を与えろということをやって、それでこれだけの国が独立して国際社会をつくるようになったのは自分たちの努力のせいではないかという、つまり理念としては近代的なものが西洋で生まれたのは間違いないですけれども、それを実行するようになったのは自分たちが頑張ってきたということも非常に大きいんだというふうに思っているわけですね。
  そこら辺の感覚からすると、国際法を守るのは当然だという主張が彼らの中にもあって、その中には、だから自分たちが主張しているような部分のところも国際法でやってもらいたいという、これが二番目のところで、それはですから、彼らの主張からすると、あるところでは国際法を守るけれども、あるところでは守らないという、ダブルスタンダードがあるという批判がありますけれども、そういうような言い方にもなるわけですね。そこのところは、ですから逆に言うと、彼らも国際法を非常に信奉しているし、むしろそれをより普遍的なものにするに当たっては貢献してきたんだという自負もあると。
  ところが、三番目の問題は、今申し上げたのとは違う部分でありまして、むしろ国際法にチャレンジする側面というのがあります。それはイスラム法というのが、先ほど申し上げましたようにイスラム法はもっと現代化しなきゃいけないという側面もありますけれども、少なくとも前近代においてはイスラム法というのは世界的な法として非常に有効に機能してきたと。むしろ国際法についても、かつてはイスラム世界の方が西洋よりも先進的だったんだというふうな、こういう自負がございますので、そうすると、いろんな共通する部分もたくさんあると思うんですが、やはり考え方において紛争になるような、対立するような側面もあって、そのときに今の国際法の方が正しいんで、イスラム的なものは時代おくれで間違いなんだと言っても納得しない部分というのはやはりあると思います。
  ですから、そこの主張では、彼らはやはりもう少しイスラム法、あるいはイスラム世界の主張を国際社会全体が取り入れてくれるべきだというような、場合によっては、だからそこが摩擦になるという面もあります。
  その三つの側面、現在の国家体制できちっといくというのと、国際法そのものを彼らがだからもっと執行してもらいたいという要求を持っている、三番目はむしろチャレンジする、こういう三つのものがまざり合っているのが現状ではないかというふうに思います。
○山崎力君 ありがとうございました。
(後略)