質問「イスラムの思想と経済などについて

(平成14年4月3日参議院国際問題に関する調査会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 自民党の山崎でございます。ありがとうございました。
  時間の関係で、質問の前提の考え方を述べてからというのが礼儀だと思いますが、そこは省かせていただいて、御賢察の上、三先生に以下の点についてお考えをお述べいただければと思います。
  今、私どもがやっておりますイスラムとの対話というテーマでございますが、これは御承知のとおり、九・一一が大きな影響があったということは否定できません。その意味で、私なりに考えているときに、いわゆるアラブのファンダメンタリストというんでしょうか、そういった人たちが西欧の近代化に対して対話を拒否したということが一番のあのときのショックではないかと。その拒否によって多大の悪影響が近代、我々の享受する近代文明、西欧文明に対して及ぼすことが明々白々となってしまったと。小さな摩擦では済まないということがあって、そのことにどう対応するかということが今世界的に問われている。その中で日本がどう動くかということで、今の一連のアフガニスタンを始めとする戦争、その前提といいますか、根底にあるパレスチナの問題というのもこれだけ悪化しているんではないかなというのが私なりの考え方です。
  そういった今のイスラムの原理主義者たちといいますか、それはいろいろ定義もあるんでしょうけれども、そのところで我々が今、一つの基本的な、教養というと言葉はおかしいんですが、知識としてイスラムを理解する上で、私なりに考えて疑問といいますか、どういうふうにしていかなければいけないか。
  おっしゃられたいろいろな点、うなずくところ多いんですが、そこは一つは、まずイスラムという名前があるように、宗教というものが日常生活のみならず政治の世界に影響の度合いが大きいと。要するに、私どもが日本の歴史でいう比叡山、織田信長の比叡山焼き打ちで日本は宗教からの政治の束縛を逃れたという評価があり、あるいはルネサンスからの近代哲学を始めとする、ニーチェの神は死んだではないんですが、そういった西欧的な脱宗教といいますか、祭政一致からの離脱といいますか、そういった、言葉を換えれば、近代法治国家というようなところがイスラム国家あるいはイスラム社会に欠けているんではないかと。
  あるいはそういう、欠けていないとすれば違った価値観の下のそういったものがある、そういった人たちと今我々が自然と身に付いてしまった宗教からの隔離といいますか、ギャップといいますか、言葉を換えれば、我々は人間が一番大切だということで社会を運営していると。人の命というものには代えられないものだ、これを最重点、最優先の政治課題であり、社会の基盤にしようとしているんですが、彼らはそれよりも、一人一人の人間の命よりももっと大切なものがあるんだという神という存在、アラーでも何でもいいんですけれども、そういった価値観の下の人たちとどう共存していくかということが、今回パレスチナの自爆テロというものも背景に、西欧社会においてはそこに対する不安感といいますか、危惧感が強まっている。それをどう対話で持っていくのかなというところの点が一つあるんではないかと。
  それと同時に、民衆レベルでいうと、西欧の民主主義社会というものが、多数決、民衆の意思を尊重するという考え方が、逆の面、先ほどの先生方のお話にも伺ってきまして出てきた部分ありますけれども、要するに、民衆が望んでいる、宗教的なことを望んでいると。国家間の約束、あるいはイランの米大使館の占拠事件なんかもありますけれども、そういった民衆の望んでいるものと国家間の約束事がギャップが生じたときに、近代のアラブ世界における民主主義の発達というものが、そこのところでどう調和を取るつもりなんだろうかというのが見えてこないということがございます。その辺のお考えと。
  それからもう一つ、いわゆるイスラム社会の近代化、西欧化というと、私どもの知識でいえば、第一次世界大戦後のトルコ、ケマル・アタチュルクのオスマン帝国崩壊後の国の在り方というもの、近代化、西欧化というものがあるわけですけれども、それがやはりイスラム社会のリーダーたり得なかったと。歴史的にもそういったリーダーになれない背景あったのかもしれませんが、そういった意味で、近代化、西欧化の一つのメルクマールである産業あるいは経済といったものが、今のグローバル経済、グローバル社会において、イスラム社会において成り立つ要素があるんだろうかないんだろうかと。もし、なければ、正に石油があるからこそ日本人は付き合っていたという、アラブじゃなくてアブラだという言葉もあったような形のことを、向こう側がそこの付き合える形の社会経済状況、そういったものを構築できるんだろうかという疑問がございます。
  その辺、こっちの一方的な見方でございますけれども、先生方のいろいろなお話はそのとおり受け入れたとしてという前提でその辺のところをお答え願えればと思います。順次お願いします。

○参考人(板垣雄三君) 非常に広範な問題についてのお話でありましたので、全面的にお答えするのはなかなか短い時間では困難なのですけれども、私は、考えておりますのは、先ほど来、他の参考人も言われたように、イスラムというのもいろいろなイスラムがあるという、そういう問題と関連いたしますが、九月十一日の事件の背後にあるというふうに一般に考えられている世に言う原理主義者、イスラム原理主義者と言われているような人々、これを私はイスラムの思想潮流の中で考えますと、著しく言わば西欧化した人々というふうに考えております。
  言わば、イスラムの、本来のイスラムからはかなり逸脱した人々だというふうに私は考えておりますが、先ほど申しました二分法というものを受け入れて、欧米対イスラムという、そういう欧米の側で設定した対立の構図、これを、それに乗っかって、欧米に対する対抗主義といいましょうか、そういうイスラムの立場を打ち立てようという、こういう人々で、これは西欧の論理に、言わば西欧のオリエンタリズムに同化した人々というふうに考えております。
  私の方で提出いたしました資料の2の六ページのところの真ん中より少し下のところに書いてございますが、私が考えておりますのは、イスラムのタウヒードという立場、これはイスラム教徒に、どのイスラム教徒でもよろしいんですが、イスラムとはそもそも、結局はどういうことなんですかということを尋ねれば、彼らの考えるイスラムというのはそれはタウヒードですという、こういう答えが一様に返ってくるわけですけれども、このタウヒードは、一つにすることとか、一と決めることとか、神の唯一性の信仰とかいうことなんですけれども、私は、徹底した多元主義的な普遍主義というふうに考えております。
  この宇宙万物の多様性、個別性、差異性、異なっていることですね、違っていること、そういうものを全部挙げていこうと。もう気も遠くなるようなことですけれども、そういうことを考えて一つ一つの違いというものを見ていくと、結局、最後のところでそれを一つにまとめる。世界、万物を作った神という、一という、究極の一という存在で、そこでその多様性が一つにまとまるんだという、こういう考え方ですね。これが言わばそういう二項対立的な、二分法的な立場とは違うイスラムの本来の立場ではないか。
  先ほど申しました六ページの真ん中より下のところに、人類の共倒れを避けるために必須の課題として二点を挙げました。覇権的グローバリズムに対して多元主義的な多文化共生というものを強めていくという、これが非常に重要な我々の課題であり、その観点からもイスラム文明のタウヒードの、今言いましたそういう多元主義的普遍主義の本来の論理を、それをスーパーモダン原理として活性化するという、イスラム世界の中の本来のタウヒードの力というものを再活性化するように我々もそれに協力するという、こういうことが非常に重要だというふうに考えております。
  したがって、現在言われているような対決主義的なイスラムだけがイスラムではないと、これをはっきりと見分けることが重要である、しかもそちらの方が多数派であるということですね。
  それから、自爆テロの問題は、これは実際には最近になって起こってきたというような問題として考えるよりは、一九四八年、イスラエルという国が作られて、そこでそこに住んでいた人々が言わば追い出されるという、こういうことになったこの半世紀を超える問題。そしてさらには、一九六七年の六日戦争以降の、それも三十五年になんなんとする軍事占領というそういう状況、そういうものが積もり積もってとうとう最後にこういう形になってきているということであって、この自爆テロをイスラムの問題につなげてだけ理解するということは難しいと思います。現実に、パレスチナ人はイスラム教徒ばかりではありません。今、自爆をしているような人たちもクリスチャンもいるわけです。ですから、これをイスラムの問題にだけつなげるという理解は間違っております。
  それから最後に、イスラム経済の問題ですけれども、現在のグローバル経済に適応できるのかということですが、イスラム経済論というのはいろいろな角度から今、むしろこれから新しい世界の経済の問題を考えるところで今見直されております。パートナーシップの経済とか、それからPLSという利子なしの経済と関係いたしますけれども、損益分担方式というそういう考え方とか、それから現在日本でも、例えば生協などの関係の人たちが盛んにマイクロ金融なんかのところでイスラム経済の問題、勉強をしようとしておりますが、いろんな意味でむしろより新しい段階の世界の経済というものに対してイスラム経済論というものが持っている可能性というものをまた認識する必要もあるのではないか。決して、そういう非常に時代後れの、何といいますか、イスラムというそういうふうな次元でだけで見ているわけにはいかないというふうに考えております。
○参考人(大塚和夫君) 私の方も大変いろんなところにわたった質問ですので、恐らく二点か三点にだけ焦点を絞ってお話しさせていただきます。
  まず、原理主義者、括弧付きですけれども、それが近代を拒否したというお話になりますけれども、私が今日お話ししたことは、基本的に原理主義者と呼ばれている人たちも……
○山崎力君 いや、近代性を拒否したという問題じゃなくて、近代性との対話を拒否したというふうに私は質問したんです。
○参考人(大塚和夫君) 近代性との対話。逆に、じゃこういうふうにしましょう。そこでもおっしゃっている近代性とは何かという問題に話を展開していきたいと思います。
  近代性イコール西洋性イコール世俗性というのが我々の常識に近いものだと思いますけれども、その考え方自体を考える、考え直すべきであるというのは私の基本的な立場になっております。先ほど、近代化とか西洋化というものがほぼイコールで御質問の中にあったと思いますけれども、それをばらして考えてみよう、そうしなければその近代、近代なるものも、それから西洋なるものも我々には理解できない、というか、これからの世界の動きということを考える場合にはそれを区別しながら考えていかなければならないというのは私の基本的なスタンスです。
  さらに、そこでその近代化、それが最後の方の御質問、いわゆる産業的なもの、それから経済発展等々というものが、イスラム世界がそれから取り残されているというか、そういうような話とも実はつながってくるんですけれども、そもそも産業化とかそういう要素を考えていきますと、これはイスラム世界が取り残されているという話ではないと私は考えております。つまり、もっとグローバルに考えた上での世界における経済構造の問題であり、たまたまイスラム世界と申しましても、恐らくそこで念頭に置かれているのは中東の世界だと思いますけれども、また中東でも産油国と非産油国によって大変な経済格差がございます。
  そういう部分を考えていきますと、つまりこの経済、世界的に経済格差が広がっている、たまたまそこでイスラム世界のかなり、若しくはイスラム諸国のかなりの国家がその下の方に位置付けられている。そんなことを申し上げますと、例えばサハラ以南アフリカの諸国の経済の問題になると、別にあれはイスラム諸国じゃありません。じゃないところが多いです。それなどはもっと、例えばエジプトとかなどと比べるともっと悲惨な状態になっております。そういう構造の中で、イスラム世界のある部分がそういう位置付けになっている。
  逆に言いますと、私の資料、お配りした資料で説明しなかったんですけれども、地図をちょっと載せておきましたけれども、世界でイスラム教徒がどういう形で分布しているかということなんですけれども、世界での国民国家のレベルで考えますと、イスラム教徒が一番多いのはインドネシアです。インドネシアもかつてNIESとかNICSとかという形で言われ、しかしアジア金融危機という形で、またそれ以降の政治的な様々な動きの中で経済は、何といいましょうか、停滞しておりますけれども、必ずしもイスラム社会だからその産業化、工業化に遅れたという説明の仕方は、私は正しくはないだろうと。逆に、世界の産業化、経済構造というものは何かということを考えた上で、その中でイスラムという地域が若しくはイスラム諸国若しくはムスリムがマジョリティーである地域がどういう位置になっているかということで考えていくべきだろうと考えております。
  さらに、もう一点だけ申し上げますと、御質問は恐らく宗教が政治に影響する点が多いというお話ですけれども、これは正に近代的と申しますよりも、実は梶田先生のところで、ヨーロッパにおいても若しくは西洋においても、様々な宗教と政治の関係には様々なものがあるというお話があったと思います。むしろ、我々が一つのイメージとして持っているのはフランス型の公的な領域に宗教、具体的にはこれキリスト教の教会の影響力を公的な領域から排除するという形の政教分離の一つのパターンがありまして、そういうようなものを一つのモデルにしている。確かに、戦後日本というものは、戦前における国家神道ってどう考えるかは別としまして、戦後日本というのはそういうモデルというものを一つの前提に置いております。
  しかし、じゃ政教分離というものが、先進国だけに限った上でもすべてその政教分離の原則というものが貫徹しているか、私は疑問に思います。具体例を申し上げますと、九・一一以降のアメリカ合衆国における愛国心の高揚というものがどれだけ宗教的なファクターが絡んでいたか、果たしてああいう意味でアメリカ合衆国というものが完全な政教分離の国家であるかどうかということに関しては、もう一回この問題も考えてみなければならないと思っています。
  一応、まだ幾つかありますけれども、時間がありませんので、これで。
○参考人(梶田孝道君) 私のフィールドでは必ずしもないので、正面からお答えする能力がありませんということを最初にお断りしておきます。
  その上でですけれども、イスラム経済とグローバル化ということについては、これは私は分かりません。EUが統合進行して、EUにおいて統合が進行していますけれども、これ自体がグローバリゼーションの一部だというふうに私は思います。
  そういう意味では、日本では、規制緩和というのはディレギュレーション、英語ではそう言いますけれども、ヨーロッパの場合、そういうディレギュレーションの側面と、それからリレギュレーションというか再度、統合、規制をするというか、そういうものを兼ね備えたものだろうというふうに思います。そういった、EUと北アフリカ諸国が経済的に自由貿易地域をこれから結んだりとか、そういった協議等々は行われておりますけれども、それ以上のことについては私は分かりません。
  それから、やはり、これは門外漢ですけれども、イスラム自体が複数であるということですね。平和なイスラムということを主張する人たちがいる一方で、そうでない人たちもいるということが事実だというふうに思います。問題なのは、その現状を統御する主体がないということだと思います。それは私はもう素直に認めざるを得ないというふうに思います。ただし、今日お話ししましたヨーロッパのイスラムに限りますと、こういったイスラム原理主義と言われる潮流あるいは現象はほとんどない、あるいは非常に少ないだろうというふうに思います。そういう意味で、やはり地域性がかなりあるということは認めざるを得ないということです。
  それから、政治と宗教の問題は、これはもう本当に難しい問題で簡単にはいかないんですけれども、先ほどフランス型というような話がありましたけれども、実に様々なケースがあります。
  今、大塚委員がおっしゃいましたように、公的領域には宗教を一切持ち込まない、私的領域においてのみ認めるというようなフランス型があります。こういった形にフランスのムスリムを押さえ込むことができるかどうかということが実は大きな論争になっています。それ自体が学問的にもあるいは政治的にも非常に大きな問題であって、即座に答えが出る問題ではないというふうに思います。
  他方、それとは対極的に、オランダのようにあらゆる宗派に対して対等な、等距離の対等な対応をするというような、これも何というか、別の意味での政教分離なんですけれども、こういったタイプもあるというふうに思います。
  ちょっとだけ付け加えたいと思いますけれども、大部分の人たちは、フランス、たまたま私の関心のある領域の一つがフランスなんですけれども、フランス語でアラブを逆さ読みするとブールというふうになるんですけれども、梶田というのを逆さ読みするとタジカになるという、こういうようなものなんですけれども、これはブールという言葉自体が本人たちが使っている、ムスリム系の第二世代が使っている言葉です。ある意味で自嘲的に、ある意味で、何というか斜に構えてというか、そういうものなんですけれども、そういうところに一つの、何というか第二世代の姿勢が現れているんじゃないかなというふうに思います。
  もちろん、こういったブール世代の中から、たまにではありますけれども、過激な原理主義と言われている潮流に参加する人間がいないわけではもちろんありません。しかし、大部分においてはそうではないということが現実だろうというふうに思います。
  ブールという言葉がありますけれども、それをもじってブールジョワジー、ブールとブルジョワジーを足して作った言葉ですけれども、そういった言葉が登場するほどある面では新しい世代のリーダーたちも登場しているということです。
  直接の答えにはなっていませんけれども、私のフィールドで言えることはその程度のことです。
(後略)