質問「イスラム社会との付き合い方について

(平成16年2月16日参議院国際問題に関する調査会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 自民党の山崎でございます。
  いろいろお話、三参考人の方々、ありがとうございました。それぞれごもっともと言うと非常に失礼な言い方ですけれども、納得できるお話だったと思います。
  ただ、私個人のこれは感想なんですが、一言で言えば、そうなんでしょうね、だけれどもどうなのよといいますか、どうしたらいいのよという疑問が日本として残るという内容でございます。
  というのは、私どもが、共通していると思いますが、イスラム社会との付き合い方というよりは、むしろもっと端的に言えば、一神教の価値観を持った人たちとの付き合い方をどうしたらいいのかということが、キリスト教と、長い間といってもせいぜい百数十年ですけれども、その考え方、価値観が一神教の考え方だというふうな形で来て、それがそうでもないんだというのが分かったのがつい最近と。で、どうするということが、申し訳ないんですが、参考人の方々の話から余り見えてこない。そこのところがしっかりしないと、私自身、だからこれでいけばいいんだといったところになかなか方向性が見えてこないと、こういう気持ちを持っていますので、その辺のところを中心に御回答願えればと思います。
  まず、発言された方と逆になりますが、発言順でいった方がいいかな、それじゃまず長参考人にお尋ねしたいんですが、要するに、NGOのいろいろな問題ございますけれども、例えばイラクの問題、あるいはアフガニスタンでも結構ですが、このNGO自体に伴ういろいろな難しいこと、これすなわち軍との絡みというものもおっしゃっていましたけれども、そうではなくて、イスラム社会に対してのNGOとしての難しさというものですね。それから、そこのところでの政府、あるいはそこに介入してきている外国の実力組織、軍というようなもの、これはほとんど、キリスト教がほとんどでございますから、そういった中での難しさと、そしてその中で、ある種、仏教、神道、そういった形での一神教でない日本人としてのアイデンティティーの持ち方といいますか、そういったものがどうマッチングするんだろうと。逆に言えば、日本国内の人にその辺のところをどう説明したらいいのかということを教えていただきたいと思います。
  それから、津守教授にお願いしたいんですが、いろいろな湾岸のことがございましたけれども、おっしゃっていた部分あるんですが、いわゆる実力組織、具体的に言えばアメリカ・プラス・イギリス・プラスどこかということなんですが、そういう軍抜きでいろいろな安全保障の枠組みが可能なのかということでございます。さっきもおっしゃっておられたように、何というんでしょう、そういった中では、抜きで、オブザーバーでやっぱり入れなきゃいかぬということをおっしゃっていましたが、そういった中で、そこのところが入ればどうしても実力組織のたがというものが必要だということにもなりかねませんし、そこに日本がリーダーシップを持つということが、イラク、クウェートのバックでということは、それがリーダーシップと言えるのかと。確かに外交テクニックとしてはいいかもしれないけれども、日本の国民としてそういうふうなことがリーダーシップを取ったというふうに外交を見ることができるのかという基本的な疑問を感じました。
  最後に、茂田参考人でございますけれども、これはほかの参考人の方々にもそうなんですが、すべての何かするといったときに、十分御存じだと思いますけれども、このテロといいますか、イスラムの大義というものに基づいた、少数派であろうともその実行に対してイスラム教徒としてそれをストップ掛けれないと。せいぜい反対だと言って、そういうふうな暴力的なことは反対だと言うけれども、それを体を張ってというか、実力でそれを阻止することがイスラム教徒として果たしてできるんだろうかという根本的な疑問がございます。
  ということで、私、最後の方で結論的に言わせていただければ、このイスラム社会との付き合い方というのは、非常に日本としては、おずおずとといいますか、消極的な方がいいんじゃないか。もっと端的に言うと、身近な北朝鮮あるいは東アジアの安全保障、そういったものに日本がしっかりとしたことを考えて実行するかどうか分からぬときに、幾ら油のためといいましても、そこのところだけでいけば、正に金のために介入しているとしか思えないという気持ちの部分、逆にそういう気持ちを持っている。
  そして、今回のイラクへの派遣の問題も、自衛隊の派遣の問題も、一言で言えば、その北朝鮮の問題と、アメリカに対して、自分たちもそれなりのことをしているんだよという、同盟国としての最低限度のことをやるんだという、皆様方の考えている、アメリカに物申す、日本がリーダーシップを何かのために取ると、取れるような基礎固めをするために派遣したんじゃないのかなと、そういう国益を考えていたんじゃないのかなと。その辺は説明はしていないとは思いますけれども、そういうふうな感覚で私思っておりますので、その辺に対しての御意見もあればお答え願いたいと思います。

○参考人(長有紀枝君) 山崎先生の御質問、どこまでお答えできるか分かりませんが、私見を述べさせていただきます。
  日本のNGOがイスラム社会、特にアフガニスタンで働く場合にやはり一番念頭に置かなければいけないのは、イスラム教と、それから女性という問題です。欧米のNGOもそういう面が多々あるかもしれませんが、日本のNGOの場合、やはり女性が圧倒的に多うございます。これまでの様々な現場ですと、女性だけが現場に出るとか、女性だけのチームというのが十分成り立つ場合も多うございましたが、イスラム社会においては、女性だけで行っても一切お仕事はすることができません。まず、政府関係者など相手が男性の場合には、一切会っていただくこともできないですし、ですので、まず、女性、それと女性一人では、イスラム社会、歩くことさえできない。場合によっては、一人で歩いていますと、もう私はだれの庇護も受けていないフリーな立場だから何をされてもいいというような意思表示になりまして、実際、ちょっと道端を横切っただけでも体を触られたり、ぴたっと付いてくる男性がいたり、そういうような状況で、そこで働く女性陣のストレスも大変なものでございます。
  そうすると、必ず男女ペアでなければいけない。小さいNGOなどでは複数の男女をペアで出すというのは大変難しい問題がございます。かといって、男性だけでいいかといいますと、女性に対する支援の場合は、これは完全に女性でないとできないわけですから、必ず男性、女性出すということがイスラム特有の必須条件になるかと思います。
  それからまた宗教に関連してですが、なかなかイスラム教あるいはイスラム社会の専門家をNGOの職員として現地に出すわけではございませんので、NGO職員にとってもイスラムというのは初めての経験でございます。どこに行っても、例えばお茶を一杯飲むにしても出てくるのは全部男性で、女性というのは不可侵といいますか、顔を見てもいけない。仲のいい友達であっても奥さんは紹介してもらえないと。そういう中で、何か女性に対することで問題を起こしてしまうと、命がねらわれるような場合もありますし、場合によってはその団体自体が撤退しなければならないような場合にもなると。実際、そういうことが起きた団体も聞いております。これは女性の問題だけではありませんが、イスラム教に対する冒涜などがあった場合も同じでございます。そういったことに対する知識といいますか、そういったものが必要になるのではないかと思います。
  もう一つ、アフガニスタンなどで難しいのは、やはり二十代、三十代、場合によっては四十代の日本人の男性、女性が行くわけですが、人生経験、これまでの艱難辛苦という面からいきますと、アフガニスタンの職員、現地の方の方が大変な困難を今までなめてきたわけですので、相手の方が一枚も二枚も三枚も上手といいますか、そういう意味で、なかなか全員をまとめていくのが難しかったり、あるいは金銭的な面でも苦労するような場合も多々ございます。
  そういった中で、やはりそれでもなお日本のNGOとして強みがあるかなと思いますのは、やはり宗教的な側面といいますか、社会的なバックグラウンドといいますか、日本人が一神教とは比較的無縁であったがゆえに、キリスト教的、西欧的な考えですと善悪両極端に判断するような場合があるときに、その中庸で灰色の部分というのが理解できるのが日本人の強みではないかと思っております。これが、現地でとにかく二極化されてしまうような構造の中で、どちらかが善、どちらかが悪というのではなくて、両方の意見を考え、聞けていけるという部分が日本人の強みであり、日本のNGOの特性にもなっていくのではないかと思っております。
  以上です。
○参考人(津守滋君) もっともな御指摘をいただきましたが、まず第一点、単なる話のための場を作るだけでは安全保障は確保できない、実力が必要じゃないか、全くおっしゃるとおりであります。
  これは、正にアジアにおきましてはアメリカがハブ、それから日米、米韓、こういうのがスポーク、ハブ・アンド・スポーク・システムと言われておりますが、これを補完する形でARFというのがあって、ARFは決してそういうハブ・アンド・スポーク・システムに代替するものでない。同じことが中東についても言えるわけでありまして、申し上げましたように、やはりアメリカのプレゼンスというのは最低必要だろうと思うんです。ただ、それだけではうまくいかないんではないかと。それを補完する、補強するシステムとしてその新しい枠組みが必要じゃないかということでございます。
  それから第二点の、日本がイニシアチブを取るといっても余り大した意味はないんではないかというような御指摘だったように思いますが、これは私はやっぱり、イラン要素をさっき申し上げましたが、これは大変重要だろうと思うんですね。イランが参加しないとこれはできないんです。ところが、イランとアメリカは今の状況からいいましてとても話す状況にはない。ここに私は日本の出番があるというふうに考えるわけです。それは、さっき申し上げた日本外交の非常に大きなアセットとしてまず評価する必要があって、対イラン外交をですね、これをフルに利用するということではないかと思います。別に、そういうものを作ったからといって、日本がそこに軍隊を派遣してその軍事的なプレゼンスを確保するという話は、もちろん憲法上もできませんし、そういうことではございません。
  それから、イスラムというものの非常に大きな問題提起をなされたわけで、私はとてもそういう文明論できる立場にありませんが、二年間クウェートにおりまして感じましたことは、ちょうどハタミ大統領が文明間の対話というのを唱えた時期でありまして、いろんな考えの違いを克服して、あるいは克服しなくても対話を進めようというムードが広がったわけですね。
  それで、その際よく出てくる言葉は、ヒンズー、インドの昔の賢人が、真理は一つだと、賢者はそれを様々に説くと。これはしょっちゅう出てくるんです、つい最近の宗教学会の東京での会議でもそれは出てきましたが。要するに、釈迦にしろマホメットにしろキリストにしろ、あるいはモーゼにしろ、言っていることは結局同じだというふうな見方がイスラム社会にもあるわけですね。ですから、一神教だ多神教だということは余り区別して言う必要はないんじゃないかと、これは全く私の私見でございますけれども、そういう感じがします。
  特に、クウェートの知識人は、非常に指摘してきたのは、日本とイスラムというのはいつもヨーロッパを通して間接的にしか接触がなかったと、これからは直接の接触をしたいということをしょっちゅう言っていました。実は、明治の後、日露戦争で日本が一応の勝利を収めた後、イスラム社会が一斉に日本に顔を向けたんですね。そのときに、むしろイスラム教を日本に取り入れてもらいたいということでいろんな形で働き掛けがあって、そういう意味ではイスラム社会においては日本に対する親近感というのはかなり伝統的に根強いものがあるというふうに考えています。
  非常に卑近な例であれなんですが、クウェートには日本人が二百五十人しかいません。しかし、一割は、日本人女性が、クウェート人と結婚した日本人女性なんです。すべてうまくいっています。これは、ドイツ人と結婚する日本女性というのはうまくいかないんですけれども、いかないケースが間々あるんですが、クウェート人と結婚した日本女性は全部離婚せずうまくいっているんですね。というようなこと、極めて卑近な例でございますが。
○参考人(茂田宏君) 会長、どうもありがとうございます。
  山崎先生の問題提起は大変大きくてなかなか答えにくいんですけれども、最後の方の部分からちょっと話していきますと、日本にとって、東アジアでの安全保障問題、北朝鮮問題、これがイラク、中東の問題より優先度が高いというのはそのとおりです。したがって、その件については我々真剣に取り組まなきゃなりませんけれども、だからといって中東でおずおずする必要もないのではないかという気がします。私は、中東で日本が言うべきことというのは、それはあれば言っていったらいいだろうというふうに思います。
  それから、対イラクとの問題についての一番我々が払うべき大きな考慮というのは対米協力じゃないかという御指摘がございましたが、それはそのとおりだと思います。対米協力するためにあそこに行ったということだと思いますし、それはそういう判断でいいのだろうというふうに思います。
  それから第二点目は、テロのことに触れまして、山崎先生、イスラム教徒はテロリストと闘っていないのではないかというふうな趣旨の御発言がございましたけれども、それはそういうことはないというふうに言いたいと思いますですね。エジプトの政権は、イスラム教ジハード、ジハード団、イスラム集団に大変強い弾圧を加えてきました。シリアも、イスラム過激派に対しては大変きつい対応をしてきたということで、イスラム諸国もこのテロ集団というものに対しては大変厳しい姿勢を取ってきたということだと思います。
  その中で、スーダン、一時期のスーダンそれからついこの間までのアフガニスタン等でアルカイダ等が活躍していたわけですけれども、イスラム諸国がテロについて、それをストップするのに十分な役割を果たさなかったということでは必ずしもない。ただ、非常に難しい問題であるということが言えるかと思います。
  そして三点目、一神教の問題と日本のような、日本の神道ですとか仏教とかの関係ですけれども、これについては、日本のような考え方というのは非常に寛容だから、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の間に立って対話の促進に役立つのではないかというふうな意見がございますけれども、一神教の人から見ますと、多神教の人というのは価値観がない人だというふうに考えておりまして、基本的には敵対的な感情を持っているということです。したがって、自分は仏教徒であって、いろんな価値を信じているんだと、したがってあなた方我々の意見も聞いてみたらどうですかというような意見は、一神教の信徒にとっては余り説得力はないということです。
  したがって、私は、この一神教と多神教の問題については、これはそういうものとして存在しているということを前提として考えていくべきで、どちらがどちらに影響を与えるというようなことを考えていくことをやりますと非常に大きな問題を引き起こすだろうというふうに考えます。
  それから、日本国が中東等で果たし得る役割というのは限られているのではないかという御指摘については、そのとおりです。その限られている中でも、やることはあるのかなというふうに思っております。
  以上でございます。
○山崎力君 済みません。ちょっとあの、今……
○会長(関谷勝嗣君) 山崎さんから再質問の御要望があるんでございますが、今日は質問のお申出の方が大勢いらっしゃいますので、本来では止めたいんですけれども、許しましょうか。
  では、短く、どうぞ。
○山崎力君 今の私の聞き方が悪かったのかもしれませんが、テロとの問題、アラブの大義を持ち出したのは、国家が、そういうテロリストに対して行政府がやったというのは、シリアでもやったことも知っています。ただ、私の、このときで言っているのは、いわゆる宗教指導者、民間に対しての、物すごく一般の人に対しての大きな影響力を持つ人たちが、あれを止めろと、あれをやっつけろというようなことはほとんど言っていないし、むしろ黙認しているような発言の方が多い。それに対して、政府その他も強くそういった人たちを取り締まっていないではないか、そういう意味で、結局黙認した形である種野放しに近いような活動を許している部分があるのではないかと、その辺のところをお伺いしたかったわけでございます。
○参考人(茂田宏君) よろしいですか。
  私は、山崎先生言ったのは大体そのとおりだと思います。イスラム宗教界がもう少しオサマ・ビンラーディンなんかが主張しているイスラムの解釈について発言すべきだと思うんです。それがなされていないということは、そのとおりだと思います。
  タンタウィさんというアズハール・モスクの総長さんがいますけれども、この人がエジプト政府の意を体して少し発言をしております。しかし、それ以外の宗教指導者が、大衆との関係を考慮しているのかどうか分かりませんけれども、はっきりした発言をしていないというのは御指摘のとおりだと思います。それをどうすれば是正できるのかはよく分かりませんけれども、事実としてはそういうことがあるということだと思います。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。

(後略)