質問「イスラム教社会について

(平成16年4月14日参議院国際問題に関する調査会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 今度のイスラム問題、もう正にホットな問題でございまして、いろいろな角度から勉強しなければいけないと思うんですが、私個人の体験的なものからお話しして、主に外務省の文化交流部長が担当になるかと思いますが、その辺のところでお話し願えればと思いますが。
  実は私、若い、学生になるかならないかだと思いますが、世の中に宗教裁判所というものがあるということを聞きまして、何じゃこれは、中世の時代ではあるまいしと。イスラム社会に多いということなんですが、それで物知りが、これは必要なものなんだと。ああいう社会、価値観の多様化している、宗教上の価値観の多様化しているところは同じ、同種の行為でも信仰する宗教で裁判の形態が違ってくると。簡単に言えば、婚姻についても、キリスト教は重婚はこれは違反ですけれども、イスラム教にとってはこれは、もちろん男性が一人、女性が四人までという、それは違反にならぬ。同じ行為でもそういうふうなことがあるんだと。これは一種の日本でいう家庭裁判所のようなものであるということを聞いて、おおというふうに思った記憶があるんですが、このことは、我々が戦後教育の中で教わってきた普遍の価値というもの、法治主義であるとか生命、財産の尊重、もちろんそういったこともあるんですが、そういったものと同時に、平等といった中で、万人平等の法の下の平等ではないということの、そういう社会もあり得るんだというこれは一つの例だと思うんですね。
  そこで、一番戦後の中で我々からドロップしているものは、ある種宗教であると。そして、いわゆる戦後、もちろんこれは明治以降戦前からですが、西欧近代化の下に我々が教え込まれてきたと表現していいと思うんですが、まず生命、財産、生命が第一の価値であるというものを否定する価値観の宗教といいますか、考え方があると。もちろん重大だけれども、命よりも大事なものがあるんだと。そういった、それが今現実の問題としてこの我々の西欧社会の価値観に突き付けられているんではないかと。
  もっとも、そのことを教えたのは日本人であるという、スーサイドアタックにしろ、そういった形にしろ、すべて日本人が第二次世界大戦並びにテルアビブのロッド空港での赤軍派といいますか、そういった人たちの行動で触発したんだという、極めて我々にとって人ごとでない関係があることも認めた上ですが。
  そこでお尋ねしたいのは、そういったイスラム社会、アラブ社会と我が国日本、そしてその一番の現場におられる外務省職員、広く言えば国民に対して、そのことに対しての広い意味での教育ですね、教養を深める手段、いろいろな一連のあの報道もありますけれども、そのことについて何らかの対応を取らにゃいかぬのじゃないのかな、今のままではよろしくないといいますか、深まらぬのじゃないかと。
  翻って考えると、我々は本当に、この中でいらっしゃるかどうか分かりませんが、キリスト教という西欧文明の根本規範になっている、いい意味でも悪い意味でもですが、その一神教の世界、価値観というもの、このことも本当に分かった上で付き合いをしているんだろうかという反省。それが極端といいますか、キリスト教の方が我々に近いことは間違いないんですが、その向こうに同じような考え方の価値観の宗教があると。イスラム原理主義があると同時にキリスト教の原理主義もあるんだと言われれば、確かにそういった面は分かるわけですが、その辺、職員教育、教養を深める部分と同時に、それを国民に対して、これは外務省の責任ではないのかもしれません、これは文部省の方になるかもしれないけれども、これは宗教教育を公教育でどうするかという大問題が別にございますけれども、その辺のところを含めてお考えをお示し願えればと思います。

○政府参考人(近藤誠一君) お答えをいたします。
○会長(関谷勝嗣君) 近藤文化交流部長、指名をしてから御答弁を願います。
○政府参考人(近藤誠一君) 失礼いたしました。
  山崎委員御指摘のとおり、この数年、とりわけ宗教の違い、宗教に基づく価値観の違いといったことが国際的にいろいろな紛争や誤解を招いているということはございます。
  戦後の日本は、どちらかといえば経済復興ということに専念をしてまいりましたが、やがて世界の大きなパワーとなって、これからの国際秩序、国際的な正義に貢献をしていくという立場になったときに、これからは経済面での援助に加えて、そういう精神面での援助、あるいは日本的な多様な価値観を受け入れるという精神文化を広めていくということが必要であるというふうに感じております。
  その一環として、やはり日本国民の方々にいろいろな宗教、いろいろな考え方があるということを一層分かっていただくと同時に、日本がこれまで長い歴史の中でいろいろな多様な文化、文明を吸収して、それを糧として発展をしてきた、そういう経験についても諸外国の方々に知っていただくという、そういう意味で、広い意味で文化交流という手段を通じてこの理解を深めるということをやっていくことが必要だろうと思います。
  教育そのものは文部科学省の役割でございますが、いろいろな文化の交流によって双方にそういう意識を芽生えさせ、そして実体験としていろんな価値観があるということを分かってもらうということで、外務省としましては、今後、文化交流を一層進めていきたいと考えております。
  最近、文明間対話ということがよく言われております。私どもとしましても、単に日本とアラブの対話だけではなくて、キリスト教社会あるいは儒教社会、ヒンドゥ社会、そういった様々な文化、文明の方々の間の真摯な対話を進めていくということにも力を入れていきたいと思っております。
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
(中略)
○山崎力君 ちょっと時間があるようですので、私からも意見を述べさせていただきたいと思いますが、若干皆様方と私個人との感覚が違いまして、分析の部分もあろうかと思うんですが、今の現時点で我々が一番感じなければいけない、これだけのトラブルの一つの要因となっているイスラム教社会というところの最大のネックといいますか、我々にとってネックは何かといえば、いわゆるセプテンバーイレブンの攻撃から始まったのが一番、まあいろいろ問題があったにしろ、そこのところから世界的に注目を浴びたわけですけれども、そこのところで彼らテロリスト、テロリズムはこれは絶対許せないと世界じゅうの国家が言っているわけです。ところが、イスラム社会自体が、彼らテロリストを絶対に排除しなければ世界の中で我々イスラム社会が今後共存していけないのだと、西欧社会、ほかの国の社会と共存していけないのだという確固たる表明あるいは行動が期待できるかと。そこに私は一番の問題があるというふうに思っております。
  あのときにヨルダンの一般大衆が狂喜乱舞した報道をヨルダン政府が懸命になって広まらないように抑えた。しかもほかの、それがヨルダン一国ではなくてほかのいろいろな国にあった。イスラム社会が西欧文明、今の世界、グローバルスタンダードになっているアメリカを中心とした西欧文明、世界経済、そういったものに対して我々が疎外されているということが基本にあるのは明らかですし、そしてそれが、そういったものを支えるのが彼らの伝統的な部族制であり家父長制であり、法治国家的な近代国家でない、そういったものにある。
  それに対して、いわゆるキリスト教原理主義かどうか、適当かしれない、私には分かりませんが、アメリカがそれに対して、そのような体制の国家とは共存できない、国家とか社会とは共存できない、よって戦争でもって彼らと対峙するんだという、基本的にはもう明らかな利害関係、利害関係というよりも気持ちのうちでの対立軸を持った衝突が今行われているんだというふうに私は考えるわけです。
  その間に立って、共生だ、共存だ、日本のできる役割はあるはずだと。それはあるかもしれません。しかし、それを大上段に振りかぶって彼らの間に入っていくということは、国連の問題一つを取ってみても、アメリカが、もうやめた、新たなモンロー主義だ、みんな、イラク国民も引けと言っている、国際社会も引けと言っている、だから私たち軍隊を引きましょう、あと反対していた人たちがやってください、その代わりテロがそこから起きたら容赦しませんよと。そこに原因があったらそのことを間接的な国家に対しては我々は容赦しない対応を取ると言われたときに、国連はどう対応できるでしょうか。フランス、ドイツ、ロシアで、アメリカと同じような制度の軍隊を派遣して、イラクの民衆の期待にこたえた統治協議会なり、そういった政体を私は打ち上げれるとは思えない。もういかにアメリカがわがままであり勝手であったとしても、アメリカの顔を立てながら、アメリカの協力を得るようにしながら、いい意味での誘導をするのが精一杯であると。私は、これは日本だけでなくて国際社会全体がそうだというふうに思っております。
  それで、もう一点そこで付け加えるならば、もっと私は長い目で深刻なのは、あのセプテンバーイレブンの、これは前にも言ったかもしれませんが、テロリストたちがペンタゴンとかアメリカ議会に突入したのならば私はある種理解できるものがあります。ところが、彼らがねらったのはワールド・トレード・センターなんです。世界貿易の中心なんです。民間の施設なんです。そして、彼らがやろうとしている、ねらったことを、壊そうとしていたとすれば、これは象徴されるのは、今のグローバル経済、要するに金融を中心とした、物を生産しない、そういった経済システムにイスラムの社会が価値観として乗ってこれない。彼らの金融というのは、利子というものが近代資本主義の基本である、時は金なりという、利子という概念を排除するところにイスラムの教えの特徴があると聞いております。そういったもので、物も作らない、金の支配で、それで世界経済を動かし、世界を支配しようとする、そういう価値観、我々も知らず知らずのうちにそこに巻き込まれている価値観にイスラム原理主義の人たちが反感を持ったとしたら、それをどう説得するんでしょうか。
  その犠牲者で、一番弱いところにある子供や女性たちが被害を受けているというのも分かります。しかし、我々日本人として一番教訓としなければいけないのは、我々のやったことはやったこととして、アメリカが広島と長崎に原爆を落とし、あるいは、それだけでない、ドイツにおいてはドレスデンの大空襲をして一般民衆を根こそぎ殺すジェノサイド爆撃をしながら、そのことが、我々が先に手を出したという下に戦後の国際社会はドイツも日本も敵国条項にほうり込まれたまんまだと。そういったままの国際連合、国際社会に対して我々はどういう気持ちでそういった歴史的な背景でそれぞれの陣営に対して仲立ち、仲裁ができるのかと。そこの理論構成ないし自分たちの覚悟がよほどのものでなければならないと思う。
  ということを考えて、私はその辺の議論を、納得する考え方を知らない、あるいは聞いていない、不勉強なので聞いていないかもしれませんが、そういった話がはっきりしない以上、できるだけ我々はできる範囲で静かに、最低限と言っては言い過ぎで、できる範囲の中での自分たちの、言葉が悪くなりますが、分をわきまえた上での最大限の協力というものを国際社会にしていく程度が限界、現時点では限界ではないかと。
  これは、イスラムのこの問題が一番そこのところを、我々の分かったようで、以心伝心、日本国民だけ分かったようなところだけでそういう議論をしているということが限界であるということを今回のイスラム問題の勉強というのは教えてくれたんではないかなというふうに思っております。

(後略)