質問「国民の意識と憲法改正について

(平成16年5月12日参議院憲法調査会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 自由民主党の山崎力でございます。
  三先生方、貴重な御意見、ありがとうございました。
  まず、そもそも、いわゆる最高法規ということになると憲法のそもそも論のところが入ってくると思うんですが、そこのところでちょっと教えていただきたいのは、三先生、順次御発言お願いし、もし最初に発言された先生と同様でしたら、それで結構ですと、同じですと言っていただければいいんですが、要するに憲法という成文法以外に、これは自然法というか、そういう表現されていると思うんですが、いわゆる自然権的なものがいろいろ想定されていると。まあ一番今度の我々の世界でいえば正当防衛権であるとか緊急避難権であるとかというのは、そういった問題と関連しているというふうにも言われているわけですが、こういった生存権といったような自然権に対して憲法がある程度の制約を加えるような憲法はそもそも成り立つのかどうか、その辺の関係をどのように憲法学者の先生方は御認識なのか、まず三先生、短くて結構ですから教えていただきたいと思います。

○参考人(浦部法穂君) 自然法とか自然権というその内容にもよりますけれども、憲法学におきまして通常自然権というふうに言っておりますのは、近代人権宣言の基礎となったいわゆる自由権であります。そういうものの存在を前提にして憲法が成り立っているということ自体については、これはほぼ共通の了解はあろうかというように思われます。ただ、それを前提にして憲法というものを考えなければならないのかどうかということについてはいろいろ議論のあるところではあります。
○参考人(竹花光範君) 私もこの点については浦部参考人とほぼ同じ見解でございまして、いわゆる近代自然法に基づいて近代的憲法が作られているということはそのとおりだろうと思いますが、その近代自然法と言われるものがかなり漠たるところがございまして、自然法のカタログを描くことはほとんど不可能に近いなどと言われる方もいらっしゃるぐらいであります。
  したがって、その自然法に反するような内容の憲法が果たして憲法と言えるのかと、憲法として認められるのかということでございますけれども、それはそのような憲法が制定権者によって作られれば、少なくともそれを作った制定権者たちを拘束することにはなる、そういう意味においてはそういった憲法が当然あり得るだろうというふうには考えています。
○参考人(土井真一君) 私も両参考人と同様の意見でありますが、自然権、自然法といいますか、世の中には道理があるというようなこと自体は否定できないだろう。ただ、一体何が道理なのか、何が自然法なのかという点については様々な意見があるわけです。
  それをめぐって対立があって、それをいかに調整するかというのが政治の場であると。それを更に憲法の段階でどういうふうに議論するかというのが憲法改正という問題、あるいは新しい憲法の制定という問題で、その際に主権者が議論したことというのは、当然、まあ暫定的ではありますけれども、効力を持つものと考えるのが適切であろうというふうに思っております。
○山崎力君 ありがとうございました。
  今、三先生のいわゆるお話をお聞きしても、この辺の関係というのは、自然権というのはあるようで、あるんだろうと。そこを基にして作られているということなんですが、問題は、そこのところがやっぱりそれぞれの置かれた集団、これは民族でもいいし国家形成の国民でもいいわけですが、そういった人たちの歴史的な価値観とかそういった背景があって、そこから来ているものだというのは否定できないと思いますし、そこのところでどういう議論をしてどういう成文憲法を作るかというその辺のところの議論というのも、日本の場合はその成文法的な憲法典というのは大陸法の方から主に来ておりますから、そういった点での価値観と日本人の在来的な価値観、これを陋習とかそういった形の古い劣ったものとして捨て切れるかどうかというところを我々国民というのはいまだに引きずっているんじゃないかと思うんです。
  その辺を割り切って法理論だけでやっていいのかというのを、結局、政治に携わって一般の国民、失礼な言い方をすると、皆様方よりも一般の国民の意識、考え方に接する機会の多い我々としてそこをどう調整するかというところを是非考えて、こういった形にしていただきたいなという気がするという要望を申し上げておきたいと思います。
  それはせんじ詰めれば、日本国民あるいは日本の国民性に対する信頼というものを我々がどう持つべきなのか。日本の国民というのは何かあるとかっとなって戦争するのが好きな国民だから縛っておこうと、公には余り言いませんけれども、そういう気持ちでいろいろなことを発言されたり行動されたりしている方も私の目から見ると見受けられるということなんです。
  それで、その辺のところで浦部参考人にお伺いしたいんですが、先生の御発言の中でちょっとといいますか引っ掛かっているところが、憲法の正当性の根拠という改正の問題についてございましたが、この議論をお聞きすると、当然のことながら我が現行日本国憲法の成立の正当性というものが問題になってくると思うんですが、その点について全然触れられていなかったんですが、いかがでございましょう、その辺は。

○参考人(浦部法穂君) 現憲法はもちろん旧憲法の改正手続に従って行われましたけれども、同一性はございませんから、これは新憲法の制定ということになります。したがいまして、当然、その正当性ということは、本来、制定時点で議論されるべき問題であっただろうというように思います。
  ただ、既に六十年近い期間正当なものとして憲法が妥当してきているという事実というものは、これはもう否定できない事実でございますので、六十年前にさかのぼってもう一度正当性の議論をするということは意味のないことではないかというふうに考えております。
○山崎力君 そうすると、先生は、正当性がなくても時間がたつと正当性を持つというふうな考え方、いわゆる変遷論的なお考えだと考えてよろしいんでしょうか。
○参考人(浦部法穂君) 変遷論とは若干異なりますが、正当性というものは獲得されるされ方というものにはいろいろなされ方があるということで、先ほど申し上げたのは、今の時点で新しい憲法を作るというのであれば、きちんとその正当性というものを確認した上でやることが必要であろうということでありまして、国民が長年の間に支持をしてきて、もう疑いを持たなくなったということによって正当性が獲得されるということは、これは十分にあり得ることだというふうに考えております。
○山崎力君 浦部先生、その辺がちょっと私の理解を超えるところでございまして、もちろん占領下で憲法ができるかという部分、正当な、正当性を持つ憲法を施行できるかという、作ることができるかというそもそも論、これは繰り返しませんけれども、そのことの正当性に、我が日本国憲法の正当性に問題があるんだということを憲法学者の方たちがどの程度今まで言ってきたのかという部分と、国民の皆様方が新しい、戦後の新しい社会を作る基礎になるこの憲法という教育の仕方、そういったものからして疑問を持つような形で、今まで、私、戦後生まれで憲法とほぼ同時の人間ですけれども、記憶がないんですね。
  要するに、占領憲法だから改正しろとか、あの当時までは、作り方の正当性の問題もまだはっきりしていない、押し付け憲法だという確証もないじゃないかという議論もあったくらいで、その辺のところの、この憲法ができたのが本当は正当性がなかったんだと、今の形からですね。そこのところを踏まえた上で、それで先生の議論を、ただ、ここのところはこういった形なんだという、そもそもの土台を踏まえた議論でなければ、ここのところを、正当性のない憲法をまあずっとやってきたんだねという、それは今言ったってしようがない、無駄じゃないかというと、これは普通の我々レベルの、民間レベルの話であって、憲法学の話ではないんじゃないかという感想を持つんですが、その辺いかがでございましょう。

○参考人(浦部法穂君) その点は憲法学でも議論されていないわけではなくて、いわゆる八月革命説というのはその点を意識した議論であったわけです。
  戦後の憲法学というのは、当然、日本国憲法の正当性という問題についてどう説明できるかということには細心の注意を払って議論をしてきた。その一つの学説的な帰結点として宮澤先生が提唱された八月革命説というものが受け入れられて、学問的には受け入れられてきたという経緯であろうというふうに考えております。
○山崎力君 まあこの議論、革命説が出てきてというのは、たしかもう僕も四十年近く前、三十年以上前に聞いた記憶があるんですが、あの時点で憲法的には革命だったんだと、日本のあれは革命があったんだということを、憲法学者の方はそれでいいのかもしれませんが、国民自体はその辺のところを全然意識していない。じゃ、革命の主体はだれだったんだということになれば、国民だったわけはないわけで、その辺のところがやっぱり憲法改正の、この最高法規とか、余り正当性の議論を深めない原因ではないかなというふうに思っておりました。
  そればかり言っているとあれなんで、これは浦部先生と、どなたでしたか、竹花先生もおっしゃったのかな。ちょっとその辺のところなんですが、いわゆる憲法改正の支持率ですね、賛成率と言ってもいいんですが、賛否の国民投票におけることで絶対的過半数、絶対過半数を主張されていましたが、これは選挙のときによく出る議論なんですけれども、この議論というのは棄権者を反対と同様にカウントするということに結果的にといいますか、技術的にはそうなるわけでございますね。
  ということになれば、これはどういう根拠を持って投票しなかった棄権者をいわゆる憲法改正反対なら反対と同列に扱うのかということの法的な根拠が分からないんですが、浦部先生から教えていただければと思いますが。

○参考人(浦部法穂君) 改正の国民投票については私はそんな絶対過半数ということは申し上げておりません。改正の国民投票については、先ほどは申し上げませんでしたけれども、有効投票の過半数ということでいいだろうというように考えております。
  先ほど申し上げたのは、改正ではなく、現憲法の廃棄と新憲法の制定という行為を行うのであれば、総投票権者総数の過半数が賛成しているということが最低限確認できるような手続が必要だという趣旨で申し上げております。
○会長(上杉光弘君) 竹花参考人にも御質問ですか。
○山崎力君 そうです。
○参考人(竹花光範君) 私も、国民投票で、その過半数というのは総有効投票数の過半数であるというふうに考えております。
  ただ、先ほど申し上げましたように、国民投票法の制定がいまだでございまして、これは是非国会でお願いしたいところなんですが、その際には国民投票が成立する場合どの程度の投票率が必要なのかと、その辺のところも明記してほしいと思うのであります。例えば最高裁判所の判事の国民審査の場合はたしか規定があったかと思いますが、それに類するような、国民投票が成立するに必要な投票率、総投票権者の何%が投票すれば成立したということになるのかと、この辺はきちっと定めてほしい。可能なら、私は総投票権者の過半数の投票があって国民投票が成立するということが望ましいとは思っております。
  それから、浦部参考人の場合には、例えば九条の改正とか改正手続規定の改正、あるいは全面改正、これは憲法の廃棄、あるいは新しい憲法の制定だというふうなことをおっしゃっておられたかと思いますが、私はそういう改正もこれは九十六条の手続を踏めばできる、改正に限界はないという見解に立っておりますから、そのような改正の場合にも国民投票で総有効投票数の過半数の賛成があれば改正は成立すると、そういうふうに理解しております。
○山崎力君 今のお話で、お伺いしたんですがお答えいただけなかったのは、重要なことなんだからということで、浦部参考人の話で、ちょっと聞き間違えたのかなと思ったらそうではなかったといいますか、いわゆる改正ならいいけれども、いわゆる新憲法の制定の場合はやっぱりそのくらいのことが必要だろうということなんですが、私が御質問申し上げたのは、そういった場合、棄権者を反対票を投じた人と同列に扱う、結果的にそうなると、そういったことになるんで、そこのところの法的な考え方はどうなのかと、そういう意味で質問させていただきました。
○参考人(浦部法穂君) 先ほど申し上げたように、現憲法の廃棄と新憲法の制定ということをやる場合には、やっぱりそれなりの必要性というものはきちんと認識される必要があるだろうと。とすれば、そのことを積極的に支持する国民が少なくとも過半数は必要であるという趣旨でございます。棄権した者を反対とみなすということではなく、積極的にそれを支持する国民が過半数きちんと認められなければ、新憲法の制定というような行為は行うべきではないだろうという趣旨です。
○山崎力君 考え方は分かりましたけれども、どうもちょっと申し訳ない、付いていけない部分があるんですが。
  いずれにしろ、この憲法の改正限界説、非限界説、専門家の方の考え方ではそういったことありますし、学問的には重要なことだろうと思うんですけれども、我々国政を預かりまして、憲法改正を発議して三分の二、各院で取るか取らないか、取れるものにするにはどうしたらいいか、あるいはそうでないものはどこが問題なのかというようなことの観点から見ていきますと、皆様方の考え方と国民の考え方と、我々の考え方と、微妙にずれているところがあるなと。
  それをどういうふうにやっていくのが一番いいのかといったときには、最後に私どもがよりどころとするのは、やはり選挙で選ばれてそれなりの考え方を代表する、しかもそれが我が現憲法の代表制民主主義を取っているということによるくらいしかないんじゃないかなというふうに思っているんですが、その点、最後に土井参考人、お聞かせ願いたいんですけれども、主権者による自己拘束論といいますか、そういう考え方でやっていましたけれども、そこのところが一番の問題、逆に言えばそこのところの成果といいますか具体的なあれというのは、選挙でどんな考え方のどんな人間を代表者として国政に送り出すのかというのが一番のポイントになるのではないかというふうに私は思うんですが、その点についてのお考えを伺って私の質問を終わらさせていただきたいと思いますが、よろしくお願いいたします。

○参考人(土井真一君) 私自身の考え方を申しますと、憲法改正の発議に関する権限を国会に認めているということは、今、山崎委員がおっしゃられたとおりのことであろうと。意見の中で、それはあくまで国民の責任において解決すべき問題であって、それより優位する何らかの法的権威が国民を上からコントロールするという話ではないと。その意味で、憲法の改正の限界というのは、一点、主権の所在の変動ということだけは別、法理論的に別の問題だけれども、それ以外については基本的に自らの賢慮で解決すべき問題だというふうに思っております。
○山崎力君 どうもありがとうございました。

(後略)